好物日記

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『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』を読みました

シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテムの編集によるイスラエルSFアンソロジーの翻訳です。訳者は中村融安野玲市田泉、植草昌実、山岸真山田順子
竹書房文庫として刊行されているのですが、全718ページの翻訳小説にしてたった1500円(税抜)というのは安すぎないですか。全16編の短編小説+編者による「イスラエルSFの歴史」という解説付き。大丈夫なのか竹書房。ありがたいけれど心配になる。表紙のデザインと紙質、好みでした。

本書はイスラエルSFのアンソロジーとして、アメリカで2018年に刊行されたものの、日本語訳版です。『シオンズ・フィクション』として刊行された時点ですべての作品が英語なわけですが、作品として最初から英語で書かれたものと、ヘブライ語・ロシア語で書かれた作品が英語に訳されたものが混じっています。日本語訳は英語版からの訳なので、ものによっては重訳になるわけですが、それでもまずは刊行され読まれることに意味があると「訳者(代表)あとがき」に書かれていて、まったくその通りだと思う。ありがたや。なお日本語版刊行の経緯については「訳者(代表)あとがき」に詳しく書かれています。

そもそもイスラエルSFの定義とは何か。編者2名による「イスラエルSFの歴史」では「イスラエルの思弁小説(スペキュラティヴ・フィクション)」を「ザイファイ(Zi-fi)」と名付け、以下のように定義しています。

 ザイファイ――われわれはこの用語をつぎのように定義する。すなわち、イスラエルの市民、ならびに永住者――ユダヤ人、アラブ人、その他を問わず、居住地がイスラエル国内であれ国外であれ――が、ヘブライ語アラビア語、英語、ロシア語など、聖地で話されている言語で書いた思弁的文学である、と。(P.625、「イスラエルSFの歴史」)

イスラエルで主に話されている言語で書かれた作品」が定義というのがフレキシブルで面白い。ロシア語が入っているのは、ソ連崩壊後に多くの移民が流入した結果、イスラエルにロシア語圏が形成されたからという背景があるらしい。それなら同じように大移民が発生した場合には他の言語によるザイファイが新たに生まれる可能性もあるわけだ。土地ではなく、言語でもなく、意識を核とした集団であるイスラエル人ならではなのかもしれない。

さて、このアンソロジーに収められた作品についてなのですが、バラエティ豊かでとても楽しかったです。文化は違っても同じ人間だなと思うことがしばしばあった。しかし同じ人間でも違う文化圏なんだなと感じることもやっぱりある。それがいいのだ。
とはいえ全16編というボリュームなので、すべてに言及するのはちょっと無理です。ここでは特に気に入った話だけ、いくつか書いておくことにする。


■ケレン・ランズマン『アレキサンドリアを焼く』(山田順子 訳)
アレキサンドリア図書館をもとにした話。タクシーのような「バブル」、主人公の兵士たちが身に着ける近未来的ヘッドバンド、「空間ワープ・フィールド」、兵士が口にする「再構成」「バックアップ」などの単語が実にSFでとても好み。それにアレキサンドリア図書館が掛け合わされるのだから、最高でないわけがなかった。

 「ほんとうにごめんなさいね。翻訳機を現地語適用する調整に手間どってしまって」女性は行きをはずませながら、わたしたちの前で足を止めた。「あなたたちは正確な辞書を作るべきだわ。適切な用語をみつけるのに、五十ゼタバイトも調べなきゃならなかった。語源がみんなばらばらなんだから」
 わたしは女性をスキャンした。人間。あるいは、かぎりなく人間に近い模倣物。少なくとも、スキャン機能はそう認定した。シルが息をつく。彼のスキャン機能も、わたしのと同じ判定をしたのだ。(P.81、『アレキサンドリアを焼く』)

図書館というのはデータの保管庫だ。人間は貪欲だから、あらゆるものを記録して、保管しておきたがる。数字や、文字や、映像で。保管するには形にしなくてはならず、形のないものは遺せない。残せるのはデータだけだ。
人生のバックアップを取れば、その人は残るのかといえば、そんなわけはない。その人自身を知っているほど、そんなわけないと思う。
データは「それそのもの」の影でしかない。それでも、影でも、残したいと思ってしまうんだよな。いずれはすべて消えゆくのに。


■モルデハイ・サソン『シュテルン=ゲルラッハのネズミ』(中村融 訳)
科学実験によって生み出された「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」と人間との戦いを描いた短編。寓話なんだけどコミカルでとても面白かった。オチも良い。だいたいもう、「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」って響きがすごく好きだ。


■サヴィヨン・リーブレヒト『夜の似合う場所』(安野玲 訳)
何らかの理由によって文明が滅びた後の世界で生き延びる人を描いた作品。全体的に薄暗い雰囲気で、非常に嫌な読後感で、私はそういうの嫌いじゃないんです。ストーリーは、列車の中の喫煙車両で「その瞬間」を迎えた主人公ジーラの視点で進む。彼らが新たな住まいとした小さなホテルの廊下のほの暗さや、時折やって来る竜巻が吹き上げる砂のざらつきが感じられるような。彼らが拾って育てている子供が、だんだん成長していく可愛らしさがつらい。
亡くした人の記憶との付き合い方とか、急変した世界との向き合い方とか、一緒に暮らすようになった男との暮らしだとか、ディテールがすごくよかったです。なんだかんだで月日は流れ、新しい日常が生まれて、ラストはまあそうならざるを得ないよな、と思う。清濁併せ持つのが人間だ。


■ペサハ(パヴェル)・エマヌエル『白いカーテン』(山岸真 訳)
語り手の妻イリーナの死をなんとかして回避しようとする掌編。分岐ものです。非常に短い話ながらよくまとまっていて、最後の一文がすごくよかった。


他の作品もそれぞれ面白かった。それに何といっても巻末解説の「イスラエルSFの歴史」は、SFの話だけに限らずイスラエル文学史についてまとめられていて、非常に参考になりました。こうして英語で刊行してアピールしていくっていいなぁ。日本でも最近そんな動きが生れてきているので、これから楽しみですね。もっとダイナミックになるとさらにいろいろ面白いんだろうな。

満足の一冊でした。竹書房、刊行ありがとうございました。