好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

「2022年の『ユリシーズ』」の読書会(特別回:第1~5挿話再読)に参加しました

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せっせと参加している「2022年の『ユリシーズ』」の読書会。2月開催だった第5挿話は諸事情により参加できませんでしたが、4月にzoomで開催された特別回には参加することができました。初のオンライン開催でしたが、進行を工夫すれば案外いけるものだな、ということが分かり、非常に参考になりました。
ただ、雑談しようとするときに口を開くタイミングが難しいというのがオンライン会話共通の悩みどころ。これまでの体感では、4~5人程度までならあまり気にしなくていいけど、6人以上になると、間合いの取り方が急に難しくなる印象です。

なお今回の特別回の範囲は、これまで読んできた第1挿話から第5挿話までの全部。これまで参加したことのなかった人が入りやすくなるし、これまで不参加の回がある参加者への救済措置にもなるありがたい回でした。そして読書会に参加した挿話についても、振り返ることで記憶を新たにしたり、気付かなかったポイントを再確認したりすることができて良かったです。

そう、今回の特別回であらためてこれまでの挿話を振り返ることで、再読という行為がかなり楽しいものであることに気付いてしまったのでした。

もともとこの読書会は、第4挿話のブルーム氏の話でスタートしています。
普通に本を頭から読む場合には「第1挿話→第2挿話→第3挿話→第4挿話→第5挿話」となるところを、「第4挿話→第1挿話→第2挿話→第3挿話→第5挿話」と読んでいる。だから最初に第4挿話を読んだとき、第1挿話で起きていることはほとんどスルーしていたのです。
いや、第1挿話の読書会のときに第4挿話との呼応関係については触れられていたんですけど、話の受け皿としての私の準備がまだ足りてなかったので、あまりわかっていなかった。
そして私自身、一応第4挿話の読書会の時に第1挿話~第3挿話も読んだんですけど、当時はジョイスの言葉選びに対する執念深さを知らなかったので、普通に「ふーん」と読み流した挙句に第3挿話の内容を全然覚えていないという状況に陥っていた。面目ない。

でも!第1挿話~第3挿話をじっくり読んだ後にもう一度第4挿話を読むと、「うーん、これってもしかして…」というのが結構あって、思わずいろいろ勘ぐってしまう。
例えばブルーム氏の猫の両の目が緑の宝石になる(柳瀬訳P.102、第4挿話、以下ページ数はすべて柳瀬訳版による)のと、ヘインズの煙草ケースに象嵌された緑の石(P.39、第1挿話)に何か関係が?ヘインズがうなされていた悪夢に出てくるのは黒豹(P.13、第1挿話)で、ブルーム氏の飼い猫は黒猫。ブルーム氏は臓物をうまがる男。
またブルーム氏が街を歩きながら「パブの前を通らずにダブリンを端から端まで歩け。貯めようたってできっこない。(P.106、第4挿話)」などと考えるのは、ディージー校長の「それは貯めることをせんからです。(P.59、第2挿話)」へのアンサーだったりするんだろうか。
あとスティーヴンの鍵とブルーム氏の鍵の対比も気になってきています。第1挿話のスティーヴンはしっかり戸締りした後でマリガンに鍵を取られちゃったのをやたら気にしていました。一方、第4挿話のブルーム氏は買い物に出かけるときに鍵を別の服のポケットに入れっぱなしなのに気がつくけれど、閉まっているみたいに見えるようにドアを調整し、鍵を開けたまま出掛けてしまう。最初に第4挿話を読んだときには普通に読み流したけど、「閉まっているように見せておく」というのがなんとなく気になる…でも何が引っかかっているのかまだわからない。

他にもいろいろあるけど、複数の挿話でずっと出てきている言葉というのがいくつかあることに今回の再読で気付きました。読み進めていけば、また繋がる点が見えてきそうな気がする。「鍵」「緑」「牛乳」「牛」「紙」とか、狙いを絞って読んでいくのも面白そうだなと思いました。
そしてこの「点」をわかりやすく可視化したものが、この読書会で挿話ごとに作成される「テーマパネル」なのでした。というかテーマパネルがあったから私にも点の繋がりが見えてきたというのが正解でしょう。すごくわかりやすい。
テーマパネルについては、読書会ホームページで公開されているスライド資料に含まれていますので、興味のある方はぜひご覧ください。

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欲を言えば「ギリシャ的」「アイルランド的」「イングランド的」とか、もう少しテーマの幅を広めてつなげていきたいという気持ちもあります。でも私はどれが何の象徴なのかという基本的な知識が乏しいので、抽象的概念でのグループ分けは力量的に無理なのでした…。だから具体的事物に頼るしかないのだ、反バークリー的な視点で!

でもそうやって星座を作るように点をつないでいくと、私にも重層的に描かれた『ユリシーズ』世界を透視できそうな気がしてきました。第3挿話の読書会で言われていた「犬が書かれている箇所では犬が書かれているのではない」というのが、だんだんわかってくるようで嬉しい。それって、いわゆる意識の流れにもつながるのだろうし。


あともう一つ「生活者として読む」というのもこの読書会の大きなテーマの一つなのですが、この辺はだんだん副読本的資料が欲しくなってきています。食事とか服装とか髪型とか店構えとか。映画なんかもよさそうですよね。
でもそこまで時代考証にこだわらなくてもいいんだろうなとも思います。マッコイの言葉を話半分に聞きながら意識は道路の向うの御婦人にあるブルーム氏の振る舞いとか、微妙にマウント取り合う会話とか、そういう細部の描き方が上手いのも『ユリシーズ』の魅力の一つだ。100年で生活様式は大きく変わっても、人間の心はそこまで変わらないものだから。


しかしまだ『ユリシーズ』全体の半分にも達していないという衝撃の事実。もうすぐ一年経とうというのに…まぁ急ぐ理由でもないのでのんびり進めます。

おまけ。
何度読んでも、第4挿話冒頭の「リアポウルド・ブルーム氏は禽獣の臓物をうまがる男である。(P.101)」という一文に痺れる。初めて読んだとき、もうこれだけで名作だって確信しましたよね…。最高。