好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

「2022年の『ユリシーズ』」の読書会(第十二回:第十二挿話)に参加しました

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2021年6月27日にZoom上で開催された「2022年の『ユリシーズ』」の読書会、第十二回目に参加しました。

この読書会は2019年から隔月で開催されており、『ユリシーズ』刊行100周年である2022年に『ユリシーズ』を読了しようという壮大な企画です。ジェイムズ・ジョイスの研究者である南谷奉良さん、小林広直さん、平繁佳織さんの3名による主催。なお読書会共通のテキストとして使用しているのは柳瀬訳なのですが、柳瀬さんは『ユリシーズ』を今回の十二挿話までしか訳していないので、柳瀬訳テキストを使うのは今回が最後となります。寂しい……
なおこの記事では一参加者としての個人的な読書会及び第十二挿話の感想について記載しています。作品解説やあらすじ紹介のようなものがあるようにみえても、気のせいですし、ネタバレ配慮もしていません。
読書会の詳細な内容が気になる方は上記URLにて公開される資料をご覧ください。なんと、参加者の方がまとめた資料もあります。

第十二挿話は「キュクロープス」、単眼の怪物の章です。そして柳瀬訳ユリシーズでは語り手の「俺」が「犬」という設定で書かれていて、「発犬伝」として有名なのだとか。
実は読書会前に参考文献として『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』を紹介されていたのですが、余裕がなくて読めませんでした。そして今も読めていない……『ユリシーズ』完走してからのボーナストラックとして読もうかなと思っています。

そんなわけで私自身は「俺」=「犬」説についてはよく知らないまま柳瀬訳十二挿話を読んでいました。はっきりと犬と書かれているわけではなく、読んでいくうちに犬なんだなと推測するような書き方です。
今回の読書会では、主催者のひとりである南谷さんが「「発犬伝」の埋葬」と題した発表をされていて、発犬伝に対する丁寧な反論をされていました。複数の文体が入り混じり、癖のある話し言葉で地の文が進んで行くのを読んでいると、犬と言われれば犬のような気がするなぁなどとぼんやり考えていたのですが、理論的な反論を聞くと「確かに犬というのは無理がある」というのが最終的な結論です。面白いけども。
しかし南谷さんの発表でも言われていたように、柳瀬訳は発犬伝がキモではなくて、もっと別のいろんなところでキラキラ光るものがたくさんあるのが素敵なのだと思う。たとえば第十二挿話では人名ジョークがとても好みでした。丸谷らの鼎訳は原文の音に忠実だったのに対して、意味を含ませて遊んでいる。

 国際的な社交界の面々が今日午後、愛蘭土国有森林庁森林守備隊総隊長、騎士ジャン・ウイズ・ド・ノーランとモミィ・シンヨージュ嬢の結婚式に多数参列した。レディー・シルヴェスター・ニレコカゲー、バーバラ・カバノキスキー夫人、ポール・トネリーコ夫人、ハシバーミ・ヘイゼルアイズ夫人、ダフニ・ベイズ嬢、ドロシー・タケヤーブ嬢、クライド・ジューニホンギー夫人、ナナカマード・グリーン夫人、ヘレン・ブドーヅルリン夫人、ヴァージニア・ツターハウ嬢、(・・・以下略、P.546-547)

実はまだ第十二挿話の復習が終わっていないのですが、個人的に気になっているところはいくつかあります。ただまだ答えが出ておらず、後の挿話を読めばヒントがあるかも、と期待している状態。
そのうちのひとつが、ディグナムの幽霊の話。

――あの男が死んだのを知らないのか? ジョウが云う。
――パディー・ディグナムが死んだって! アルフが云う。
――ああ、ジョウが云う。
――だって俺があいつを見かけてから五分とたっちゃいないんだぞ、アルフは云う。いとも単純明快よ。
――誰が死んだって? ボブ・ドーランが云う。
――それじゃあいつの幽霊を見たんだろ、ジョウが云う。くわばらくわばら。
――何? アルフは云う。まさかそんな、ほんの五分しか……何?……それにウィリー・マリーがあいつといっしょだった、二人してあの何とかいう店の辺りに……何? ディグナムが死んだ?(P.510)

ブルームが午前中に葬式に出たディグナムを、酒場にいるアルフはつい5分前に通りで見かけたという場面。可能性としては誰かと見間違えたか、あるいは本当に幽霊なのかのどちらかになるわけですが、気になるのはこの話をここでわざわざ入れてくる意味です。なんでこんなエピソード入れたんだ?

