好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

松本清張『昭和史発掘 1』を読みました

新装版 昭和史発掘 (1) (文春文庫)

新装版 昭和史発掘 (1) (文春文庫)

実家の引っ越しに伴い、父親から貰った本の山の中に含まれていた一冊です。多分シリーズ全部揃っているはず。上のリンクは新装版ですが、うちにあるのはISBNついてない版でした。でもまぁ、読めればよいのだ。

松本清張は『点と線』くらいは読んだ記憶がありますが、実は内容全然覚えてないし、他はまったく読んでません。硬めの社会派という印象で、私にはなじみがなさ過ぎる世界の話で、ちょっと敬遠していた。
このシリーズもバリバリ社会派っぽいなぁと思ってしばらく放っておいたのですが、「昭和」って最近すぎてよく知らないけど興味はあるし、シリーズは長いけど一冊単位ではそんなに分厚くないし、と思って読むことにしました。読み始めたら、めちゃくちゃ面白かったです。

週刊文春に連載していたものをまとめた本なのですが、雑誌連載は1964年。まだ昭和真っ只中だ。ちなみに松本清張は1909(明治42)年生まれと扉の著者紹介に書かれていてびっくりしました。そんなに前の人だったか!!!1953年デビューということなので、遅咲きだったんですね。なんとなく、三島由紀夫あたりと同年代だと思っていました。そうかー、明治の人だったか…そうなると昭和をリアルタイムで記憶している年齢ですね。生き証人だ。

本書は「昭和史」と名前がついてますが、元号が変わっても世界がリセットされるわけではないので、少し手前の大正時代の話から始まっています。
だいたい1冊につき3つのテーマを扱うようで、1巻目のテーマは「陸軍機密費問題」「石田検事の怪死」「朴烈大逆事件」の三本立てです。しかし実はこの三つのテーマ、それぞれ関連し合っているのでした。
そう、関連しあっているのです。そして個々の事件と3つの関係性がわかりやすく書かれているのです。
この本読んでしみじみ思ったのですが、松本清張って、文章上手いんですね。いや作家に向かって文章上手いとかいうのもアレなんですが、明快な文章で丁寧に説明してくれるので、すごくわかりやすかったです。こういうのを総じて文章が上手いというんだなぁ。ユーモアがあるのも良い。好きな文章スタイルでした。

さて本の内容に入りましょう。最初のテーマ「陸軍機密費問題」というのは、田中義一が政友会総裁となる際に持参金として持ってきた三百万という大金の出どころについての話です。陸軍には機密費というのがあり、陸軍大将であった田中がそれをポケットマネーとして持ち出したのではないか?という疑いを、反田中政権組が追及したのだとか。
ちなみにこの追及は、正義ではなく政争であり、お互いに結構後ろ暗いことをしているのがよーくわかります。しかしなぁ、そういうことがあったんですね。
学校で習う授業では日本史も世界史も近代以降は駆け足だし、政治家もいっぱい出てくるので誰が何をしたのかほとんど覚えていません。でも松本清張は「田中義一といっても、今の若い読者には名前になじみがうすかろう(P.7))」と書いて、人となりを示すエピソードの紹介から初めてくれるので、馴染みやすかったです。

次の「石田検事の怪死」も面白くて、これは陸軍機密問題について取り調べをしていた検事が不可解な事故死に見舞われたことについての話です。これ、明らかに他殺なんですよ。事故死として処理されるんですけど、不自然な点が多すぎる。当時もいろいろ騒がれたらしいのですが、時代も時代ですから、結局事故死で片付いてしまった。それを当時の証言やアリバイや政治状況などの情報を搔き集めて、誰が検事を殺したか、事件を再検討して推測している。ミステリ好きにはたまらない考証となっています。これがまた説得力あるんですよねー…でも実話なんだな。
へぇぇ、と思ったのが、この事件が「昭和二十四年七月五日におこった下山国鉄総裁の怪死事件とひどく酷似している(P.76)」と書かれていることです。

石田検事を殺したのは徹頭徹尾「政治」であった。この点、個人的にはなんの遺恨もうけていなかった下山国鉄総裁の場合とまったく同じである。私は、下山事件は、石田基検事の殺害方法が一つの教科書(テキスト)になっているのではないかとさえ思いたくなる。(P.130)

事実は小説よりもなんとやらという感じだ…

最後の「朴烈大逆事件」は、朝鮮人の朴烈とその妻金子文子天皇暗殺を企んで爆弾を入手しようとしたというものです。殺された石田検事が取り調べていたもう一つの事件「右翼の直願問題」に関連する事件として続けて書かれています。
大逆事件!この大時代的な単語!ありがたいことに思想犯というのはもう死語ですから、彼らの取り調べと供述の経緯が非常に新鮮でした。こんな時代があったんだなぁ…
天皇の殺害を企てるなどけしからんということで二人とも死刑判決を受けるのですが、実際には企てるというほど具体的な計画も持っていなくて、最終的には恩赦になります。それを右翼関係者が司法の威厳が冒涜されたと大いに抗議したのでした。この抗議というのも怪文書の流布という形で行われたそうなのですが、怪文書ってまたすごい単語が出てきたな…と読みながら思っていた。出てくる単語のみならず、朴烈の供述の口調なども時代がかっていて、でも実話なんだよなぁと思うと不思議な感じがする。
そしてちょっとぞっとしたのが、朴烈のその後です。彼は死刑判決を受けるも恩赦で減刑されて無期懲役となります。妻の文子は獄中で自殺してしまうのですが、朴烈のほうは(多分監視も厳しくて)生き永らえ、戦後、占領軍の解放令で出獄。

 朴烈はすぐに、当時結成されていた韓国居留民団の団長に推された。在日朝鮮人にとっては、日本の帝国侵略主義に反対し、大逆罪で二十年間牢獄につながれた朴烈が、やはり英雄として映ったのであろう。
 そこには無政府主義や虚無思想の朴烈はなく、民族解放闘争の英雄としての彼の姿があるだけだった。
 しかし、二十年間世間と断絶していた朴烈は、身体こそ健康ではあったが、もはや、世の中の情勢を的確に判断する頭脳はもち合わさなかった。(P.192-193)

最終的には北朝鮮に渡って高官の座に就いたらしいという話ですが、出獄直後はいわゆる監獄ボケというのがあるらしく、なんとも恐ろしい話です。入獄前の威勢のいい供述と裁判での態度を読んだばかりだったので、余計にその落差に愕然とする。頭は使わないとダメになるんだな…気をつけよう…


そんなシリーズ1巻目でした。まだまだ昭和は始まったばかり。ちびちび読んでいきます。