好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

川野芽生『Lilith』を読みました

Lilith

Lilith

  • 作者:川野芽生
  • 発売日: 2020/09/26
  • メディア: 単行本

正直なところ、読みました、というほど読めてはいないだろうと思う。
Lilithリリス)は川野芽生のはじめての歌集で、Twitterで流れて来たためにその存在を知ることができました。
私は日頃から詩や短歌を読む人間ではないので、書店に行ってもこれらの売り場はごく稀にしか立ち寄らないし、まして買うことはほとんどありません。ただこの本は、山尾悠子が帯を書いていること、柳川貴代が装丁を手掛けていることでちょっと気になっていました。そして書店に行って、珍しく歌集の売り場に立ち寄って、ぱらぱらっと見て、はいこれは買うやつ! と思ってレジに持って行きました。これは、手元に置いておきたい本だ。

歌集は3つの章に分けられていて、さらにその中でタイトルごとに複数の短歌が載せられている。歌集の形式とか全然知らないのでどう表現していいかわからないのですが、複数の短歌で一つのタイトル世界を表現している感じ? 本書に挟まれた栞で石川美南が「連作」と書いていたので、きっとそういう言葉で表現できる形式なんだろう。同じく栞に寄せられた佐藤弓生の文章で、3つの章の名をつなげた「anywhere out of the world」はボードレールの詩から取られていると書かれていて、言われて初めて知ることができた。

文語体で詠まれた歌の、凛々しい雰囲気が好きです。射貫くようにまっすぐ発せられる言葉。ちょっと頽廃的な歌でも、最期まで自分の主は自分であるという高貴な印象がある。少女的なんだけど、お姫様ではなく女王様って感じで、すごくいい。
歌や詩は一度にたくさん読むことができないので、タイトルずつ、毎日ちょっとずつ読んでいました。

羅(うすもの)の裾曳きてわが歩みつつ死者ならざればゆきどころなし
   (P.6 「借景園」)

眠りとは夜ごと織りなす繭にして解(ほつ)るるとよもすがら繕ふ
   (P.22 「水の真裏に」)

こころとは巻貝が身に溜めてゆく砂 いかにして海にかえさむ
   (P.66 「アヴァロンへ」)

春は花の磔(はりつけ)にして木蓮は天へましろき杯を捧げつ
   (P.101 「老天使」)

愛は火のやうに降りつつ <Amen.>(まことに)を言へないままに終はる礼拝
   (P.142 「ひらくのを」)

好きな歌を拾い上げていくと、歌集の頭から終わりまで全部書き写さなくてはならなくなる。

けど敢えてどれかというなら、連作として特に好みの第III章冒頭の「Lilith」を紹介したい。第29回歌壇賞を受賞したのがこの「Lilith」だそうです。
世間が暗黙のうちに強要する女性に自らを嵌めこむことに違和感を覚えている女学生を想像させる30首。仲の良かった友人たちはその枠に喜んで身を投げ出すようにも見え、男性に庇護されることを良しとできない心が彷徨っているようだ。

晴らす(harass) この世のあをぞらは汝が領にてわたしは払ひのけらるる雲

うつくしき沓を履く罪 踊り出す脚なら伐れ、と斧を渡さる

木蓮(はくれん)よ夜ごとに布をほどきつつあなたはオデュッセウスをこばむ
   (P.120-130 「Lilith」)

自分がいわゆる女学生だったときのことも思い出したけど、あの時はまだ学校というものに守られていたから、求められる枠組み痛烈に感じたのは大学以降かもしれない。自分が女性であるために、ある振る舞いをしたほうが事が有利に運ぶということを学んだとき。
ただそのことについて善悪を論じる気はない。私にとっての問題は、そんなときに私がどのような態度をとるのかという選択にある。ある意味不当なアドバンテージを、いつ使うか、どう使うか、そもそも使うのか? 女性であるということは、場合によっては賄賂のようなものになりうる。例えば私に対して何かが免除されるとき、それは私にとって正当に受け取って良いものなのかを自らに問わなくてはならない。私にとって利益であるときほど敏感に、不当な対応でないかどうかを考えなくてはならない。相手はだいたい好意でやってくれているんだけど、だからこそ受ける側が正当性を判断しなくてはならない。「不当に扱われる」という言葉には良い対応も悪い対応も含まれていて、自分にとって不利益なことを訴えるためには、自分にとって利益になることを普段から退けておかなくては恰好がつかない。結構しんどい。にっこり笑って受けておくことでうまく回ることは多々あって、それでも別にいいときもあるんだけど、心のしこりは消えない。できるだけフェアでいたいって思っているんだけど、多分見逃してしまったあれこれはたくさんあるだろう。

Lilith」に限らず、この歌集全体にわたって、そんなことを考え続けながら読んでいた。この言葉たちが纏う清廉な心を私も持ちたいと思うけれど、思い返せば小さい頃から既にそんな心だったことなどなかったようだ。一度墨を落とした水はいくら薄めても真水には返らないけど、この心で生きていくしかないという諦めと、まぁそれなら少しでもましな状態を維持したいものだという足掻きがある。

章タイトルのように、この本には他にも、私の知らない世界とのリンクが至る所に貼られているのだろう。知っていればもっと楽しめるのだろうけれど、知らないままでも言葉の重みがズンと来るので、かなりやられました。好きな感じだ。