好物日記

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藤野可織『ドレス』を読みました

ドレス

ドレス

  • 作者:藤野可織
  • 発売日: 2017/11/13
  • メディア: 単行本

今日は藤野可織の凄さについて存分に語りたいと思っているのですが、ちょっと私の手に負えるかどうか…しかし勢いに乗って、とにかくやってみることにします。藤野可織は、すごいぞ。

初めて読んだ藤野可織作品は、西崎憲編集の短文集『特別ではない一日』に収録されていた『誕生』です。その時から好印象ではあったのですが、決定的に好きだ!と思ったのは、『文学ムック 食べるのがおそい』 vol.1 に収録されている『静かな夜』を読んだとき。『静かな夜』は、今回読んだ短編集『ドレス』にも収録されていて、だからこの本を買いました。「そういう話」の短編集なら絶対好きだと思ったから。

そんな経緯で手に入れて読んだ『ドレス』ですが、もう、めちゃくちゃすごかった!これが藤野可織か…!
本書は全8編の作品が収められています。

『テキサス、オクラホマ
ドローンの保養所でバイトをしていた女性の話。

『マイ・ハート・イズ・ユアーズ』
小さくてかわいい夫の子どもをつくる決心をする女性の話。

『真夏の一日』
日焼け止めを塗って観葉植物に水をやって、ギャラリーに出かける話。

『愛犬』
おしゃれな家で飼われていた皮膚病の犬のことを、誰も覚えていない話。

『息子』
マンションの非常階段にいるはずの息子の話。

『ドレス』
可愛い彼女が不気味なアクセサリーにのめり込むのを見守る男性の話。

『私はさみしかった』
秋になるとさみしかった子どもだったことを思い返す女子高生の話。

『静かな夜』
レンジフードから聞こえてくる声に耳をすます話。


本当に、どれも短編なのにずっしりと重量のある、でも地面にのめり込むような重さではない、不思議な話ばかりです。心の急所を突いてくる。

全部語ると長くなるので、ここでは一番心を鷲掴みにされた、表題作の『ドレス』について書いておきます。

デート中、かわいらしい雰囲気のるりの耳たぶに、ごつごつとした鉄製のイヤリングがつけられているのに気づき、彼はぎょっとする。るりはそのイアリングを気に入っていて、「かわいい?」と聞いてくる。しかし彼にはそれがただのゴミにしか見えない。

 るりはしんなりとした素材のベージュのブラウスと、やはりしんなりとした素材の真っ白なプリーツスカートを履いていた。パンプスだけが濃い色をしていて、彼には紺色に見えた。また、るりは顔まわりの顎までの長さの髪を頬のカーブに沿って垂らし、残りの長い髪はうしろの低い位置でひとまとめにして鼈甲の柄のバレッタで留め、両の耳を大胆に出していた。しかしその耳は、輪郭部分を完全に鉄で覆われた、鈍くぎらつく耳だった。耳の穴とその周辺のいくつかの起伏だけが、彼の見たいるりの本来の耳だった。(P.138)

彼はそのアクセサリーに対する嫌悪感をやんわりと伝えようとするが、言えない。るりはどんどんそのアクセサリーにのめり込んでいく。彼はそのアクセサリーが「ドレス」というブランドものであることを知り、誕生日プレゼントとして贈ることを提案する。しかしるりはいらない、と即答する。「ドレスのアクセは自分で買うから(P.148)」。

つまりそういう種類のものなのだ、「ドレスのアクセ」は。

語り手として持ってきているこの「彼」というキャラクターが素晴らしいです。この小説の語り手として「彼」以上の適役はいないだろう。悪い奴ではない、よく言えば素直な人なんだけど、価値観が固定されている。彼には「ドレスのアクセ」を理解できない。

 なんなんだろう、と彼は思った。今このときも、ここから何駅も隔てた通販会社のオフィスで、るりは耳を鉄くずで固めて働いているだろう、でもあれはいったいなんなんだろう。彼女とは、大学時代の友人の紹介で知り合った。正確には、大学時代の友人の彼女の友人だ。るりを一目見て、自分にふさわしいと思った。一目惚れしたとか、そういうことではなかった。自分の容姿や職業の客観的かつ社会的なランキングのようなものがあるとしたら、それはきっと彼女の、女としての客観的かつ社会的なランキングと釣り合うだろう、ということだった。
(中略)
 るりにとってもこれは悪くない展開のはずだった。彼の考えでは、るり程度の女にとって、自分以上の男は高望みというものだった。自分にとってのるりと同じように、るりにとっての自分は、望みうる限りでもっともましな男であるはずだ。(P.144-145)

こういうことを書いちゃう藤野可織が好きだ。容赦がない。
彼には独りよがりなところもあるけど、精一杯るりを大事にしているし、愛情を持って接している。るりもそれを嬉しく思っている。彼ほど自覚的ではないにせよ、るりも一般的な価値観に沿って生きるタイプに見える。でもこれまでの人生において受け入れてきた世の中の価値観、女性らしさというものに対する違和感が心の底に沈殿している。

わかる、すごくわかるんです……。こういう圧力って、相手に悪意のないことがほとんどなので、あまり反発するのも大人げない。でも地味にストレスとして積み重なっていくものなのです。とはいえそれでも生きていかねばならないので、身を守るための心の鎧が必要になってくる。

押し付けられる女らしさへの違和感、とかいうと月並みなんだけど、それを異様なアクセサリーという形で描くことで、月並みな言葉にすると滑り落ちてしまうあれこれをうまく掬い上げている。そして女性らしさの押し付けへの抵抗に「アクセサリー」というものを選ぶところが、これ以外にないだろうという感じだ。ハイヒールで背筋を伸ばすのに似ている。戦うときにはドレスアップしないといけないから、アクセサリーとして表出させるのは、心情的にものすごく納得できます。

私にも、私にとっての「ドレスのアクセ」はある。きっと誰にでも、それぞれその人なりの「ドレスのアクセ」があるのだろう。これは自尊心の問題だ。
「彼」が代表するような人たち糾弾したいわけではありません。ただ世間体とか常識とか、社会でサバイブするための戦略みたいなものが、空気中いたるところに潜んでいるよね、という事実を共有したい。多分そこがスタート地点だと思うから。


あぁ、だめだ、無理、私の語彙力では『ドレス』の凄さがうまく伝わらない…。この作品の、ラストシーンがめちゃくちゃ良いんですがここでは書きません。そして随所に差し込まれる日常的なあれこれに仕込まれた刃の切れ味が凄かったです。伏線が待ち伏せして切りかかってくる。藤野可織、鬼才だな…

『ドレス』以外の作品も、ものすごく濃くて堪能しました。もうこれはずっと追いかけなくてはいけない作家だ。こういう小説を書く作家が同時代にいるって、幸せだな。