好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

フリオ・リャマサーレス『リャマサーレス短篇集』(木村榮一 訳)を読みました

木村榮一訳のリャマサーレスの短編集が出たと知ったなら、読まないわけがない。
リャマサーレスは1955年生まれのスペインの作家で、『黄色い雨』という長編小説で有名な作家です。しかし恥ずかしながら、私が読んだことのあるリャマサーレス作品は『無声映画のシーン』のみである。それでもリャマサーレスを好きな作家として挙げることを許してほしい。木村榮一訳で読める幸せについて語ることを許してほしい。だって『黄色い雨』読み終わったら邦訳されているリャマサーレスの未読作品がなくなってしまうんですよ。まだ読んでない状態をもう少し楽しみたい気持ちがある。
なお『無声映画のシーン』は連作短編のような構成だったので、短編集もきっと良いのだろうと信じていた。

そして、実際、間違いなかった。とても好きな雰囲気でした。ブラックユーモアを含みながらも全体的には短調の調べ。人は去り、建物は朽ち、便利になった街の裏に廃墟の村がある。深い悲しみに沈んで言葉少なになる人と、そばに寄り添う人がいる。

二つの短篇集と一つの絵本を一冊にした構成(ただし絵本として出版されたものについては文章だけの所収)になっていて、冒頭の「読者へ」に書かれている通り「フリオ・リャマサーレスがこれまでに書いた短篇の完全な集大成(P.7)」になるようだ。全二十一作品、備忘を兼ねて各作品について簡単に記載しておきます。
特に気に入ったのは『遮断機のない踏切』『木の葉一枚動かんな』でした。



I. 僻遠の地にて

『冷蔵庫の中の七面鳥の死体』
一年のうち364日は口を聞かず、クリスマス・イヴの日だけ口を聞いて口論をする夫婦の、1971年のクリスマス・イヴの出来事。
クリスマスの話ですが、心温まるハートフルストーリーではない、もちろんない。表面張力で保たれていたコップの水が溢れる話だ。

『自滅的なドライバー』
模範的な銀行員が車のトラブルに遭う話。
主人公の銀行員が真面目な人物であることを示すエピソードとして「定時の8時から3分遅れて出勤する特権が認められた経緯」が語られているのが面白かった。たとえ時間に余裕があっても8時3分までは頑なに出社することを拒むのを「これは誇りの問題だ、と彼は言っていた。(P.23)」とするのがすごくわかる。そうだ、それは誇りの問題だ!

『腐敗することのない小説』
50年間遺体が腐敗しなかった祖母を題材に長編小説を書いた作家が、小説に登場する村の人々がみな死に絶えるのを待つ話。
コミカルで笑えるし、オチも面白かった。しかし腐敗しない小説なんてあるんだろうか? 古典作品は腐敗しないように見えるけど、あれは熟成しているのであって、発酵するか腐敗するかの違いなのではという気もする。

『夜間犯罪に対する刑の加重情状』
裁判所の出頭命令に振り回される男の話。
振り回れる男タチョが生物学を学んでいたという設定の必然性がよくわからなくてちょっと気になった。役人は腹立たしく尊大で、タチョの振る舞いに「いいぞ!」と思うのだけれど、オチでちゃんと伏線も回収していて笑った。

『遮断機のない踏切』
廃線になった鉄道の踏切小屋で、遮断機を上げ下げし続ける男の話。
なんだか哀愁漂うあらすじになってしまったけれど、気分によって遮断機が降りる長さはまちまちで、えらく尊大な態度で車を待たせる男の話なので、気の毒ではあれど待たされるほうはたまったものではないよな、とは思う。とはいえこれも誇りの問題なのかもしれず、車を停止させる権限を振るうことはある種の快感なのかもしれない。仕事がなくなって何もすることがなくなって、自分が存在する意味もわからなくなって、他者に影響を与える権限を行使することで自分を保っていたのかも。変化する世の中や時代についていけなくなったら脱落するしかないのか。
しかし開かずの踏切ほどイライラするものはないよな。

『父親』
姿を消した父親の帰りを心待ちにする少女の話。
少女は父親代わりの祖父から聞かされた《黒熊》と呼ばれる女性に憧れて、父親はきっと黒熊のような人に違いないと夢想する。そういう夢はたいてい裏切られるし、少女の夢も儚く散るのだけれど、最後にちらりと見える希望が良い。コメディ度は低くなり、哀愁強めな雰囲気。

