好物日記

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『中国女性SF作家アンソロジー 走る赤』を読みました

2022年の春に中央公論新社から刊行された中国女性SF作家アンソロジーを、先日ようやく読みました。えっ、めっちゃ面白いんだけど、えっ! という嬉しい驚きに満ちたアンソロジーで、大満足。

書名の通りこのアンソロジーは「女性作家であること」「中国の作家であること」をテーマに集められた作品を編んだもので、私は「中国の作家であること」の条件に特に興味を持って手に取った派です。前から読もう読もうと思ってはいたのですが、2022年は仕事が非常に忙しく、こんな時期になってしまった。しかし読んでよかった、好きな作品ばっかりだった! 言語SFが多めだった印象ですが、私も言語SF大好きなので好みに近かったのかもしれません。
全14編、すべて訳しおろしの日本オリジナルアンソロジーという贅沢さ。日本側の編者が『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』の選者でもある橋本輝幸さんと、中国史SFアンソロジー『移動迷宮』の編者でもある大恵和実さんなのだから、もう間違いないのだ。中国側の編者は未来事務管理局の武甜静さんという方で、序文がすごく良かった。

 SFが好きな人は宇宙の彼方に想いを馳せ、命の形や社会の可能性について思考実験を繰り返すような人達だから、世界で一番好奇心旺盛でオープンマインドな人達だと言われている。いつか「性別」が人の、作品の価値を判断する要素でなくなるなら、SFファンとして、その過程でポジティブな影響力を発揮したい。(P.1)

各作品の扉に著者略歴と作品についての簡単なコメントが書かれているのも丁寧でありがたい。80年代生まれの人が多いなと思ったら、中国SFの盛り上がりに深くかかわる年代であることが理由のひとつであるようで、そのあたりは巻末の解説に詳しいです。なんとなく、著者が同年代だと親近感が湧く。
女性作家のSFアンソロジーだから、ではなくて、普通にSFアンソロジーとしてとっても面白い本だったということが、私はとても嬉しい。同じ女性として嬉しいんじゃなくて、いちSFファンとして嬉しい。
私はフェミニストを自称していないけれど、男女の扱いが公正な社会の実現を願っており、それはなんでかっていうと、そういう世界の方が楽しそうだからだ。単純に、男性も女性も同じように書いてくれた方が、生み手の母数が増えて面白い作品が生まれる確率が上がると思っているからです。良い作品はいくつあってもいいものだ。もっとたくさん読みたいんです。


以下、各作品の簡単な感想を記載しておきます。ネタバレはしてないつもりですが、未読の方はご注意ください。


「独り旅」 夏笳 著/立原透耶 訳
宇宙船でひとり旅する老人の話。
この短編を、アンソロジーの冒頭に持ってくるところがたまらない!初っ端からぐぐっと引き込まれました。
読む人それぞれの頭の中にイラストが浮かんでいたことだと思うけど、私の頭にはタンタンみたいなバンド・デシネ風の絵柄が浮かんでいた。セリフのない、効果音だけの素朴な絵。独り旅という孤独さと、自分の生活を自分で律する高潔さを感じた。


「珞珈」 靚霊 著/山河多々 訳
武漢大学にワームホールが発生する話。「故郷」がテーマの競作で発表された作品とのこと。
作品内では春節だけど、日本でいう正月をひとり総菜屋の正月セットで過ごすような寂しさを感じて好きだ。ラストの母娘のシーンがすごく好き。
豚の角煮は美味しいけど、二鍋頭酒がわからずググりました。日本でいうところの金麦飲むような感じか?


「木魅」 非淆 著/大恵和実 訳
幕末の日本にやってきたエイリアンの話。シスターフッドもの。
エイリアンは良い。ヒトと異なる姿かたちだと尚良い。エイリアンの一人称なのがまた良い。幕末舞台のエイリアンものって初めて読んだな。ラストの解放感が好みでした。すべての存在よ、幸せになれ。


「夢喰い貘少年の夏」 程婧波 著/浅田雅美 訳
三重県の山奥にある実家に帰ってきた美大生の話。
『木魅』もそうだけど、日本の作家が中国を舞台にすることがあるように、中国の作家が日本を舞台にすることもあるよな、というのを、なんとなく不思議な気持ちで読む。三重弁とか、ちょっと違う発音になるように書くんだろうか。
妖怪が出てくる不思議な話で、これは舞台設定が夏休みでないとだめだというのがよくわかる。ちょっと不気味で、とてもいい。

[ ... ] 東京の全ては、目の前のよく知っているようであまり知らない故郷とは、全く異なる世界に存在している。まるで池の中で全く異なる速度で回転し、全く異なる風景を映す二つの水泡のようだ。(P. 58)

上記のような比喩に出会うと、中国SFを読んでる感が強まる。水泡をチョイスしてくるところが、欧米とも日本ともちょっと違う。根拠はないけど、漢文の風味を感じるというか。好きです。


「走る赤」 蘇莞雯 著/立原透耶 訳
オンラインゲームのウイルスに感染した意識体の少女の話。
表題作ですが、これがまた話の盛り上げがすごくうまくて、ゲームの観戦者のように手に汗握りつつ読み進め、盛り上がってしまったことを読了後にちょっと気恥ずかしく思った。まんまと踊らされてしまって悔しい……でもカウントダウンなんてされたら鼓動が早くなってしまう。すごく良かった。


