好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

田中美穂 編『胞子文学名作選』を読みました

胞子文学名作選

胞子文学名作選

やばい本を手に入れてしまった。

実は先日、倉敷に行ってきました。一人旅で、唐突に思い立って。
旅行には当然本を持っていくわけですが、この旅行では手持ちの本が思った以上に進んでしまって、旅先で読む本が無くなりそうになってしまったのでした。慌ててGoogleで近くの古本屋を探し、良さげなところがあったので早速行ってみたのですが、そこで出会ったのがこの本でした。
蟲文庫」という古本屋さんなのですが、実はこの『胞子文学名作選』、この書店の店主さんが編んだアンソロジーなのでした! ……ということに、読み終わってから気付いた。あのときこの本を手渡してくれたあの方がそうだったのだろうか。しかしこれって運命では。絵葉書や栞もつけていただいた。
ちなみに基本は古本屋さんなのですが、一部新刊本も置いていて、本書は新刊として買いました。山尾悠子のサイン本もあったので、喜び勇んで買わせていただきました。良い買い物であった……

ちなみに蟲文庫さんのHPは以下です。非常に好みの本棚だったので、近くに行くことがあればぜひ。私も機会があればまた行きたいです。遠いけれども……

mushi-bunko.com

さて、『胞子文学名作選』です。名前の通り、胞子で増える生物について書かれた作品を集めた本となっていて、小説から俳句まで、計20編の作品が楽しめます。

 この本では、羊歯、苔、菌類、海藻など胞子でふえるものたちの活躍する文学を集めました。「胞子文学」という名前は、先に出された『きのこ文学名作選』の編者、飯沢耕太郎さんの生んだ「きのこ文学」に敬意を表して名づけたものです。しかしその「見方」となると、この両者には、対象の大きさ以上に異なるものがあります。
 きのこというのは、胞子でふえるもののなかでもとりわけ異質で、独立したイメージをもつ生物。こちらが意識せずとも、否応なく目を奪われてしまう強烈な存在感をもっています。その魅力というのも、美味なるものと死に至る猛毒とが、あたり前のような顔で隣り合わせにある危うさをはらんだもの。対して、胞子は、誰にも気づかれないうちに、さまざまな場所でひろがり、ふえつづけるしたたかさ、視点を変え、目を凝らすことによって初めて視えてくる異世界的な魅力があり、しかも「きのこ」さえもがその仲間のひとつである、という計りしれない多様さをもっているのです。(P.358、田中美穂『胞子文学名作選 解説』)

掲載されている作品に登場する胞子でふえるものたちも多種多様ですが、作者の時代も作品形態も多様です。すべて日本語で書かれた作品ではありますが、古いものだと松尾芭蕉小林一茶、最近の作家では川上弘美や伊藤香織など。太宰治尾崎翠尾崎一雄の作品もあります。各作品に対する巻末解説での編者コメントも楽しい。
目次は出版社のHPに記載がありますので、ぜひご覧ください。

www.minatonohito.jp

ちなみに私のお気に入りは小川洋子の『原稿零枚日記(抄)』で、苔のフルコースを食べるという話。初めて読みましたが、めちゃくちゃいいですねこれ。

サヤゴケの燻製、ギンゴケの酢味噌和え、ムクムクゴケの蒸し物、ヒメジャゴケの煮つけ、タマゴケのお椀、ウマスギゴケの天ぷら……。料理は続いてゆく。どれも上等の器に品よく盛られている。必ず一緒にシャーレがついてくる。私はルーペをのぞき、料理をいただき、またルーペをのぞく。(P.31、小川洋子『原稿零枚日記』(抄))

ミズゴケの食前酒から始まる苔料理の数々の食レポ具合がさすが作家というか、実際に召しあがったんでしょ? としか思えないようなリアルさで素晴らしい。実際に食べてもここまで書けないよなぁ、作家だなぁ。しかも料理が来るたびに、ルーペで食材となっている苔そのものを鑑賞してから食べるという儀式も通っぽくて悶えました。茶席の作法かな。結構なお椀で、みたいな。めっちゃ良い。

他にも久々に尾崎翠の『第七官界彷徨』読み返して楽しんだり、栗本薫の『黴』が描く世界の終わりに惚れ惚れしたりしました。

しかしこの本の本当に凄いところはそこではないのだ。それだけなら普通に良いアンソロジー本だったとしか言わない。
この本が「やばい本」なのは、その贅沢すぎる装丁にあります。

だって! この本、作品ごとに紙質や紙面レイアウトをいちいち変えてるんですよ!! 最高ではないですか。いや、いいお値段なのもわかるよ。でもむしろこの装丁考えると、よくこの値段で抑えたなって感じだ。電子ではなく紙で出すことの本質を突いているように思う。多分作品ごとにレイアウトを変えるだけならできなくもないように思うけど、紙自体を変えるなんてなかなかできないというか、普通、やろうと思うだろうか。かの『グールド魚類画帖』だって、原語版は章ごとにそれぞれインク変えてたのに、日本語版ではせいぜい2種類までしか使えなかったんですよ。多分採算取れないんだろう。それでもやろうっていうのがさ、最高ですよね。
そしてレイアウトも素晴らしく好みなのでした。背景に絵をばーんと載せたりして、読んでいて実に楽しい。多和田葉子の『胞子』のラストとか、栗本薫の『黴』の後半とか、痺れました。
ちなみに紙とレイアウト変えるとどの程度インパクトがあるかを、ちょっとだけ、写真で雰囲気だけお伝えしたい。すごく感動したので、可能な方はぜひ実物を味わってください。

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P.72-73、右が太宰治『魚服記』、左が松尾芭蕉の俳句。『魚服記』の写真は編者の田中美穂さん撮影。
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P.190-191、河井酔茗『海草の誇』、背景は岡村金太郎『日本藻類図譜』からとのこと。
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表紙裏の目次。左の見返し部分は穴が空いていて、次のページの扉部分が見えるようになっています。

おわかりいただけるだろうか、この凝り方が……これでもほんの一部ですよ。一冊丸々、手抜きなしでこれですよ。素晴らしい。
とても満足な一冊でした。この本を、蟲文庫で買えてよかった。