『木の葉一枚動かんな』
妻を亡くしてからほとんど話をしなくなった父が夏の間だけ滞在する村で、黙ってそばに寄り添ってくれる友人テオフィロの話。
終始落ち着いた雰囲気で非常に良い作品でした。映像で観てみたい。言葉にすることで分かり合うことができることはあるけど、言葉にならない部分というのは必ずあるのだ。話し合ってわかりあった気分になるのは気持ちがいいけど、それは一部でしかない。齟齬なく情報を伝える手段として会話はかなり精度が高いけど、足りない部分については、今のところ、黙るしかないよな。通信量ゼロなんだから何も伝わるはずがないし、実際伝えるための沈黙ではないんだけど、伝えるということそのものが必要ないことも、ある。沈黙の良さはある。喋らなくてもいいんだよ、という相手はとても貴重だ。とても好きでした。


II. いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ
『ジュキッチのペナルティー・キック』
ゼロ対ゼロ、試合終了まであと1分、ここで勝てばリーグ優勝がかかっているタイミングでペナルティー・キックをすることになった三番手キッカーの話。
サッカーは漫画にはなっても小説にするには難しいと思っていた。野球は打席に入ったりピッチャーと心理戦したり、という時間経過でのドラマがあるので小説の題材としても使いやすそうではある。しかしサッカーは、あとはバスケやラグビーなど、フィールドを駆け回る系のスポーツは、文字で状況を追いかけるのはかなり辛いだろうと思っていた。しかし、ペナルティー・キックはドラマだな!! というのがよくわかる作品でした。ペナルティー・キック小説ってどれくらいあるんだろうか。アンソロジーとか出せるくらいあるのかな。

『マリオおじさんの数々の旅』
病気で死期が迫ったマリオおじさんが最期の別れのために各地に散らばった兄弟に会いに行き、衝撃的な事実を知る話。
この短篇集で度々思ったことなのですが、作品の冒頭であまり関係なさそうな話題に紙面を割くことがある。この作品だと、アレッサンドラの話がそれだ。マリオおじさんの姪にあたるのがアレッサンドラだけど、彼女がいなくても話は進みそうで、彼女を出張らせる理由がよくわからない……。
しかし訳者が巻末のあとがきで書いているようにちょっと手を加えれば長編小説にもなりそうなストーリーで、ラストがリャマサーレス的哀愁があって良かったです。

『世界を止めようとした男の物語』
世界を止めようとした男の話……なんですが、具体的にはぱっとしない風采の助手が実は英雄的エピソードを持っていたという話。
押し出しの強い人の影にいる一見目立たない人が秘める底力は文学的で、強さってそういうものだよね的な教訓にすることもできる、けれどこの作品の「男」は死んじゃうんですよね。生き残るだけが強さではないけど、一見英雄的エピソードを持っていながら実はそこまで大層なものでもない、というパターンもある。「人生に対してつねに徒手空拳で立ち向かうには半端でない勇気が求められる。(P.150)」とあるように、たしかに流されて長いものに巻かれて生きるほうが簡単だ。しかしまぁ、英雄って虚しいものだな。

『姿のない友人』
クリスマスをマドリッドで迎える羽目になり、孤独な夜を憐れまれず粋に過ごすアイデアを編み出した元特派員の話。
クリスマスという宗教的行事を憎んでいるが、例年は仕事で祖国から遠く離れた土地にいたためなんの問題もなかった、という話で文字数の8割くらいを占めている。クリスマス(と正月)を外出して一人で過ごすのはなかなかハードル高いなとは思う。しかし作品の8割を占める「これまでバリバリ働いてきたのに早期退職勧告を受けるなんて!」という主人公の戸惑い(リャマサーレスの実話か?)のほうが濃度が高くて、編み出したアイデアのほうが影が薄くなっているような……。

『いなくなったドライバー』 
ストレス解消にボリュームMAXで何時間もドライブするのが楽しみな男の話。
仕事帰りにドライブするので日に日に帰宅時間が遅くなり、休日も一人で出かけるようになり、ついには……という話なのですが、ドライブは気持ちいいらしいですね。夜に首都高ぐるぐる回るという人の話も聞いたことがある。ストレス解消は大事だ。しかし、彼はどこへ行ってしまったのでしょうね。

