好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

橋本輝幸 編『2010年代海外SF傑作選』を読みました

先日記事を書いた『2000年代海外SF傑作選』の姉妹編のような本、2010年代に発表された海外短編SFのアンソロジーです。2000年代よりも馴染みのある作家が増えたのは、私が海外SF読み始めたのがちょうど2010年代頃からだからでしょう。
しかし前に読んだことあるよなーと思いながらも、今もう一度読み返すと新たな感動があったりして、やっぱり読書ってタイミングも大事なんだなとしみじみ思う。こんな話だったっけ! とか思ったり。あの時私は一体何を読んでいたのか。

そんな2010年代海外SF傑作選、全11編の内訳は以下の通り。

ピーター・トライアス『火炎病』(中原尚哉 訳)
郝景芳『乾坤と亜力』(立原透耶 訳)
アナリー・ニューイッツ『ロボットとカラスがイースセントルイスを救った話』(幹遙子 訳)
ピーター・ワッツ『内臓感覚』(嶋田洋一 訳)
サム・J・ミラー『プログラム可能物質の時代における飢餓の未来』(中村融 訳)
チャールズ・ユウ『OPEN』(円城塔 訳)
ケン・リュウ『良い狩りを』(古沢嘉通 訳)
陳楸帆『果てしない別れ』(阿井幸作 訳)
チャイナ・ミエヴィル『“ ”』(日暮雅通 訳)
カリン・ティドベック『ジャガンナート――世界の主』(市田泉 訳)
テッド・チャン『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』(大森望 訳)

華文SFが2つ入っているのは大きな特徴でしょう。カリン・ティドベックはスウェーデン人ですが、今回は英訳からの和訳のようです。巻末の解説で非英語圏SFについて触れられているのも面白かったですが、そうは言うもののやっぱり強いのは英語圏だ。

本書について、ハヤカワのnoteで「おどろきの初訳率!」と書かれていたけど、つまりそれって海外短編SFの発表の場が多くないということに他ならないんですよね。驚いてる場合じゃないぞハヤカワ。もっと早くに紹介してほしかったなぁ。
しかしSFマガジンですべてを拾うのは正直無理な話だ。となると、拾いきれない分を、どこでカバーするかなんですよね。雑誌は難しいだろうから、これからはweb媒体か。翻訳は権利問題もあるだろうし、そんなにスムーズにはいかないものなのかな。今回のようにアンソロジー本で出してくれるなら喜んで買う所存です。ほんとは自分で英語で読めたらいいいんだろうけれど。

作品については傑作選という名前の通り、どれも非常に面白かったです。翻訳してくれてありがたいです!本当は全てに触れたいのですが、長くなるので、ここではいくつかのお気に入りの話に絞って書くことにします。

私はミエヴィルが好きで、新作が読めるというのがこの本を買った理由の一つです。『“ ”』、たった8ページなのですが、最高でした……!
初出は架空動物アンソロジー"The Bestiary"に寄せられた作品とのことなのですが、このアンソロジーからしてめっちゃ面白そう! 読みたい! こういう博物学っぽいフィクション大好きです。そしてミエヴィルが繰り出した架空生物が " "(ザ・)、それは<無(ナッシング)>を構成要素とする獣。材木の節穴にそれが隠れていることが多いというのがとても好きでした。


読後感が非常に好みだったのが、サム・J・ミラーの『プログラム可能物質の時代における飢餓の未来』。あらゆるものに姿を変えるナノ・ポリマー(プログラム可能物質)が広まった世界の、とあるゲイ・コミュニティの話。あ、そういう話になるの!? とちょっと唖然とするようなストーリーのハンドルの切り方でした。でも全体的な情景描写の雰囲気が好みだったので、アリだった。いやしかしびっくりしましたけどね。そうだろうとは思ってたけどそうなのね、みたいな。
ちなみに読後感が好みって言うのは、爽やかで気持ちよく終わるってことじゃないのでご注意ください。私が好きな読後感は、ドロドロしたやつですので!


