好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』を読みました

以前読んだ『たべるのがおそい』vol.1 で木下龍也の短歌がいいなぁと思ったので、買いました。

帯によれば「本書はふたりの高校生に歌人ふたりが成り代わり、それぞれの七日間を短歌で描きました。」とのこと。どの歌がどちらの歌人の作品かは、短歌の頭の位置でわかるようになっています。高いほうが木下龍也、二文字下げて始まるほうが岡野大嗣。
目次には単純に7月1日からの一週間の日付だけが書かれていて、散文や解説などは何もないです。だからこそ良い。短歌だけで勝負する感じがすごく良い。
タイトルからしてめっちゃ良いんですが、この本、装丁もすごく良くて、ぜひカバーを外したりつけたりしてみていただきたい。美しいなぁ。

中身については、もともと木下龍也目当てで買った本ではあるものの、岡野大嗣もかなり好みで、どちらの作品のほうが好きとかは特になかったです。うまく溶け合っていて、どっちも好き。

7月の第一週、夏の予感はあるけどまだ学校に行かなきゃいけない時期で、梅雨は明けきっていない、そんな一週間。
例えばこんな歌が好きでした。どちらも7/1の歌。

体育館の窓が切り取る青空は外で見るより夏だったこと (P.11/岡野大嗣)

ベランダで翼を癒やす七月の風を六畳間に入れてやる (P.19/木下龍也)

爽やかだなぁと思うのですが、実は爽やかなだけではなくて、全体を読むとちょくちょく不穏な単語が混じった歌があります。
10代、特に高校生って、精神が毎日平均台の上を歩いてるみたいなところがあるので、昏い妄想にふけったり人生について考えたりするよなぁ、とちょっと懐かしくなりました。よく生き延びたものだ。年月が経てば、時間が解決するという陳腐な言葉もあながち嘘ではないのだなとわかるようになるのですが、まだ20年も生きていないときだと実感として感じられないものだ。だから大人から見れば大したことないことで、もうこの世の終わりだと思ったり、これは一生のことだと思ったりする。だよねぇ、あるよなぁ、とか思って読んでいたんですが…

この7月第一週というのが、彼ら二人の高校生にとってかなり濃い一週間だったのでした。高校生の普通の一週間じゃなかった。途中で衝撃の一首が挟まっているのですが、ちょっとこれは、ネタバレになるから書きません。読みながら目を見張ってしまった。えええー!!!
そして、それを踏まえてもう一度読み直すと、あぁー…となるのでした。いやもうほんと…

とはいえ彼らに何があったのか、彼らが何をしたのかは細部までは書かれていません。そこが短歌で描いた一週間の面白さで、別に何があったかということを追及するのは正直本筋ではないのだろうと思います(気になっちゃうけど)。

しかし17文字で日々を描くっていいですね。ひとつにぐぐっと視線を寄せてミクロに描くことも、広い視界をざっくりとマクロに描くこともできる。でも何を言葉に乗せるかというのは人によって違うだろうし、心の中の動きが目に映るものに影響するから、視界に映ったものを表す言葉も人によって変わってくるだろう。17文字の歌を何首か連ねても、語られない部分が絶対あるし、だからこそ良いんだし、その意識の空白が想像の余地として読み手を刺激するんでしょう。語らないことで語られることが、とてもたくさんありそうな。

何度も言いますがタイトルからしてすごく良い一首で、「はずだ」のあとに隠れている「なのに…」を読み手は読み取らざるを得ないし、そこにストーリーがある。はー、すごいな、短歌。すごく良かったです。
(追記:後から気が付いたけど、「はずだ」のあとに隠れているのは「なのに...」だけではなく「だから…」というのも可能でしたね。意味がぐっとポジティヴになる。)


しかし衝撃の一首に触れずにはいられないので、隠してちょっとだけ書いておく。未読の方は、ぜひ先に本を読んでください。



※本の結末(というか短歌によって描かれる日々の流れ)にがっつり触れますので、未読の方はご注意ください


目次を見ればわかることではありましたが、7/3のあと、7/7に飛んでるんですね。7日の一首目ですよ。もう目を見張りましたよね。やっちゃったか!!!しかも何も書いてないのになにしたのかしっかりわかるところとか、あの不穏なスペースとか、ぞっとする。手首切ったな、と。
手首切ったのは短歌の頭が高いほう、一人称「ぼく」の方。彼女いたじゃん!と思ったんですけど、よく考えたら2日の彼女のことは「おまえ」と呼んでいたので、恋人じゃないのかも。もうこの世にいない「きみ」のことを、彼はずっと考えていた。「きみ」が恋人だったのかな。
7/3がまるっと「ぼく」のほうの歌しかないことにも、再読して初めて気がつきました。この日は土曜日で、「きみ」と一緒に過ごしてるみたいな書き方してるけどきっと違う。なんの錠剤飲んだの?「あなた」が誰なのかも気になりますが。
逆に7/4は短歌の頭が下がってる彼、一人称「僕」のほうの彼の一日しか描かれていないので、この日に「ぼく」が何をして過ごしたのかは不明。でもよく見たら、月曜日を迎えた7/5、104ページの短歌が7日の一首目を予感させている。
そしてついに7日の朝を迎えてあの一首目があるのですが、その後も7日の短歌は続いているので、ここは時系列ではないのかな。ブルーベリーは朝だけど、刃が彼を貫くのは夜か。
しかしどうしてこの結末に至ったのか、「ぼく」の短歌だけ追いかけていくと、予兆はあったなぁ…。

それからもう一人の、短歌の頭が下がってるほうの「僕」、彼のほうもやっぱりちょっと不穏。7/4(日)に夕方まで寝て、国道沿いで職務質問されている。教頭室に呼ばれたりもしている。でも二段ベッドの下に母親が寝ている。高校生にもなって気の毒な…。殺される夢を見たり、事故に遭いたがってみたり、遺書書いたりしてて結構あぶなっかしい。何か事件があって、容疑者と間違われたりして(似てるらしい)、でも7日目にはちゃんと犯人が捕まっている、ように読める。
しかしこっちの「僕」が最終的になにをやり遂げたのかがわからないんですよね。ただなんか不穏な気配がすごくする。3時間も何に並んだんだ?インストールってなんだ?向き合わないように置かれた椅子はどこの椅子なの?「やりました!」って何を??うーん、わからない…

他の人の解釈も知りたいです。書かれていない部分を想像しあって楽しみたい。