好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

映画『異端の鳥』を観てきました

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SFマガジン6月号で紹介されていたのを読んでからずっと公開を待っていた『異端の鳥』、ようやく公開されたので行ってきました。非常に良い映画だったので観て良かったけれど、万人受けする映画ではないのでなんともお勧めし難いところ。でもすごく良かった。

つい最近気がついたのですが、この『異端の鳥』、原作は小説『ペインティッド・バード』なのでした。そうだったのか!!実は読みたかったのにまだ読めてない本です。あれは忘れもしないX年前、神戸・三宮のジュンク堂で海外文学の棚の大きさに感動していたとき、この本が並んでいるのを確かにこの目で見たのでした。ただ、旅先だったので「帰ったら買おう」などと思った自分の甘さを呪う。売ってないんですよ……! しかもうちの近所の図書館にも置いていなかった。そのうち、そのうちと思っていたら今日になってしまった……。映画観て一層読みたくなったのですが、松籟社さん、在庫ありますでしょうか?

というわけで小説は読んでいない、映画鑑賞のみでの感想となります。3時間弱の長丁場、しかもその大半が暴力と悪意と死という気が滅入る映画ですが、観終わった後もずっといろいろ考え続けてしまう映画でもありました。
どんな話かというと、一人の少年が無慈悲な世界を彷徨い歩く話です。あらゆるところで暴力に遭い、あるいは目撃し、拳で、鞭で、言葉で殴られ、でも歩き続ける話です。人々は基本的に人工言語エスペラント語)を話し(ているらしい、聞き分けられなかったけれど)、3時間弱ずっとモノクロのまま、少年の黒い瞳がじっと世界を見つめている。
殴ったり殴られたり、動物が死んだりするのが苦手な人には残念ながらお勧めできない映画です。苦手な人はほんとにやめておいた方がいいです。笑い声などまず聞こえない、耳を打つのはすすり泣き、怒鳴り声、苦痛の叫び声が大半ですので。

それでもすごく良い映画だったので、大丈夫ならぜひおすすめしたい。神に見捨てられたかのような悲惨な世界の映像美が凄かったです。それに、異端の鳥っていい邦題だ。
全編モノクロなのは終末感を出すためだろうか。世界は色に溢れた鮮やかなものではないということか。とはいえ画面に赤が無くても、人々が流す鮮烈な血の色が見えるようだった。

ネタバレというほどのネタバレは特に無いようなストーリーなのですが、内容の細かいところまでがっつり触れているので、ここから下は隠しておきます。


シーンごとに小見出しがついてたけど、あれは小説の章立てに対応しているんだろうか? 話を整理するために記憶を頼りに振り返ってみる。話の順序がどこか間違っているかもしれませんので、悪しからず。

1.親戚らしき老婆(焼き殺される貂?、つぶされる鶏):両親の迎えを待つ日々。突然の老婆の死、次いで家が火事になり放浪開始。
2.ロマらしき老婆(少年の頭をついばむ烏):ロマらしき老婆に買われ、呪術の手伝いなどをする。疫病が流行り、少年も罹患するが生き延びる。村の男に川に突き落とされて追放される。
3.粉屋の夫婦(発情する猫):流れ着いた風車小屋で年嵩の夫、妻、使用人の男の三角関係の緊張が爆発する。使用人の男は嫉妬に狂った夫に両目をくりぬかれる。
4.鳥屋の男(群れに殺される鳥):鳥屋の助手として働く。鳥屋の男は森に棲む女を愛していたが、女は村の若者たちを誑かした廉で村の母親たちに殺される。女を失った鳥屋は絶望のあまり首を吊る。少年は鳥屋の鳥をすべて空に放つ。
5.ナチス(片脚を怪我した馬):森で負傷した馬を見つけ、助けるつもりで村に連れて行くが、馬は殺される。村を訪れたナチスユダヤ人であることを見抜かれ処刑されそうになるが、処刑執行役の男に見逃され逃亡する。
6.逃亡生活(?):隠れ家を構え、他人の納屋から食べ物を盗んで生き延びる。収容所行きの列車から逃げようとして殺されたユダヤ人たちの荷物を漁り、死んだ少年のブーツを奪う。しかし再びナチスに見つかる。
7.サディストの男(吠えかかる犬、ひしめく鼠):ナチスの男に命乞いして生き延び、善良な司祭に拾われる。教会に来ていた男に引き取られ、再び地獄の日々が始まる。森の中の鼠の穴倉に男を落して殺す。後ろ盾だった司祭が病気で死に、その葬式でヘマをして村の人々にドブの中に投げ込まれる。
8.北国の女(家畜のヘラジカ?):吹雪の中行き倒れたところを若い女に拾われる。病気の老父は冬を越えると亡くなり、女と二人でつかの間幸せに暮らす。しかし女は少年との性行為に満足できず、家畜のヘラジカ(あるいはトナカイ?)と獣姦に及ぶ。少年は女を寝取った家畜の首を掻き切り、寝室に投げ込んでから家を出る。
9.共産党の軍人(?):コサックに襲われた村にやって来た赤軍の軍人に拾われる。やられたらやり返す精神を教えられ拳銃を貰い、孤児院に送られる。
10.孤児院生活(?):何度も脱走を試み、折檻される。市場で商人の男に殴られ罵倒され、拳銃で撃ち殺して復讐を遂げる。
11.父との再会(?):父親が迎えに来るが、自分を置き去りにした彼に心を閉ざす。しかし最後は自分の名前を取り戻し、父と共に家路につく。

