好物日記

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グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』(原正人 訳)を読みました

砂漠が街に入りこんだ日

砂漠が街に入りこんだ日

『82年生まれ、キム・ジヨン』のヒット後、日本でも現代韓国作家の本が次々と刊行されるようになりました。が、なんとなく読むタイミングを逸し続けていて、読まずにここまで来てしまった……。なので本書が私にとっては初めての、現代に生きる韓国人作家の本ということになります。
しかしこれは韓国語を母語に持つ著者が、後から学んだ言語であるフランス語を使って書いた小説なのでした。ジュンパ・ラヒリもイタリア語の本を出しているし、リービ英雄も日本語は母語でないし、多和田葉子という巨星もいるけれど、こういう人たちのことはなんというか単純に、凄いなと思う。うん、凄いな…
原書は2020年1月にフランスで刊行されて話題になったらしいのですが(経緯は「訳者あとがき」に詳しい)、その年の内に日本語版を刊行するとは、素晴らしいスピード感ですね。フランス語以外の言語に訳されるのはこれが初めてだとか。ちょうど日本で韓国文学ブームが来ているので刊行しやすかったというのはあるかもしれませんが、こういう面白い本を素早く出してくれるのは非常にありがたい。版元はリトルモアという出版社で、映画なども手掛けているようです。
グカ・ハンがなぜ韓国語ではなくフランス語を使って小説を書くのかという点については、「あとがき」で著者自身「いまだにうまく答えることができずにいる(P.151)」と書いています。でも続けて以下のようにも書いています。

 私に限っては、慣れ親しんだ母国語は執筆するのに十分な条件ではなく、むしろ障害である。ある意味、この韓国語という言語のせいで、私の想像力は阻害され、息が詰まってしまう。外国語で執筆することでようやく、私は物語を個人的な体験から切り離して構築することができる。(P.151「作者あとがき」)

そういうものなのかー。異なる言語世界で生きていくのって、人魚が陸で歩くようなものではないかと思う。なのでコンビニとかで海外から来たらしき人が働いているのを見ると、尊敬の念しかない。凄いな…

言語の話が長くなってしまいましたが、内容も非常に好みでした。全8編の短編集なのですが、ちょっと幻想的でどことなく不安定で。話は連続しているようでしていない、でも使われるモチーフがつながっているところがあります。この連続性は、前に読んだデボラ・フォーゲルの『アカシアは花咲く』を思い出しました。作品間のゆるやかな連携。「砂」「目が覚める」「雪」「メトロ」など、印象的なモチーフがいくつかあるので、それらの意味を考えるのも楽しい。なんだか詩を読んでいるみたいでした。
「訳者あとがき」に書かれていた「ことによると、本書は、複数の語り手ではなく、ひとりの語り手がその都度年齢や性別を変えながら語る長編と考えることすらできるのかもしれない(P.156)」というのは、納得の指摘だ。そうかもしれない。

タイトルはフランス語の原題からそのまま訳された『砂漠が街に入りこんだ日』なんですが、これは冒頭の『ルオエス』という作品の冒頭につながっています。

 砂漠がどうやって街に入りこんだのか誰も知らない。とにかく、以前その街は砂漠ではなかった。(P.8『ルオエス』)

ルオエスというのは、冒頭の作品で語られる街の名前です。
本のタイトルページと、カバーを外した表紙にはフランス語で「ルオエスへようこそ」と書かれている。短編集として作品が分かれてはいるものの、この本のどのページも、ある意味ではすべてルオエス<LUOES>なんだろう。

作品全体に漂う息苦しさ、どこにも行けない感じ、重たい鎖を引きずって生きてく感じは、もしかしたら読んでて苦しい人もいるかもしれない。私はそういう雰囲気がむしろ好きなんだけど、ちょっと見てられないような気持にもなる場面もあるので。
多分著者自身のしんどい時期の気持ちが作品群に色濃く反映されているんだと思う。そういうのって下手したら鬱陶しい自分語りみたいになりがちなところがあるけど、この本にはそういう独りよがりな印象は無かったです。ちゃんと読む人のことを想定した作品になっている。著者自身の冷静さもあるんだろうけど、もしかするとこれが、母語ではない言語を使って書くということの効用なのかもしれない。

ちなみに一応8編の作品の中でどれが好きかって話をしておくと、正直言ってどれもいいです。前述のとおり各作品にゆるやかなつながりがあるので、個々に取り出してそれだけ語るのももったいないような気もする。でもどれか一つを選ぶなら、冒頭から引き込まれた『ルオエス』かも。
ダイレクトに「あなた」が見た夢の話が語られる『真珠』という話もあるのですが、私が見るのはたいてい建物の中を彷徨う夢。どこかへ行きたいんだけど、そこに行くまでの道がわからなかったり、わかってるのにいろんな障害物があってなかなか辿りつけなかったりする。だから『ルオエス』で語られる状況の方が、自分にとってはよりに身近に感じたのかもしれない。

 次第に息苦しさが増していく。もう何時間も新鮮な空気を吸い込んでいなかった。でも、出口はどこなのだろう? テレビが吐き出す音の洪水をやり過ごし、乗客やベンチ、広告看板や温かい飲み物の自動販売機を避けながら、コンコースの端から端まで歩いてみるが、メトロの駅やショッピングセンター、会社のオフィスへと通じる通路しか見当たらない。そもそもこうしたもの全部から抜け出すための出口は存在するのだろうか?(P.14『ルオエス』)

夢の中だろうが現実だろうが、きっと行くべき場所が明確にわかっていれば半分着いたようなものなんだよな。あるいはどこに行くべきかわからないけどとりあえず進むっていうのもひとつの手だ。8つの作品に出てくる彼らはみんな、迷いながらも進んでいく。そして越境するのだ。その先がなんであろうと。

ちなみに表紙にコラージュ(フォトモンタージュ?)作品を置いているのがめちゃくちゃ内容にあっていて痺れました。これ以外にないだろって感じのストライクぶりだ…ぐっとくる。装丁は川名潤さんです。背表紙デザインもシックで好みでした。

コンパクトなサイズながら、満足度の高い本でした。とても良かった。