爽やかで嬉しくなる読後感としては、郝景芳(ハオ・ジンファン)の『乾坤(チェンクン)と亜力(ヤーリー)』を推したい。三歳半の人間の子ども・亜力と友達になるという仕事を仰せつかったAI・乾坤の話です。子供と友達になる系は意図して泣かせに来る感じがしてあまり好きじゃないんですが、これは相手が子供である必要性がはっきりしていて実に良かった。三歳半っていうのがポイントですね。

 ロボットには非常に優れた自動モニターと人間を避けるプログラムが入っていたため、毎回亜力が近づくたびに、自動的に彼をよけた。亜力は飛びかかったが、ロボットは精巧なルートに沿って滑っていく。亜力はそれがとりわけ面白く感じた。亜力は全神経を集中させ、大笑いしながらロボットを追いかけ始め、それを捕まえようとして、追いかけつつ大声をあげた。ロボットは止まることなく亜力を自動的に除け、少しも彼にぶつかることはなかった。
 乾坤はそれを見て、ロボットに止まるよう命令した。亜力はすぐにロボットにぶつかり、倒れた。
「あーーーーーーーっ」亜力が鋭く叫び出した。「うごかして! うごかして!」そして言い終えないうちに大声で泣き始めた。(P.34『乾坤と亜力』)

まさに三歳児。不条理の塊である赤ん坊と、合理性の化身であるAIという組み合わせにニヤニヤしながら読んでいました。これ、ラストがまたいいんですよね…素晴らしかったです。『人之彼岸』も読もうかな。郝景芳、彼女、ちらっと調べたらすごく素敵な人のようだ。いいな、気になる。


それから今回、改めて読み返してやっぱり面白いなというのを再確認したのが、ケン・リュウテッド・チャンです。ほんと、私は前に何を読んでいたのだろうか。
ケン・リュウのはサイバーパンク感が最高だったし(香港の描写が最高)、テッド・チャンのはテーマ盛りだくさんでちょっと一口には言えない。

テッド・チャンは初めて読んだ時からめちゃくちゃ好きなんですが、『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』は永遠に庇護される存在でいてくれるディジエントという情報生命体が、ちょっと角度を変えるだけでものすごくグロテスクなものに見えて恐ろしかった。
うちの親は「親の仕事は子供が一人で生きられるように育てること」と言って、子供のころはいろいろ厳しかったけど、成年後は好きにさせてくれている。けどディジエントは「永遠に私のかわいい子」なんですよね。ずっと世話を「焼かせてくれる」。ペットを育てるのは子育ての代替だという話が作品内でも出てきたけど、ディジエントはそれをさらりと叶えてくれる。もちろん、代替なんかじゃなくディジエントという存在そのものへの愛なんだっていうのはあると思うけど、そこは問題じゃない。問題なのは「ずっと変わらない愛情」っていう部分だ。
自然界において変わらないって言うのは、不自然の極みだろう。だからデレクはいい選択をしたと思うし、アナは自分の偽善に無自覚すぎると思う。彼女はジャックスの為と言いながら、ジャックスを利用しているわけだから。
とはいえディジエントって結局AI生命なわけで、利用されてなんぼという部分はあるだろう。利用されることが存在意義ともいえる。しかしAI生命と肉体生命にどういう違いがあるというのか。愛情に貴賤があるとでも? そもそも生きて命があるというのは、そこまで特別に尊いものだろうか?
……とかいろいろ考え出してしまうのですが、答えなど出るわけがないのだ。そしてそういう倫理の迷宮をうまく織り込んでくるテッド・チャンが私は好きです。次の本はいつ出るのかなぁ。

うーん、しかしやっぱりアンソロジーはいいな。すごく楽しい。書ききれなかった他の作品も、どれもそれぞれ魅力的でした。AIものが多いのは2010年代の特徴なんだろうか。人間優位の時代が終わっていくようで好ましい。
2020年代はまだ始まったばかりだけど、2020年代海外SF傑作選の顔ぶれが今から楽しみです。