好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

西崎憲・編『移動図書館の子供たち』を読みました

<kaze no tanbun>シリーズ第二冊、『移動図書館の子供たち』です。
シリーズ一冊目の『特別ではない一日』が実に好みだったので、続刊を待っていました。待っていたくせにチェックが漏れていて、気付いたら出ていたので慌てて読んだ。<kaze no tanbun>シリーズは次の『夕暮れの草の冠』で終わりだそうで、寂しい。

しかしまぁ、とにかく第二巻です。短文アンソロジーということで、全体的に短め。10ページを超えると、長いな、という印象。
前回に続いて参加している人もいれば、新たに加わった執筆者もいます。目次は以下の通り。公式サイトに記載があります。

古谷田奈月『羽音』
宮内悠介『最後の役』
我妻俊樹『ダダダ』
斎藤真理子『あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず』
伴名練『墓師たち』
木下古栗『扶養』
大前粟生『呪い21選──特大荷物スペースつき座席』
水原涼『小罎』
星野智幸『おぼえ屋ふねす続々々々々』
柳原孝敦『高倉の書庫/砂の図書館』
勝山海百合『チョコラテ・ベルガ』
乘金顕斗『ケンちゃん』
斎藤真理子『はんかちをもたずにでんしゃにのる』
藤野可織『人から聞いた白の話3つ』
西崎憲『胡椒の舟』
松永美穂『亡命シミュレーション、もしくは国境を越える子どもたち』
円城塔『固体状態』


いやぁ、今回も実に良くてですね、目次だけでニヤニヤしちゃう!
初めて読む人もいれば、もともと好きな人もいて、アンソロジーって楽しい。嬉しい。

装幀が楽しくて、貸し出しカードがついてます。カードの裏には我妻俊樹さんの短歌が載ってたんですが、もしかしてこれ、本によってバリエーションがあったりするんだろうか。買う時は店に在庫がこれ一冊しかなかったし、カードの存在に気付かず買ったので後から気付いたんですが。
あとデザインについてもう一つ、作品によって本文の位置が上寄りだったり下寄りだったりしていて、さりげなく面白かった。読むときに邪魔にならない面白さであるのもポイントが高い。

好きな作品たくさんあるのですが、今回私が一番刺さったのは斎藤真理子の『あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず』。斎藤真理子は唯一二作品寄稿しているけど、ちがう場所に配置するところがうまい構成だなぁ。それそれ3ページずつの「短文」なので、ばらしておいたほうが似合う。
で、『あの本のどこかに、大事なことが書いてあったはず』は、タイトルの通り大事なことが書いてあったはずの本の話。右ページだった、と思っているのに、実際見たら左ページにあった、という話。「亡命する」という表現にぐっとくる。

 私が目をつけた文章をこっそり亡命させるべく、静かに動いているものがいるのではないだろうか。それがどこかに待機していて、お茶を飲んだりしていて、指令が出ると動き出す。指令は私が出しているのかもしれないが、どちらかというと本当は、私もそこに混じりたい。(P.50)


本の話といえば、星野智幸の『おぼえ屋ふねす続々々々々』もとても好みだった。ボルヘスの『記憶の人フネス』を下敷きにした作品ですが、なぜ私はまだボルヘスを読んでいないのか。読もう読もうと思っているのに。ボルヘスを読んでいる方が、この作品も味わい深く読めるんだろうなぁ。
星野さんのところの「ふねす」は、その抜群の記憶力でもって図書になった存在。そんな「ふねす」から成る図書館というのはどういう場所なのか、という話です。零れていく記憶が惜しくてたまらなかった(最近はさすがに諦めた)私からすれば「ふねす」はすごく羨ましい存在だ。こういうものに、私はなりたかった。

 で、ふねすが普段何をしているかっていうと、思い出している。一秒に限ってもこんなに膨大な記憶になるのに、それを思い出している。全部まとめて、時系列とか関係なくランダムに、思い出している。十一日前の昼下がりの、日が陰った瞬間の木漏れ日の消え方と、おととしの同じ日の丑三つ時の、雲から半月が顔を覗かせたときの輝度の増し方を、同時に思い出している。思い出したからどう、ということはない。特に感想も感情もない。ただ、それが今ここで起こっているかのように、ふねすの中でそれが起こっている。(P.118)


藤野可織は前回に続いて今回も参加していて嬉しかったです。『人から聞いた白の話3つ』、3つの白が何にまつわるものなのかは、敢えてここでは伏せておきますが、日常に潜む不穏さのチラ見せ具合が好きでした。2つ目の白の異常さ、異常さと白という組み合わせ自体がそわそわする異常さであることも含めて、2つ目の白がぐっとくる。


いやしかし、そんな気はしていたけど書き出したら止まらないな。西崎憲の『胡椒の舟』の落ち着いた文体に滲み出てくるような違和感もすごく好みだし、水原涼の『小壜』の凝縮された空気の濃さには呑み込まれる。円城塔の『固体状態』は相変わらず円城塔で頼もしい。

あと、古谷田奈月の『羽音』には、最初の一文で全部持っていかれた。

 人生でただ一度だけ、歌うために生まれてきたのだと信じたことがある。(P.8,『羽音』)

この一文を、このアンソロジー全体の最初の一文にしたところも痺れる。

『夕暮れの草の冠』、楽しみに待っています。