好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ロジェ・グルニエ『長い物語のためのいくつかの短いお話』(宮下志朗 訳)を読みました

年が明ける前に、このブログに書いておかなければならないことがある。
それは、2023年にロジェ・グルニエの新刊が出たということだ!!!

ロジェ・グルニエは1919年にフランスのノルマンディ地方に生まれ、2017年に亡くなった文筆家である。レジスタンス活動家、ジャーナリスト、編集者などの経歴を持っていて、エッセイが抜群にうまい。長編小説も書いているけど、私は短編小説のほうがいいなぁと思っている。文章がエレガントなのだ。書くべきことと書かないことの使い分け、短い文章に奥行きを持たせる技が好き。訳者にも恵まれているんだろうな。

私は2011年に日本で刊行された『書物の宮殿』をたまたま図書館で借りて読んで、ものすごい衝撃を受けて(たまにこういう運命の出会いがある)、それからグルニエの本を読み漁り買い漁って今に至っています。コンパクトで研ぎ澄まされた彼の文章が好きで、しかし絶版本も多いので、古本屋で未入手の本を見かけたらとりあえず買うようにしている。だいたいブックオフにはなくて、こじんまりとした海外文学が得意な古本屋さんに、5~6冊並んでいることが多い。グルニエの本を置いてくれている古本屋さんは私のお気に入りになる確率が高い。

2017年に訃報を聞いてからは、もう新刊が読めないのだと諦めていた。しかし! 2012年にフランスで出版されていた本書が、なんと2023年の今年になって、出版されたのだ! 白水社ありがとう! 宮下さんありがとう!! 未訳の作品たちも、ぜひとも出していただけないでしょうか……頑張ってフランス語で読むという方法もあるけど、叶うなら宮下訳のグルニエをもっと読みたいです。

そんなグルニエの新刊『長い物語のためのいくつかの短いお話』、書店に並んでいるのを見たとき目を疑ったこの新刊、ずっと前に読み終わっていたけれど忙しくてぜんぜんブログに書けなかったこの新刊の存在を少しでも皆さんにお目にかけたいと思う。
グルニエが得意とする短編集(掌編といえるほど短いものもある)で、92歳で亡くなった彼の生涯最後の本とのこと。全十三編の作品が収められている。
訳者あとがきにも書かれている通り、グルニエは自身の経歴とフィクションの設定が重複するものが多いのが特徴だ。しかしフィクションなので、ちゃんとフィクションとして面白くなるように脚色しているのがグルニエの憎いところ。現実とフィクションの棲み分けなんて大した問題ではないのかもしれない。夢であれ現実であれ、どっちだって楽しかったり悲しかったりするのだし。人間の記憶なんて所詮そこまで正確なものでもないし。
死ぬまで編集者としての仕事を続けて、自身の老いを笑い飛ばすような小説を書いていた。聖人君子ではなさそうだし、嫌みなとこもあるけど、でもやっぱりグルニエの文章はずっと好きだ。彼の本を読みつくしてしまうのが寂しくて、未読のものをちょっと残しておいたりしていたので、新刊として出たのが本当に嬉しかった。ありがとうございます。
やっぱり原書にも挑戦してみようかな。山田稔さんと宮下さんの訳と一緒に並べてフランス語で読んでみたい。



下記に、備忘を含め、各短編についてひとこと書いておきます。ネタバレはありませんが、未読の方はご注意ください。


ブロッケン現象
気象庁で働く男性が転勤先の町で、前の職場の同僚のいとこである男性と友人になる話。
オチのうまさがさすがです。タイトルの「ブロッケン現象」は影の周りに虹の輪が浮かんでいるように見える現象のこと。ちょっと見てみたいな。


「ある受刑者」
老人が過去に犯した罪に対して自ら死刑を宣告し、刑を執行しようとする話。
一番印象的だった話。グルニエの、ちょっとブラックで容赦のないところがいい。軽やかに油断させて急所を狙ってくる。
すでに起きてしまった(起こしてしまった)、取り返しのつかないことは、一生ずっとついて回るものだ。ひとりで考える時間がたっぷりあるときほど、悪い考えに傾いてしまう。

 老人はこれまでずっと自殺には反対だった。というよりも、自殺を心の病の結果だと思っていた。長いプロセスの果てにせよ、瞬間的な錯乱であるにせよ、いつでも精神がおかしくなったせいだと考えてきたし、そうした哀れな人間に同情していた。自制心を失ったことを示すような方法で人生を終わらせようなどと、一瞬たりとも思ったはずがなかった。だから、アンリエットのことを考えるとき、彼女を救えなかったという後悔の念には、いくぶんか、彼女がしたことへの軽蔑が混ざっていた。要するに、自殺願望などいささかもなかった。ところが、ことはまったく反対であって、心のなかの裁判官が彼に死刑を宣告したのであった。(P.29)

謝罪は何の役にも立たず、救いにもならない。赦しを乞う相手は目の前にいない。許してもらいたいわけでもない。どうにもならないという事実しかない。そういうことが、この世にはある。


