好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ジム・トンプスン『ゴールデン・ギズモ』(森田義信 訳)を読みました

本屋で積んであるのを手に取って、冒頭部分に撃ち抜かれて、酉島伝法の解説をちらっと読んで、即買った本です。とても好みだった。

 トディが顎のない男としゃべる犬に出会ったのは、あがり時間まぎわのことだった。午後三時になろうとするころだ。(P.3)

主人公のトディは家々を回って、物置だの屋根裏だのにしまい込まれている古い装飾品などの金目のものを買い取るのを生業にしている。善良な市民とは言い難く、これまでの仕事でやらかしたあれこれによって、いくつかの州ではお尋ね者になっている。買い取ったものは仲買人のところに持って行く。仲買人は気のいい小男で、トディの仕事ぶりを買っている。トディと同じ買付人仲間も、トディの仕事ぶりには一目置いている、けれどみんなが思っている。あの女房さえいなければあいつはもっと……。そんな中、顎のない男としゃべる犬の家からなんとか逃げ出し、仲買人のところから帰宅したトディは、ホテルの部屋で妻の死体を見つける。


ジム・トンプスンの小説は初めて読んだのですが、映画でも見ているようで一気読みしてしまった。映画に例えるなら「第三の男」「マルタの鷹」みたいな感じだな(ストーリーは全然違うけど)と思っていたら、こういうジャンルを「ノワール」と呼ぶらしいと知りました。ハードボイルドだなとは思っていたけど、違う呼び方があるのか。とはいえノワールとハードボイルドの境界は難しいようだけれど(wikiしらべ)。

なおしゃべる犬と言われて真っ先に思い出したのはブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』だった(しゃべる犬は出てこないけど)。ストーリーは全然違うけれど、あのドタバタに似ていなくもない、と言えなくもないかも。いや全然違うんですが、なぜか思い出すのだ。右往左往する感じが近い、のか……?
あと、しゃべる犬がどれだけ活躍するのかと期待していたのですが、ろくにしゃべらず、しゃべるという特性をそこまで生かさず基本腕力で戦うところに笑ってしまった。意味深な前フリをしておいて放り投げるんかい! 贅沢で好きだよそういうの!!!


さてストーリーに話を戻すと、トディは詐欺まがいのことをして楽して金を稼ぐ癖をつけてしまった破落戸だけど、気分屋で酒飲みの妻イレインのことを何故だか大事にしていて、どんなに稼いでも彼女の酒代に消えてしまうことを苛立たしく思いながらも離婚もせずずっと一緒に暮らしている。おそらく彼は「自分が面倒見てやらなきゃいけない」存在に依存しているのだろう。彼女は本当はトディなしでも全然やっていけるけれど、トディのほうが彼女なしではいられないのだ。トディが必要としているのは、あらゆる人から見放されたどうしようもない女でなければならなかったのだろう。そうでないと自分の出る幕がないから。

まぁ動機はなんであれ一度結婚した相手を大事にしようという姿勢はすばらしいものだ。同時に、だからといって悪事が帳消しになるわけではない。けれど破落戸なりにトディがここから先はタブー、と決めていることがあって、それがトディという主人公の魅力だ。ハードボイルドの主人公たちが時に汚れ仕事に手を染めながらも毅然とした態度を崩さないのは、世間のルールとは別の物差しを、彼ら自身の中に持っていて、それによって自分を律しているからだ。自分に嘘さえつかなければ尊厳と矜持を保っていられる。それはつまり、善良な市民の顔をした我々がいかに自分自身を日々裏切っているのかということなんだけれども。

とはいえ酒のためならなんでもするイレイン(私の中では若き日のジャンヌ・モローがキャスティングされている)みたいなタイプは、登場人物としてなら正直かなり好きだ。酒飲みの夫のために身を粉にして働く妻ならただの悲劇だけれど、逆だとなぜ雰囲気が変わるのか。どっちにしてもDVであることに変わりはないので、完全に私のひいきなんだろうけど。とはいえ実際に身近にいたらちょっと距離をおきたいタイプではある。
一方、貞節と一途さが際立つドロレス(私の中では若き日のペネロペ・クルス)はちょっといい子過ぎて心配になる。わがまま放題のイレインのほうが生きてる感じがするよな。

トディがこの事件の背景に気づき始め、相手の裏をかくために動き出してからの疾走感が最高でした。ちょっとした変装、相手によって使い分ける態度(この小悪党ぶり!)、そしてラストシーン!
あの最後のシーンはとっても映像的で、まるでそこでカメラが回っているかのようだった。トディ、今度こそ幸せになれよ。ギズモは溶けて消えた。

非常に楽しみました。ほかのジム・トンプスン作品も読まなくては。