好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

エリック・マコーマック『雲』を読みました

雲 (海外文学セレクション)

雲 (海外文学セレクション)

前評判が良かったので刊行前から気になっていた本です。昨年末に刊行されて本屋でぱらっと見た時にきっと好みだという確信を得てすぐに買ったものの、しばらく忙しくて積んでいました。ようやくゆっくり読める時期が来たので、嬉々として読んでみたら、あぁ、やっぱり好みだ…と一気に読んでしまった。

話は、メキシコのラベルダに出張に来ていた「私」が突然の雨に遭い、近くの古本屋に逃げ込んだところで一冊の本に出会うところから始まります。本の名前は『黒曜石雲(The Obsidian Cloud)』。副題として「エアシャー郡ダンケアン町の上空で起きた今も記憶に残る奇怪な出来事の記述」と書かれています。

 ダンケアン!
 思いがけずその名を、ここ別半球で目にして、私は思わず息を呑んだ。ダンケアンはスコットランドのアップランドにある、私が若者だったころつかのま滞在した小さな町である。その町で、あることが起きて、私の人生の軌道が丸ごと変わった。それは忘れようのない体験だった。そして理解しようもない体験だった。(P.12)

ホテルに帰った「私」は早速本を開いて読み始める。「黒曜石雲」というのは気象現象の一つで、どこからともなく集まってきた巨大な黒い雲のことだった。

 二時になり、風がすっかり止んで、黒雲はダンケアンの町がある、高い谷間の真上にとどまった。町の上空、丘の頂から頂まで、北、南、東、西、どこも真っ黒で、この上なく滑らかなので、磨き込んだ黒曜石をそれは思わせ、事実、黒曜石のごとく地上の田園地帯を映し出していた。驚くべきことに、その空の鏡にダンケアンそのものが、すべてが逆さになった姿で見えていた。街路や広場、教会と尖塔、周囲の野原や田舎家も、さらには、やがてエア川に注ぎ込む、丘の中腹や谷間をくねくね降りていく一連の小川まで。
(中略)
 黒雲はおそろしく低く垂れ込めていたので、視力の鋭い人々のなかには、自分の小さな鏡像がそこに映ってこっちを見下ろしているのが見えたと断言する者もいた。「家の亭主が東の牧草地で羊を集めているのが見えました」と地元の農家の妻は言った。「家の玄関口に居るあたしも見えましたし、あたしの肩に座った猫のパドックまで見えました」(P.13)

「私」は出張先のメキシコからカナダに戻ると、グラスゴーにある国立スコットランド文化センターに『黒曜石雲』についての調査を依頼する。そしてグラスゴーのスラムで育った自分の幼少期の思い出を、ダンケアンで起きた忘れがたい出来事を、世界を旅して出会ったあれこれを、振り返って語り始める…


プロローグの時点で、文章の上手さを強烈に感じます。黒曜石雲、この魅惑的な現象…!そして情報の出し方が絶妙で、先を!先を!と思ってどんどん読んでしまう。ダンケアンでなにがあったの?『黒曜石雲』の調査結果は?「わが人生最大の謎」って???

マコーマックの文章はとても映像的で、語り手である「私」の中に寄生しているような感じがあります。風景の描き方はもちろん、両親の思い出など人を描くところでも、読みながら場面の中に目を持っている、それも三人称ではなく一人称として見ているような気になる。そして、すごく丁寧に描写をする人だと思う。例えば父親が話をするときにしじゅう咳き込む様子とか、毎回しっかり描写しているのでリアリティがあって、読みながらだんだん世界になじんでいく。文章が上手いってこういうことだな。読んでいて気持ちがいい。そして柴田さんの訳がまた美しい文章で、好きなんだ…

長編小説なのですが、先へ引っ張られる魔力がはたらいて、そんなに分厚い本を読んでいる感じはしませんでした。「私」の半生を振り返るパートと、『黒曜石雲』調査中の学芸員とのやりとりをする現在パートを行ったり来たりしながら過去は現在に追いつき、それ以降は現在にいながら過去を追いかけることになる。第四部まであるのですが、「私」の人生のターニングポイントになるところで細かく章が分けられているので、区切りながらでも読みやすいはず。まぁ、区切りが来ても突き進むんですけどね!先が気になるから!
ダンケアンで何があったのか、という点については割と最初のほうでサクッと明かされるのですが、そこからの心の傷を癒す旅でいろんなところに行くのが面白い。ちょくちょく描かれる時代背景から、おそらく主人公は20世紀前半生まれでしょう。テクノロジーが進化しすぎていないからこそ潜り込める隙間を活用している感じ。

ちなみにラストについては、想定していた方向と違う方に舵を切ったのが意外でした。右に曲がると思っていたら左に曲がった、という感じで、別にがっかりしたとかではないです。ただ、そっちの道に行くとは思ってなかったよ、という驚きがあった。そっちが主題だったか。なんだか何か読み落としている気がしてならないので、むしろそこが気になるところ…。左に曲がるだけの理由があるはずなのに、うまく拾えなかった気がします。しばらくしたらもう一度読みたいな。

黒曜石雲という幻想的な本を扱っていながら、登場人物は結構世俗的なあれこれに振り回されるところとか、かと思えばかなりぶっとんだ設定が出て来たり(魚舐めとかライノロジーとかパラタクとか)、かなり面白かったです。マコーマックの長編はまだ訳されていない作品が残っているらしいので、ぜひとも出していただきたいです。そのために、既刊本も読まなくては。

最後に、446ページからラストまでの一連の流れが凄すぎたのでちょっと書いておきます。結末に触れるので、一応隠しておきますが、書かずにはいられない…


※ここからは小説の結末にがっつり触れるので、未読の方はご注意ください。



いやこれめっちゃ怖くないですか!?この446ページからの疾走感は何なのか。
何あの斧!この小説には文字にされていない裏結末があって、それは「私」の死なんでしょ?ですよね?明日の朝、遺体で見つかるんでしょ?どこから紛れ込んだかわからないビリビリに破かれた新聞紙が部屋の隅に落ちていたりするんでしょ?そして風に吹かれたビリビリの新聞紙のひとひらが、葬式に参列したデュポンの眼前を横切ったりするんでしょ?怖!
…という結末を、書かずに想起させるマコーマックの凄さにぞっとしました。ベッドサイドに残された斧ひとつで予感される恐怖、そしてそれを書かずに終えるとか、とても好きです。一人称小説であることを最後まで守っていた。ものすごいラストでした。