好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

「第18回英詩研究会」に参加しました

poetry2012.exblog.jp

2021年3月28日にオンラインにて開催された「第18回英詩研究会」に参加しました。なんと今回は、発表者として!

英詩研究会は半年に一度くらいのペースで開催されていて、コロナ禍以降はオンラインでの開催となっています。今回は2020年のノーベル文学賞を受賞したルイーズ・グリュックの詩をみんなで読むという内容でした。
導入役としての発表者は3名。それぞれグリュックの詩を1編ずつ選んで、試訳を含む簡単なレジュメを用意しました。そのレジュメをもとに、ここの解釈はこうなんじゃないかとか、この言葉にはこういう意図があるんじゃないかとか、参加者全員で意見を出し合っていくというのが当日の流れです。
そしてさらにイントロダクションとして、関根路代先生と吉田恭子先生によるグリュックについての解説がありました。グリュックの経歴や特徴、現代アメリカにおける「詩」の扱われ方など、現代アメリカ詩の最新情報がいろいろと聞けて面白かったです。人気の詩人の名前なども聞けたので、要チェックだ。
※この記事では「グリュック」と記載していますが、音としては「グリック」が近いらしい、という話もイントロダクションで知りました。そうなのか!!


さて、前述のとおり私は今回初めて発表者として会に参加したわけですが、いやぁ、もう、難しいのなんのって……!
英詩研究会の参加者は大学の先生や学生さんが多数なのですが、アカデミックに閉じない場にしたいという主催者の方の意図があり、ただの本好きである私も参加させてもらっていました。しかしまさか発表サイドでお声がかかるとは思っておらず「どうですか?」と言われた時にはびっくりしました。英文学科出身でもないし、この研究会のとき以外に英詩なんて読まないし、日本語でさえ詩を読む習慣なんてないし(短歌は好きだけど)、私に声をかけるとはなんと勇敢な…!とかいろいろ思いましたが、とりあえず誘われたらやってみるが私のモットーなので「じゃあやります!」と宣言して挑戦したのでした。

とはいえ引き受けたからにはしっかりやらねばと思って、グリュックの第二詩集 "The House on Marshland" から「Gretel in Darkness」を選びました。これは、グリム童話ヘンゼルとグレーテル」を下敷きにした短めの詩です。
発表のお誘いをいただいたときにやってみようと思った理由の一つが「グリュックの詩は、読むだけならそんなに難しい文章ではない」という情報があり、ざっと見てみると確かにそのようだと思ったからです。しかし実際読んで試訳をしてみると、まぁなんとか文章にはなってるように見えるけど、詩にはなってないな? って感じで……でも詩ってそういうものでしたね。文章として読んだからといって、詩を読んだということにはならない。日本語でもそうだった。だから面白いんだった。

実際読んでみて感じたのは、代名詞や目的語の曖昧さが詩の世界の奥行きを広げているんだなということ。これは、研究会当日のディスカッションでも話題になったことです。私たちの生きる世界が三次元であるのに対して、詩が記された紙は二次元で、そこに世界を映しだそうとするなら一語に奥行きを持たせる魔力をこめるのが一番シンプルで有効な方法なのかもしれないな。
代名詞については、例えば「it」は何を指しているのか。あるいは「women」とは誰を指しているのか。読んでいれば文脈から何となく推測はできるけど、他の別解があるような気配が漂っている。womenに含める人をどこまで広げるか、あるいは限定するか。それによって読み方が変わってくる。
目的語については、おそらく故意に欠落させているように思われました。代名詞同様、文脈からわかるんだけど、明記はしない。例えば「But I killed for you.」という文章で、誰/何をkillしたのかが明記されない。全体を読んでいれば魔女だろうと思うけれど、文法的には目的語がくっついてくるはずなのに、それがない。そういう箇所がところどころにあるので、これは故意でしょう。
となると、目的語を欠落させることでどういう効果が生まれるのかっていうのが読解ポイントになるはず。効果のひとつは目的語を明確にしないことでそこに入るべき単語の幅を広げることだと思うけれど、ディスカッションで話題になって腑に落ちたのは、「書かない」ことによってそこに置かれるはずだった単語が存在感を増すという効果。鮮やかな絵の中にぽっかり浮んだ空白のような、ジグソーパズルのピースが足りないような、目立つ不自然さ。


初めての発表役でしたが、思い切ってやってみて本当に良かったです。研究会前に私が読んでいたときには気付かなかった読み方についての指摘もあって、そういうところをヒントに読んでいけばいいのか! という点をいろいろと教えていただきました。私の解釈がぐるっとひっくり返るような指摘もあって、すごく面白かった。「皆で読む」の醍醐味ですね。
私の中では「詩は韻を踏む」というイメージが強くて、音の近さで言葉を繋いでいくというのは念頭にあったのですが、単語から連想するイメージで言葉を繋いでいくという見方もあるということを、今回ようやく実感できたように思います。神話や宗教、歴史のイコンはある程度の専門知識が求められるけれど、普段遣いの言葉からも「連想されるイメージ」というのはあって、言葉に少し敏感になるだけでそういう言葉のつながりをほぐしていくことができるんだな、というのは心強い気づきでした。詩を読むことに対する気構えが少し軽減された気分。でもよく考えたら短歌の「縁語」と同じなんだな。
言葉を尽くして語る文章も好きだけど、一語にぎゅっと凝縮して立体的に読ませるのも好きだ。もしかして詩世界ってものすごく面白いんじゃないか、ということに、今回発表者としての資料を準備しながらようやく気付いた次第です。本当に、良い機会をいただいた。拙い発表だったと思いますが、ありがとうございました。グリュックに限らず、もっといろいろ詩を読んでみたくなりました。これは沼だな…


ちなみに研究会では、日本では詩がそこまで日常生活に浸透していないという話題が出て、それはそうだなと感じました。でも日本には短歌や俳句があるんですよね。芭蕉の句で有名な観光地には大抵俳句ポストみたいなのがあるところ、いいなって思う。詩という形式は日本ではまだ歴史が浅いし、歌詞ではない詩を書いている人も少ない印象ですが、通じるものは持っていると思う。慣れていないだけで。
おそらく学校教育として、詩を詩として読む方法をしっかり伝えられればもっと詩人口が増えるんではないだろうか。技巧を含む詩文の味わいがもっとメジャーになるといいなあ。というかまず私がもっと読もう。今の詩人って全然知らない。知らないというのがもう勿体ない。絶対面白い文学ジャンルなのに。


なお当日みんなで読んだグリュックの詩3編の内訳は以下のとおりでした。

Gretel in Darkness (詩集 The House on Marshland 1975)
Lost Love (詩集 Ararat 1990)
Aboriginal Landscape (詩集 Faithful and Virtuous Night 2014)

自分の文の発表準備に追われて、他の方の詩をしっかり読み込めなかったのが反省点です。
そして研究会終わってからこの記事を書くまでにこんなに時間が空いたのは、「"Faithful and Virtuous Night" を読むと Gretel in Darkness がもっとわかる」という情報を耳にして、よし研究会の記事は詩集を読んでから書くぞ! と思っていたのですが、なかなか手が付けられないので先に記事を書くことにしたのでした。本当は意気揚々と「読んだらもっとわかった!」とか書きたかったのに、不甲斐ない……。すでに詩集の準備はしてあるので、今年中には読むつもりでいます。


次回英詩研究会は9月予定とのこと。毎回すごく濃い時間が過ごせるので、次回も楽しみにしています。