好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

相川英輔『黄金蝶を追って』を読みました

書店で見かけて買いました。きれいな表紙だな、というのに惹かれて手に取ったのですが、購入の決め手は裏表紙の帯です。この本に収められた短編のひとつ「ハミングバード」の書き出しが抜粋されていて、それが私の心を鷲掴みにしたのでした。

 半透明の大江さんが洗面所から出てきて、いつもと同じようにテーブルに向かう。見えない食パンにバターを塗り、見えない新聞を片手に朝食をとる。まるでパントマイムだ。私はフローリングの床に座り込み、一連の動作を眺めた。
 初めて彼が現れたのはひと月ほど前のことだ。もちろん最初は飛び上がるほど仰天したし、ひどく怯えもした。幽霊が私の部屋で日常生活を送っているのだから驚かないはずがない。しかも、その人物はここの前の所有者なのだからなおさらだ。(「ハミングバード」, P.58)

こんなの絶対好きじゃん!
著者の相川英輔という方の作品はこれまで読んだ覚えがなかったけれど、略歴で既刊を「惑星と口笛ブックス」「書肆侃侃房」「河出書房新社」から出していることを知り迷わずレジに持って行きました。この出版社のラインナップは信頼できる。

書き下ろし2編を含む計6編の短編が収められたコンパクトな文庫本ですが、満足の一冊でした。ちょうど用事があって電車で読んでいたら、目的の駅に着く数十秒前に作品を読み終えるということが2回くらい続いて運命を感じたり。
幽霊と同居する「ハミングバード」はアメリカのSF誌に翻訳が載るなど海外で高い評価を受けたということが「あとがきに代えて」に書かれていました。作家としてはちょっと珍しい経歴を持っているようですが、経歴は面白いほどよい。入り口は広いほうがいいですね。私の目を奪った美しい装丁は、今回も坂野公一さんのもの。

全体的にしっとりとした雰囲気を持ちながらも湿っぽくはなく、軽みがありながらも軽薄ではなく、落ち着いた文章だけど笑わせてもくる、みたいな、バランスの取れた文体という印象でした。作品のラストに希望を添えてくれるものが多く、読後感が良いのはこの短編集独特なのか、相川さんの作風なのか。
私たちは私たちの生活を生きていく、食べて寝て、夜が来て朝が来て、その繰り返しの中に人生がある、そんな短編集でした。好きだ。


各作品とても好みだったのでそれぞれ感想を書いておきます。ネタバレはしていないつもりですが、未読の方はご注意ください。

「星は沈まない」
東京湾の埋め立て地にあるコンビニに全自動化のためのAIが導入される話。
語り手である店長の須田と就職に失敗したバイトの丹波君がめちゃくちゃいいやつで、コンビニ会社本部の悪役っぷりが際立つ。本部って現場のことわかってないのはどこの業界でも同じなのか……。
AIに過剰に感情を持たせるような描写をするのはあまり好みではないのですが(せっかくコンピュータなんだから感情なんて非効率なものは置いていってほしい)、コンビニAIのオナジはけなげでかわいい。そういう意味だとあらゆるAIはみんなけなげでかわいいんだよなぁ、ハヤブサ然り。仕事さぼらないし、どんなに厳しいノルマでも達成しようとするし。しかしやっぱり観測者の感情を過度に上乗せしている感じがして後ろめたい。
とはいえ善悪のはっきりした小説は読んでいてすっきりします。現実にはそうはいかないもやもやを吹き飛ばしてくれるのはフィクションのいいところだ。


ハミングバード
前述の、幽霊と同居する羽目になる話。
買ったばかりのマンションに幽霊が出たらショックだろうなぁ。「領土が切り崩されつつある」という危機感がすごくリアルで、別に自分の実生活でそんなことが起きているわけではないのに、そうなったらと思うとぞっとする。
この作品に限らずだけど、雲一つない青空がずっと続いていくような終わり方がとても好きです。世界はそんなに捨てたものでもない、きっと明日は良いことあるよという気持ちにさせてくれる。


「日曜日の翌日はいつも」
日曜日と月曜日の間に、他に誰もいない空白の一日を持っている水泳選手の話。
空白の一日というアイデアが非常に好みです。書く人によってどんなふうに持って行くこともできる設定ではあるけど、相川さんの場合はこういう感じになるんだな。諦めたくなったり誰かのせいにしたくなる弱さとか、踏ん張るときに何を理由に踏ん張るかとか、作者の優しさが行間からにじみ出ている。
青春でキラキラしているのが私にはちょっと眩しかったのですが、巻末の自作解説によれば第13回坊ちゃん文学賞の佳作受賞作ということで、青春小説である必要があったらしい。なるほど。


「黄金蝶を追って」
子供のころから絵を描くのが得意だったデザイナーと魔法の鉛筆の話。
真面目なシンデレラなら、魔法で用意した馬車とドレスで舞踏会に参加して王子様と結婚したことを、ずっと引きずるのかもしれない。物語に書かれていないところで王子様が舞踏会のときの思い出話をするたびにヒヤヒヤしているのかも。「ズルをした」という罪の意識はずっと心に巣食うものだ。そして思い出は心の中で改ざんされるものだ。
他の作品で恋愛的な描写があったのを、別に無理して入れなくてもいいのになぁと思っていたのですが、これは普通に友情の話なので読みやすかったです。これは完全に個人の好みなんですが、私の場合、信頼や対人関係は恋愛が入らないほうが自然だと感じるタイプなので。


「シュン=カン」
地球から遠く離れた開拓惑星で労働に勤しむ囚人たちの話。「星は沈まない」のオマージュでもある。
巻末の自作解説によれば、歌舞伎の演目「平家女護島」の二段目「鬼界ヶ島の段(通称「俊寛」)」を題材にしているそうです。私は文楽が好きなので、それを読んだ瞬間、脳内で一斉に登場人物が浄瑠璃人形に置き換わった。うーん、アリだな。こういうのは好きです。もともと「星は沈まない」も悪役がはっきりしているストーリーだなと思ったので、歌舞伎や浄瑠璃の演目にハマりやすいんだろう。
観たことがない演目だったので読んでいるときは全然わからなかったけど、今後俊寛を観ることがあれば、この小説のことを思い出すのだろうな。


「引力」
ノストラダムスの大予言をこっそり信じている社会人女性の話。
1999年7の月、私は子供時代を送っていた時期ですが、さすがにもう誰も信じていなかったな、というのを思い出していた。
相川さんは日常に潜む、えも言われぬ感覚を言語化するのがめちゃくちゃうまくて、「どうしても耐えられなかった」こととして主人公の社会人女性が挙げている、しかし「誰に説明したところで理解してもらえるとは思っていない。(P.241)」の例えに痺れる。相川さんの作品のこういうディティールが非常に好みです。
この作品もやっぱり読後感がさっぱりしててハッピーエンドな雰囲気で良い。本書の中で一番気に入っている作品が「引力」でした。からっとした湿度低めの雰囲気が好みでした。



私は電子書籍が苦手なので、紙で出版していただけて良かったです。ぜひ他の作品も読んでみたいです。