「マティニョン」
ドイツ占領下のパリでレジスタンスの伝言係を務める青年がパリ市民蜂起の日にとある冒険をする話。
本書で特にお気に入りの作品のひとつ。レジスタンスの伝言係というのはグルニエが過去にやっていたことだ。けど、ラストのあれは笑ってしまった。名文だよな。
歴史というのは、食べたり飲んだりして生活を生きる市井の人々の集合でできているのだということを、グルニエらしさ満載で描いた作品。すごくよかった。


「チェロ奏者」
身寄りのないチェロ奏者がひとりの娼婦と出会った話。
ちょくちょく出てくるクラシック音楽の曲名が示す何かがありそうだけれど、知識不足でわからなかった……。
このチェロ奏者のような経験をした人はそのひとつだけを頼りに生きていけるっていうのは、なんとなくわかる。何もないのと、ひとつあるのとでは天と地ほどの差があるのだ。


「動物園としての世界」
商売が立ち行かなくなった小さな書店の店主が、ライバルだった大規模書店に雇われて新しい上司と意気投合する話。
世界を動物園だと思っていた男がいたのも、実のところ檻の中だ。客の来ない動物園で、檻の中で互いに笑いあってるんだろうな。


「レオノール」
高貴な美女レオノールの話。
たぶん不快に思う人もいるだろうという掌編だ。読んでると何となく怪しいぞ、と思いはじめて、想定通りに着地する。幕間の小話。


「ヴァンプ女優、猛獣使いの女、そして司祭のメイド」
戦前のフランス映画女優ジーナ・マネスによる回想。
ジーナ・マネスは実在の女優で、サーカスのトラに襲われて大怪我したのも実話らしい。どこまでフィクションなんだかわからないんですが、司祭のメイドだったのも本当なのか? トラに襲われたときのエピソードも史実からなのか?
なお訳者あとがきによれば、ジャーナリストとしてのグルニエが実際にインタビューをしたことがあるとのこと。


サンドイッチマン
歴史小説でベストセラー作家となった元同僚と、私家版の詩集を出した元同僚の話。
語り手の「私」は通信社勤め。俗っぽくも確実な成功を収めた元同僚に会うために外出した折に、詩集一冊出すことも叶わず会社を馘になった元同僚がサンドイッチマンをしているのを見かける、というのが話の筋。「ただそれだけ」の破壊力を思い知る。幸せとは何なのか。
しかしサンドイッチマンって、最近はまったく見なくなったな。


「裏切り」
高校教師のポールと、彼の恋人のエルミール、エルミールの恋人ジュスティーヌ、ポールの元教え子リュックの関係性の話。
付き合ったり別れたりする話で、フランス!! という印象だけどそれは何かの罠かもしれない、と最近は思う。まぁ人生いろいろあるよね。


「夫に付き添って」
医療ケア付き老人ホームに入っている夫に面会にきた妻の話。
本書をこのへんまで読みすすめるとグルニエの手口にだんだん慣れてくるので、そういうオチだよね、と思いやっぱりそうだよね、と確認することになる。
夫がホメロスの専門の学者として設定されているのは何か意味があるのか気になりつつ、わからなかった……。


「墓参り」
妻と離婚しようとした矢先に死んでしまった恋人の男の墓に通い続けるうちにどんどん豹変していった女性の話。
死んだ男目線なのがよい。「パック旅行の信奉者にもなった」のくだりで笑ってしまった。人生はうんざりすることの繰り返しだ。明日は我が身。


「記憶喪失」
同じ職場で働き定年を迎えて疎遠になった男二人が久しぶりに再会し、思い出話に花を咲かせる話。
92歳の作家が書いたものだと思うと妙にリアルで怖いんですが。記憶の引き出しは思いもよらないときに逆襲してくるけど、保っておきたい記憶はときどき虫干ししてあげないといざというとき役に立たないのかもしれない。しかしまぁ、忘れていくものだよな。忘れたいことほど覚えているものでもあるけど。


「長い物語のための短いお話」
故郷の街で仲間たちとつるんでいた<クラブ>で最高の美女だった「彼女」との思い出の話。
故郷の街がポーなのも、<クラブ>の情景も、どこかで見たなと思ったら、訳者あとがきに長編小説『黒いピエロ』の変奏と書かれていて腑に落ちた。
グルニエの短編はとにかくラストの落とし方が職人技だと思っているけど、これも素晴らしかったです。若かりし頃の思い出から出発する小説、どんな気持ちで書いたんだろうなぁ。


訳者あとがきに、表題作のタイトルの「お話」は単数形だが、本書のタイトルの「お話」は複数形になっているとの記載があった(いくつかの、という訳で対応している)。人生って馬鹿馬鹿しいことばかりだし、目を覆うような出来事も起きるし、もう立ち上がれないと思うようなつらいことがあったりもするけど、迎え撃つしかないのだろう。諦めの意味ではなくて、どうせなら笑い飛ばしてやろうという印象を受けました。幸せしか知らずに生きていけたらいいのだけれど、そうはいかないらしいので。

未訳の作品も、何卒……!!