メビウス時空」 顧適 著/大久保洋子
恋人と喧嘩した勢いでコテージを飛び出し、山道から車で転落してしまった青年の数奇な運命の話。
あ、これ、あ……となってどう繋がるかわかるんだけど、わかるからこそ良いというタイプのストーリー。ある意味ホラーでもあり、好きな話でした。うまくつながるものだなぁ。「クラインの壺」の章が一番ドキドキした。


「遥か彼方」 noc 著/山河多々 訳
ゲームのNPCと交流する「孤島の光」、ワックスをかけたフローリングで泳ぐ「阿林」、帰省して居心地の悪い思いをする「夜明け方三時に僕はほのかに光り回転する正十二面体になる」、厳かに儀式を行う「遥か彼方」の四つの掌編から成る作品。
すごく好きなやつ……どれが、とはいえず、どれも。「孤島の光」のポップさ、「阿林」の美しさ、「夜明け方~」の気まずさ、「遥か彼方」のむなしさ。でもやっぱり幻想系が得意のようで、わざと少しずらしたところに抒情を感じる。しかし訳文がいいな。


「祖母の家の夏」 郝景芳 著/櫻庭ゆみ子 訳
うだつの上がらない学生が変わり者の祖母の家でひと夏を過ごす話。
発明家の祖母がとにかく格好良くて、かくありたいと思う。「大丈夫、何でもないわ」って、本心から口にすることがどれだけ難しいかは、年を重ねるごとに痛感している。やせ我慢ではなく、気配りではなく、本心であるということがどれだけ素晴らしいか。


「完璧な破れ」 昼温 著/浅田雅美 訳
言語学選考と物理学選考の若い男女のカップルが世界平和を目指しすれ違う話。
世の中のままならなさに直面しながらも、柔らかな陽ざしがゆっくり部屋を暖めるような素敵な話でした。世界を見限るにはまだ早いと思わせてくれる。
「だから、本当の意味で相互理解というものは存在しない。(P.199)」というのはまさにその通りだと私も思っているけど、そこに力強く「しかし」の逆説でひっくり返してくれる快感が良かったです。これぞフィクションの力!


「無定西行記」 糖匪 著/大恵和実 訳
異星人と地球人がコンビを組んで、北京とペテルブルクを結ぶ道路を敷設する旅に出る話。
非常に好みでした。北京城とペテルブルクという固有名詞を出しておきながら、しれっと外宇宙人などという単語を紛れ込ませてしまうところがいい。コミカルで楽しい一作。くだらないことに命を懸けて、でも人生ってそういうものかもしれないし、そういう人生のほうが楽しそうだよな。遊びは命がけでやらないとね。


「ヤマネコ学派」 双翅目 著/大久保洋子
17世紀のローマで設立されたヤマネコ学派の架空の歴史を語る話。
私はヤマネコ学派について全然知らずに読みましたが、ヤマネコ学派が存在することは史実だけどそれ以外はほぼフィクション、とのことなので大丈夫です(でも知っていればきっともっと楽しめる)。架空史ものは、時代小説とも歴史小説とも違う、独特の魅力がある。ローラン・ビネが好きな人はきっと楽しめると思う、というか、私がそうでした。あたかも史実のようにほらを吹くのは小説家の特権ですね。
猫派の方はぜひ。


「語膜」 王侃瑜 著/上原かおり
話者が少なくなった「コモ語」を正しく発音できる女性教師と、英語で育った息子の話。
コモ語は実在しない言語だけど、コモ語のような消滅危機言語は実際にたくさんある。方言を含めればもっと。
タイトルにもなっている「語膜」というのは言語の自動翻訳を行うときに自然な翻訳にするためのもので、コモ語ネイティブである女性教師の「言語的風格」が自動翻訳された文章に適用されるのだという、その設定が面白かった。自動翻訳界で、語膜って一般用語なのかな。それとも作中の特殊用語なのか。
ひたすらしゃべり続ける女性教師の独白パートと、息子のパートが交互に来る構成も良かった。どんどん盛り上がってラストを迎えるあの加速する感じ、好きです。


「ポスト意識時代」 蘇民 著/池田智恵 訳
カウンセラーをしている主人公が、患者たちの中に不安障害の症状を持つ人が急増していることに気づく話。
都会の人々に忍び寄る何かの描き方が素晴らしい。現代ホラーだ! 電気がなかった頃やインターネットがなかった頃に比べたら社会はずっと便利で効率的になっているはずなのに、何か失くしてしまった気持ちになるのはなんなんだろうか。変化があまりに急激だと追いつけないものなのかな。
ラストがめちゃくちゃよくて、おもわずぐっときてしまった。


「世界に彩りを」 慕明 著/浅田雅美 訳
網膜調整レンズが普及した世界で「特別な目」を持つ女性の話。
ストレートに、いい話でした。技術の進歩がもたらす輝かしい未来と、それによってどうしても零れ落ちて置き去りになってしまう過去のすばらしさと、どちらも価値あるものとして扱っているのが好き。目に見える世界もそうだけど、きっと聴覚も、そして言葉も、ある特定のフォーマットに落とし込むと、そのフォーマットで処理できないものは捨てられてしまう。人間に超音波は聞こえないし、日常遣いの言葉で表現できないものは存在しないことにされてしまいがちだ。
アンソロジーの最後にこれを持ってくるのがまたニクい……とても良かった。


全編、楽しませていただきました。このボリュームとクオリティで2200円はお買い得でした。