『行方不明者』
スペイン内戦で殺される前に逃亡した元教師のおじにまつわる思い出話。
スペイン史は近代まで含めて一度流れを知っておきたいと思いつつ追いついていないのですが、教員弾圧というのがあったそうですね。どんな人生を送ったのか、どんなふうに亡くなったのかわからないまま、写真だけが「ぼく」の生家の壁に掛けられている。しかしいつかは誰も彼のことを話さなくなって、存在も知られなくなっていく。行方不明のおじだけでなく、語り部の「ぼく」もいずれは誰も知らなくなる、かもしれない。リャマサーレスには小説があるけれども、いち読者である我々は……。

『依頼された短篇』
依頼された短篇が書けずに苦悩する作家の話。
「原稿が書けない小説」はこれまでもいくつか読んだことがあるけど、やはり世界共通なのか……前に左右社が『〆切本』も出してましたもんね。アンソロジーのテーマにもなる一大ジャンルだ。

「どう、進んでいる?」文化欄の編集長の声だった。
「まあね」と彼は動じることなく嘘をついた。
「でも、まだ出だしのところだろう、あとの方はどうだい?」
「半分ほどってとこかな……」迷うことなく嘘の上塗りをした。まだ時間があるから、その言葉が嘘でないことをこれから証明すればいい、と自分に言い聞かせた。
「当てにしているよ……」編集長はまるで作家の言葉を信じていないかのようにそう念を押した。(P.187)

傍から見ればコミカルだけど、多分文畢業の方からすれば「うわー、わかるー!!」なのかもしれない……。

『尼僧たちのライラック
創立五百周年を目前にしてホテルに改装されることになった古い修道院の解体作業を見学する話。
語り手は「ぼく」としか書いておらず、おそらくリャマサーレスの体験談なのだろう。35年間修道院から出たことがなく、司祭と一緒に病院へ行くために初めて町の外に出て交通事故で亡くなった尼僧のエピソードがあり、リャマサーレスはこういうものに惹かれるのかなと思った。マリオおじさんの最期といい、誰も、どこへも行けない話が多いな。若者たちは町の外に出ていく一方、動けず立ちすくむ人たちを慈しんでいる。

『ラ・クエルナの鐘』
小さな村の小さな教会の扉に残された銃弾にまつわる話。
やはりスペイン内戦の話で、共和派の人をあぶり出すためにフランコ派が取った行動が語られる。『行方不明者』もそうだけど、リャマサーレスは、語る人がいなくなったら事実そのものが歴史から消えるということに強い危機感を持ってる人のように思う。そういうテーマの作品が、いくつもこの本には入っている。

『暗闇の中の音楽』
鉱山の爆発で盲目になった元アコーディオン弾きの話。
これも語り手は「ぼく」で、リャマサーレス自身なのかもしれない(もちろん違うかもしれない)。鉱山については『無声映画のシーン』にも出てきたな。ちょっとノスタルジックで不思議な話。

『夜の医者』
フランコ派のゲリラ「マキス」に関する会議で展示された、ゲリラ兵士が所持していた救急箱にかかわる思い出話。
語り継ぐ物語のひとつ。またしても語り手は「ぼく」で、会議が開催された村の老婦人が不安げながらも語ってくれたゲリラ兵士の英雄的行為についての記録。

『プリモウト村には誰ひとり戻ってこない』
「ぼく」が代理教員として派遣された貧しい村の思い出話。
『尼僧たちのライラック』から『プリモウト村には誰ひとり戻ってこない』の5作品はおそらくシリーズのようなもので、語り手「ぼく」(おそらくリャマサーレス自身)が村を訪れ、現地の人から聞いた話を書き留めるという形を取っている。小説ではあるのだろうけど、完全な創作ではなく、きっと元になる事実がありそうな気がする。

『明日という日(寓話)』
たった五行の作品。「明日という日」は来ないものだ。


III. 水の価値
『水の価値』
「水を粗末にしてはいかん、蛇口は閉めておきなさい」と言い続けた祖父の思い出話。
元は絵本だったそうだけれど、短篇集『いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ』に収められたことも、しかし版によっては収められなかったこともあるらしい。ちなみに本書に挿絵はない。
登場人物「フリオ」はフリオ・リャマサーレスなんだろうけど、まぁそんなことは些末なことだ。祖父の話がどこまで本当かも、本質ではないと思う。誰にも人生があって、その人特有の思い出があって、語るべき何かがあるんだろう。


上記のほか、巻末に訳者あとがきが書かれているのですが「以下は余談である。」以降もここからが本番というような素敵な文章なので、お見逃しなく。リャマサーレスを木村さんに紹介してくれたすべての流れに感謝します。贅沢な読書時間でした。満足。