これまでの挿話で出てきた幽霊といえば、ハムレットの幽霊を一番最初に思い出す。あとはスティーヴンのお母さんの亡霊のイメージくらいか。
見間違いという線で考えるなら、第十一挿話の鏡像が思い当たりますが、無理やりっぽい気もする。
キュクロプスが単眼の怪物だということからも「見る」に重点を置いた挿話ではあると思うのだけど、「埋葬の済んだ男が通りで目撃される」というエピソードがここで挿入されるのとされないのとでは何かが変わるはずで、ジョイスはこのエピソードがここにあったほうがいいって思ったんだよなぁ。もしこのエピソードがここに「無かった」としたら、何が失われるだろうか?
あるいはこの後の挿話で幽霊だか見間違いだかが出て来るんだろうか。まだ読了したことがないのでこの後のお楽しみとしておく。しかし何の意味もないエピソードではないはずなんだ……とかいってる時点でジョイスの思う壺かもしれないと思うとちょっと悔しい。

幽霊話はともかく、この挿話で一番盛り上がるのは断然ブルームVS市民のバトルでしょう。読書会でもちらっと話題にでた「愛です」は私も笑うとこだと思って読んでいました。墓地に向かう馬車のシーンでも思いましたが、ブルームってほんと世間話が下手というか、他の人とちょっとテンポがズレていて白い目で見られるタイプの人だ。当意即妙のやり取りかめっちゃ苦手そう。いい人なんだけど、それを今ここで言う? みたいなとこありますよね……見ていてほんとヒヤヒヤする。
世の中の諍いの3割くらいは言い方やタイミングで回避できるんじゃないかと常々思ってるんですが、回避せずに戦うべきときというのも確かにあって、第十二挿話のVS市民はきっとその時だったんだろう。いつも聞こえないふり見ないふりしていたブルームが言い返すのは爽快でした。ブルーム、頑張ったなぁ、こういうの苦手だろうに。

なお今回は読書会が終わってから第十二挿話を復習していたときに、「目」にまつわる表現と、「盗み」にまつわる表現にラインをひいてみました。「目」はキュクロープスの単眼からの連想。読み返していたら冒頭でいきなり煙突掃除夫に目を狙われていたのでびっくりした。一度目はスルーしていた……。
「盗み」は権威とも関連していて、結局誰が何を盗まれて、誰が何を盗んだ(掠め取った、奪い取った)んだ? というのが気になって。市民はユダヤ人やイギリス人が加害者で、アイルランドは常に被害者みたいな言い方してますけど、そういいながらブルームを害しているし。あと「鑑札もねえ分際で」とか「ちゃんとした営業許可のある店」だとか、権威や法律を持ち出す場面がいくつかあるのが気になるんですが、これらの公的なルールは正義でも公平でもないことが多くて気になりました。法律事務所を駆け回るブリーン氏も報われないし。うーん、もう少し整理する時間がほしい。

なんせこの第十二挿話、とっても長いのです。懲りずに写経を続けているのですが、とっても分厚くなりました。
そういえば読書会前にTwitterで「両面印刷159ページ」と書いてましたが、よく見たら嘘でした…なんか盛ったみたいで恥ずかしい。159ページを両面印刷なので、枚数的には80枚ですね。でも多いな。

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第十二挿話写経、努力の結晶

なお読書会ではいつもzoomのブレークアウトルームの機能を使って希望者のみ参加のフリートーク時間があります。いつもは参加するのですが、今回に限って諸事情によりマイクが使えなかったためトーク不参加でした。でも! 絶対! フリートーク参加したほうが断然面白いです。参加しない人が共通の画面に残って話す場面がつまらないとかではなくて、だって、やっぱり読んだら話したいし、話を聞きたいと思うのだ。まだフリートーク参加したことのない方は、思い切って試しに一度入ってみることをお勧めします。巧く喋れなくても、参加した方がぐっと楽しめると、私は思います。

さて次は第十三挿話、ここからは丸谷らの鼎訳を使うことになります。すでに写経始めてますが、ルビが格段に減って文体も心なしかおとなしい印象で、柳瀬文体に慣らされた身には違和感が……しかしまぁ進めていきます。
記事冒頭のURLから読書会の参加申し込みができますので(7/31現在、まだ空席はある模様)、気になる方はぜひどうぞ。