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【新潮クレスト・ブックス 25周年記念】偏愛3冊紹介します

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現代の海外文学を好んで読む人にはお馴染みのレーベル、「新潮クレスト・ブックス」。今日書店に行ったら小冊子が置かれており、25周年であることを知りました。もうそんなに! この間20周年だったばかりなのに! 月日の経つのは早いものだ。

ずいぶん前の話なのでだいぶ記憶が曖昧なのですが、新潮クレスト・ブックスのことは、好きな本を持ち寄って紹介し合うタイプの読書会で初めてレーベルとして意識したのだったはず。当時はまだ現代の海外文学を読み始めたばかりで、ハードカバーの本は図書館で借りるけど書店で買うことはあまりなかった。(そんな純朴な時代が私にもあった)
「新潮クレスト・ブックスはいいぞ」と誰かに唆されて、読んでみて、ハマってしまったのだ。何よりも驚きだったのは、その本の著者がまだ生きていて、現役でバリバリ書いているということ。当時の私は海外小説の中でも19世紀~20世紀前半の小説を好んで読んでいたので、まさに生きている海外文学というのが一種のカルチャーショックだったのだ。そうか、海外文学って古典だけじゃないんだ、という至極当たり前の事実に愕然とした。目から鱗とはまさにこのこと。
現代海外文学をほとんど知らなかった私にとって、新潮クレスト・ブックスというレーベルは非常に頼りになる存在でした。私の読書の指針のひとつだったといっても過言ではない。片っ端から読み漁っているうちにちょうど白水社エクスリブリスが創刊になって、そちらも夢中で読んだけど、新潮クレスト・ブックスの財布への優しさは特にありがたかったです。あと表紙の手触りがめちゃくちゃ好みです。装丁は新潮社なんですが、表紙も素敵でお気に入り。毎回その作品にぴったりの表紙絵をつけてくる。


25周年のお祝いと感謝の気持ちを込めて、今回は新潮クレスト・ブックスの中でも特に好きな3冊を紹介します。紹介の順番は著者名順で、3冊の中に順位はありませんのでご了承ください。



ジュリアン・バーンズ『人生の段階』訳:土屋政雄

ジュリアン・バーンズは『フローベールの鸚鵡』を最初に読んで、その意味の分からなさに度肝を抜かれた。そのあと『文士厨房に入る』で普通の文章も書けることに安堵し、『終わりの感覚』が刊行される頃にはすっかりファンだったので即買った。でも一番好きな作品はこの『人生の段階』です。
作家としてのジュリアン・バーンズを支えるエージェントでもあった最愛の妻がこの世を去って、悲しみに暮れる日々を書いたもの。著者自身の感情の吐露でありながら、気球の歴史やナダールとサラ・ベルナールのエピソードなどを盛り込み、作品として仕上げているのがさすがだ。しかし、どれだけのエネルギーが必要だったのだろうか。行間に、段落の変わり目に、彼の悲しみが塗りこめられているようだ。
土屋政雄訳であることがまた作品の雰囲気に実に合っているのだ。冷静でありながら情感あふれる文章が好きです。
なおジュリアン・バーンズは『人生の段階』以後も何冊か本を出しているけれど、まだ訳されてはいないようですね。待ってます。



セス・フリード『大いなる不満』訳:藤井光

何かあるたびにおすすめしまくっている一冊。初めて買った新潮クレスト・ブックスでもある。当時は藤井光訳の小説を読み漁っていて(ドーアとか、プラセンシアとか)その中の一冊としてこれを読んだのだったはず。
エデンの園であらゆる生物が互いに争うことなくただじっと時間が過ぎていく表題作「大いなる不満」をはじめ、毎年大虐殺が起きるにもかかわらず大盛況のピクニックを描く「フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺」、架空の微生物の生態を記した「微生物集—若き科学者のための新種生物案内」などが収められた短編集。
日常の中の異物を拡大して目立つように陳列したような感じ。ちょっとした違和感を増幅するとこんな感じなんだな。めちゃくちゃ好きな作品群なのですが、短編メインの作家であり邦訳はこの一冊のみ、英語でも他に一冊のみ。バベルうおの『BABELZINE Vol.2』に短編がひとつ掲載されて狂喜したけど、寡作にもほどがある……。
しかし何度読み返しても面白く、10年近く経っても古びてないのですごい。これからも推していきます。



テジュ・コール『オープン・シティ』訳:小磯洋光

若き精神科医が黄昏時にニューヨークの街を歩きながらいろんなことを回想する話。記憶というのがいかにあてにならないかという話であり、散歩は全人類に必要な行為だという話でもある、と思う。私自身がむしゃくしゃするととにかく歩くタイプなので特にそう思うのだけれど、移動を第一目的とせずに歩くのは最高の贅沢であり、精神安定にも良いです。普段は目に入らないものが見えたりするのが楽しいし、考え事をするにもじっとしているよりも歩いているほうがいいようです。
著者はナイジェリア系で、主人公もそうだ。私が「アフリカ系アメリカ人」と呼ばれる人の微妙な立場を明確に意識したのは、恥ずかしながら、確かこの作品が初めてだったはず。
ちなみに帯や裏表紙に「ゼーバルトの再来」と思いっきり書かれているのですが、この本を最初に読んだときの私はまだゼーバルトに出会っておらず、その意味がわかっていなかった。今ならわかる、どちらも好きだから。今調べたら、2023年10月に新刊を出すようですね。訳されるかな……?


上記以外にも好きな作品はいくつもあるのですが、機会があればまた今度。
実は最近は新潮クレスト・ブックスから少し遠ざかっていたのですが、小冊子で読みたい本がいくつも見つかってしまった。書店に行くたびに新刊チェックはずっとしていたのだけれど、追いついていないなぁ。
これからも活きのいい海外文学を届けてくれること、楽しみにしています。25周年おめでとうございます!