好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

藤井佯 編『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』を読みました

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文学フリマ東京38で我が家の本棚にお迎えした本。「故郷喪失」をテーマにした、SFや私小説やエッセイなど全13篇のアンソロジーです。とてもよかった。

なぜテーマが故郷喪失かという点については、この本を刊行する前にクラウドファンディングをされていたページに詳しく書かれているので下記リンク先をどうぞ。当然本書にも言及があります。クラウドファンディングについては情報をキャッチできていなかったのですが、「採用した作品に謝礼を払うため」という目的が非常に真っ当でいいなと思いました。

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購入直後くらいにXでも呟いたのですが、編者の藤井佯さんによるまえがきがとても良くて、これだけで本全体に対する信頼度がめちゃくちゃ上がる。

 語るということは特権的な行為である。この本において当事者が語ることでさらに不可視化される当事者が出てきてしまうことは避けられない。また、故郷喪失という言葉自体によって不可視化される語りが存在する。(P.8)

収録作品の中で特にぐっと来たものがいくつかあって、そのうちのひとつは城輪アズサ「ロードサイド・クロスリアリティの消失」、県道沿いのゲーム屋の横に置かれたベンチの思い出について書かれたものです。オンラインとオフラインの交じり合った交友関係と、サービス終了したSNS。これを故郷喪失と呼ぶの、めちゃくちゃわかる。私はこの著者と同世代ではないけれど、小道具を少し変えれば同じような思い出として記憶から引きずり出すことはできる。酢だこさん太郎やよっちゃんを買って食べた(私は駄菓子を親に禁止されていたのでめったにできない冒険だった)店の前の色褪せた青いベンチとか。公園の藤棚の下の木製のベンチでゲームボーイ片手に集まるクラスメイトとか。それは失われた楽園というには語弊があって、作品内で書かれているように苦い思い出や後悔もある。だけど、そういう場を持っていたことがあるということが、今はもう失われていることも含めて、なかなかにすごいことだと思うのだ。今後私はあの時の思い出を美化して都合のいいように加工してブラッシュアップしていくんだろうな。

伊島糸雨「塵巛声」もすごく好きな作品でした。故郷を捨てて彷徨う信倮(しら)の民の物語。何のための人生なのか。故郷を失って、全て失っても生き延びることにどれだけ価値があるのか。ただ命をつなぐよりも大事なものがあるんじゃないか。生きることはそこまで正しいことなのか。それでも、生きていなければ後悔すらできないのも事実。そしてそれらを物語る紙面の字面の美しさよ。こういうの好きです。

「わたし」がドイツの語学学校で知り合ったイラク人ナディールくんの思い出を語る万庭苔子「回転草(タンプルウィード)」と、芙遠と書いてフォンと読む名前を持つ日本人の疎外感を描いた玄川透「富士の雅称」も好きでした。読んでるとしんどいんですけど、読まなきゃよかったなんて思わないしんどさ。よりどころとなるところがないという意味では、親との確執というのは致命的だなというのが察せられる作品もあり、故郷喪失にもいろいろあるのだな、というのが具体例によって示されるというのがこのアンソロジーの面白さでしょう。


さいごに私自身の話をすると、私は土地へも共同体へも特に執着はしていないと思っているタイプで、「住み慣れた土地を離れることはできない」「生まれ育った土地で死にたい」みたいな話は正直ずっと理解できなかったし、今も共感はできないです。たぶんもともと共同体に深くコミットしたくないタイプだから、どこに行っても同じと思っているんだろう。不当な理由で追い立てられるのはおかしいだろとは思うものの、過ごしにくくなったらさっさと見切りつけて移動するタイプで、SNSやHNも割と定期的に変えてきたほうです。だから、故郷喪失と言われても読む前はあんまりピンとこなかった。故郷なんて別になくていいとも思っているし、もともと持っていないければ喪失もしようがない。ずっと首都圏暮らしだし。でも例えば私が意識だけの情報生命体になったとしたら、自分の肉体を故郷と感じるのだろうか? ……あんまり思わなさそうだな。言葉の通じない場所に行ったら日本語での生活を故郷と感じるかもしれないけれど、とくに予定はない。
なので教えてほしいのです。故郷喪失の痛みを。寄る辺ない立場で在ることの不安定さを。心休まる場所を持たないことの辛さを。私はたぶん、一生わからないだろうけれど。決してわからず、知らないからこそ聞かせてほしいのだ。それは傲慢さでもあるだろうけど、無かったことにするよりましだと思って、お手数おかけして申し訳ないけれど、どうか語ってください。

巻末の編者エッセイも興味深く読みました(書き手の階層の偏りに言及しているのが冷静で良かった)。まだ積んである藤井佯さん編集のアンソロジーがあるので、読むのが楽しみです。