うーん、さすがのボリュームだ。
シーンごとに動物が象徴的に使われているのが気になって()で併記してみました。(?)は特定の動物が見当たらなかったパート。
正直ユダヤ教的象徴は知識がなさすぎて何もわからないです。象徴的意味があるのかどうかも不明だ。最後に父親と再会した夜は蝋燭がともって人々が集っていたから、何らかの宗教的儀式をしているのかなと思ったけれど、特定はできなかった……小説を読めばわかるだろうか。

ただ、動物たちは人間たちであって、人間たちも動物たちであるという構造になっているのはわかる。最初の貂(なのか?)が焼き殺された理由はわからなかったけど。あと北国パートの後で特定の動物が象徴的に出てくることがなくなるのって、それまでは動物たちが人間の象徴的役割を果たしていたのが、あの時点から人間と動物が同等になったからなのだろうか。もっともその前から人間たちは獣性をむき出しにしてドタバタしていたわけだけれども。

少年は最初ひたすら耐え忍ぶ態度だったけど、だんだん反撃することを覚え始めるのは逃亡生活パート以降なんですよね。少年がユダヤ人であることがはっきりするのも逃亡生活パートからだった。ここがターニングポイントか。それまでは時代を特定しない話だと思っていたのですが、ここで時代と少年の背景が確定して、一気に歴史色・戦争色が濃くなった。
逃亡生活パート以前は割と流されるままだったけれど、処刑係の男が行けよと顎をしゃくって逃がしてやってから、彼は能動的に生を志向してサバイブし始めたように思う。群れに帰れない異端の鳥は一人で生きていくしかないから、ここで覚悟を決めたのか。

少年はユダヤ人だから、旅の目的地が「家に帰る」であるのはよくわかる。少年はユダヤ人だから、キリストに彼は救えないし、むしろ迫害すらするだろう。そして少年はユダヤ人だから、終わらない家路をずっと辿っているだけで、まだ帰りつけてはいないのかもしれない。家族には会えても、安住の地はまだ遠い。

無垢な瞳で穢れきった世界を見つめていた少年は、それでも自らすすんで穢れたもの達の仲間入りをしようとするのか。こっち側にきてしまうのか。しかし穢れなき存在は死んで退場するしかなく、生き続けるならドブに頭まで浸かるしかないのだろう。動物たちが人間たちに危害を加えられるたびに衝撃を味わっていた少年も、自ら首を掻き切るところまでいってしまう。
とはいえ罪なくして生きられるわけでもないし、そもそも獣的な世界が穢れの世界というわけではないはずだ。
子供だから無垢なのではなく、動物たちに罪がないわけでもなく、生きるということは基本的に汚らしいものだ。動物は殺し合うし、群れに異分子が混じれば排斥するし、性交の最大の目的は繁殖である。産めよ殖えよ、そして奪い合え。それはことさら穢れた世界というわけでもなくて、単純に、ベールが剥がれてむき出しになった姿というだけの話だ。日頃は綺麗なべべを纏って取り澄ましていても、所詮はただの肉の袋である。たまに顔を出す慈悲も弱者を嗤う悪意もあるべくしてあるもの。だからほら、自然界ってそんなに美しいだけのものでもないよねっていうのを、わかってるけども、まざまざと見せつけてくる映画でした。つらい。
ヴェネツィア映画祭で途中退場者が続出したのもわからなくもないけど、目や耳に痛いのはそれが本当の事だからで、まぁそれを見せつけられることを映画に求めるかどうかっていう問題なんだろう。私は観て良かったと思っていますが、万人がそうではないよな。

しかしとてもよい映画でした。スクリーンで観てよかった。