好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

石川宗生『ホテル・アルカディア』を読みました

ホテル・アルカディア

ホテル・アルカディア

『ベストSF 2020』に収められていた石川宗生の『恥辱』がめっちゃ好みだったので買いました。『恥辱』も入った短編集、なのですが、一冊で一つの世界を構成しています。すべてはプルデンシアのために。

それぞれの小作品は、多くが「小説すばる」に掲載されたもの。雑誌で「素晴らしき第28世界」のタイトルでの連載されていた作品と、HPで「石川宗生ショートショート」として公開された作品、それに書き下ろしを追加して一冊の本として構成し直したのが本書となるようです。

 春の陽差しが花々の暖色とたわむれはじめたころ、ホテル<アルカディア>支配人ロレンソ・バルドビノスのひとり娘が閉じこもったという噂が広まりだした。
 名はプルデンシア。二年前から首都の国立大学でホテル経営学を学んでおり、大学近くのシェアハウスで暮らしていたが、一ヶ月前、学期中にもかかわらず突然帰郷した。周囲が驚いたことに、彼女は言葉をまったく話せなくなっていた。話しかけられたときは首を縦横に振るのみで、顔には始終憂いの色が染みつき、ある日の黄昏時には裏山の頂きでひとり泣きくずれているところを従業員に目撃された。ついにはあからさまに人目を避けるようになり、二週間ほど前から、敷地のはずれにあるコテージに閉じこもっているという。(P.12)

上記文章で始まる冒頭の「愛のアトラス」では、このあと奇妙な物語群が語られることになるきっかけを説明しています。ホテルに滞在している自称芸術家たちが奇妙な物語を語ることで、コテージに閉じこもったプルデンシアの気を引いて、外に出てくるように仕向けようというのでした。

目次をみると本書は7つの章に分れていて、合計で29個のお話を味わうことができる、という計算をすることもできます。煮え切らないのは、本書は千夜一夜的構造になっているために、個別にカウントするのもなぁ、と感じる掌編が複数あるからです。幕間話のような書き下ろしは別カウントとすると、独立した掌編は21編。あとは『ホテル・アルカディア』世界を補完するための書き下ろしです。これらは繋がっているけど、繋がっていない。けど繋がっているのだ!

さて掌編についでですが、どの話が好きかというのを一つだけ選ぶのはものすごく難しい。正直どれも好きで選べない。
例えば一番最初に置かれている「タイピスト <I>」は、仮想空間内の体験者の意識に文学作品をタイプ=打ち込むことで新たな読書体験を得られる「タイピング」にのめり込む話です。友人に薦められて初めてタイピングにやってきた語り手は、タイピスト<I>による『ママ・グランデの葬儀』のタイピングを経験することになる。

 と、次の瞬間、真夏の陽差しめいた激烈な感覚が二の腕を、鎖骨を、小指の先端を射貫いた。「S」に「O」に「B」、取り留めない文字群に眩惑されている間にも、新たな文字群がのべつ撃ち込まれる。肘の鈍痛、きぃんという耳鳴り、舌のしびれが文字をたぐり寄せ、数珠つなぎとなる。数多の文字が蠢動し、軋轢からママ・グランデの喪失感が熱気のごとく立ちのぼる。漏れ出る恍惚の吐息。それすら内外を巡る奔流に呑み込まれ、先に、新たに撃ち込まれた文字に融解し、流れそのものが漠々たる多幸感となって沸き立つ。(P.25)

文字ベースでこの言葉群を読んだだけですでに酔う。仮想体験でありながら、文字の味わいを強調したものであるらしいのがとても良い。いいなぁ、私も体験したいなぁ。タイピスト<I>と語り手の好みに引きずられているかもしれないけど、ラテン・アメリカ文学のほうが文字が香り立ちそうなのは、なんとなくわかる。タイプという行動との相性がよさそうだ。でも『ホテル・アルカディア』のタイプもいいかもしれない。

他にも庭に天使(と、思われるもの)がやって来る様子を描いた『アンジェリカの園』や、老犬の最後を看取った男の独白である『饗宴』もすごく好きな感じ。死ぬと星になる世界を描いた『光り輝く人』の最後の一文も痺れるし、国際調査団が超高層建造物の全貌を解き明すためにひたすら塔をのぼって行く『チママンダの街』も、上へ上へと行くにつれて変わっていく世界の様子が面白い。でもやっぱりノアの箱舟を題材にした『恥辱』が一番好きかなぁ。私はああいうのが好きなんだよな。

個別に掌編を語るのも面白いんだけど、やっぱり全体の構成が素晴らしいですよね。配置の仕方とか、世界観を盛り上げる幕間劇とか、実によく計算されている印象でした。夢と現を行ったり来たりして、いずれも夢である罠だ。
そういう意味で第4章にあたる『文化のアトラス』はこの本の核心なんだろう。廃墟となったアルカディアに残された<アトラス>のツアーの話なんですが、これがまたたまらなく良いのだ。

 <アトラス>には地元民が二六時中出入りしており、既存の<手>を読み、新しく<手>に物語をしたため、既存の<手>に貼り合わせる。物語の大半は<手>一枚程度の掌編だ。(P.210)

 特筆すべきことに、地元民には<アトラス>の保護意識が欠落している。これは「<アトラス>観」と称すべき独特の見地に基づくもので、彼らからすれば現今の<アトラス>がすべてであり、過去に消滅した<手>はてんから存在しなかったも同然なのである。(P.213)

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。人が生まれて死んでいくように、物語の集積群である<アトラス>も変化することが自然なことなのだ。死んだもののみが止まる、生きているものは常に動く。だから消えゆくものは消えるに任せる。
この世界観をうまく一冊の本にまとめ上げているのが凄く面白い。まとまりよく、でも整然としすぎない程度に雑然としている。石川宗生、何者なんだ……。

そして装丁が最高に良かったのも言っておく必要がある。川名潤さんの装丁です。もう最高。読み終わって見返すと無駄な部分が一つもないの。さすがです。カバーを外したときのデザインもすごく良かったです。

石川宗生ワールド、最高でした。『半分世界』も読まねばなるまい。