好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ハーマン・メルヴィル『白鯨』(千石英世 訳)を読みました

海に行くときはいつも水夫として海に行く。(上巻、P.65)


もうずいぶんと長いこと積んでいたメルヴィルの『白鯨』を、2023年夏、ついに読了しました。
岩波文庫からも出ているけれど、私が読んだのは講談社文芸文庫から出ている千石英世訳。誰の訳で読むかについて特に深い意図があったわけではなく、比較的新しい訳だったのと、2冊で収まるのが気に入ったのでこの結果となりました。あと単純にレーベルが好きというのもある。講談社文芸文庫は裏切らない。

正直最近は、長編小説をあまり読まなくなってしまった。読み始めてしまえば割とすいすい読めるのだが、読み始めるまでが長いのだ。とくに日々の雑務に追われていたりすると、つい短編小説でお茶を濁したくなる。大人になるほど、物語世界に耽溺するのが難しくなってしまったようだ。
しかし! 長期の旅行は絶好の読書タイムである。3日程度の旅程なら分厚い文庫1冊程度がちょうどいい。だが今年、私には約一週間の夏休みがあった。訳あって、それは船旅だった。これこそ『白鯨』を読む最適の環境なのでは?


結論から言うと、あんまり頑張って文字を追うと酔うことがあるので、船の上は「『白鯨』を読む最適の環境」ではなかったです。でもやっぱり海を見ながら読む『白鯨』は最高でした。さらに『白鯨』は、私にとって非常に好みの小説でした。読めてよかった。
あらすじなどほとんど知らないままに読んでいたのですが(いずれ読むつもりだったのでこれまでネタバレを避けてきた)、世間で言われているような読みにくさはほとんど感じませんでした。私が話がわき道にそれるのを大歓迎する読者であることも原因かとは思うけど、それよりも大きいのは訳文の良さのおかげかもしれない。だって文章が最高に格好いいのだ。
冒頭の「鯨という語の語源」「鯨という語を含む名文抄」が数十ページ続いたときは確かに何だこれと思ったものですが、いざイシュメールが現れて、「きみ」などと親しげに読者に呼びかけ、共に海を目指そうと促してくると、小説世界の空気ががらりと変わった。

口のあたりに不機嫌がつのり、冷えびえとした十一月の雨が心のなかに降りしきるとき、また、街の棺桶屋のまえを通り過ぎようとして、我知らず脚が止まるとき、あるいはときにそのまま葬儀がはじまり、葬送の行列がゆっくりとうごきだすにつれ、きまって葬列の最後にとりついてとぼとぼと歩きはじめる人がいると気づくとき、そしてその人が自分自身であると気づくとき、さらには、憂鬱が嵩じる余り、ついに自己抑制の心の努力もむなしくなって、人の頭に乗っている帽子はすべて巧みに叩き落されねばならぬとの思いに深くとらわれ、そっと街へさまよい出てはその狙いを定めるとき、そんなとき、そんなときこそは、すみやかに海に行かねばならない。それがおれにとっての拳銃と実弾のかわりなのだ。(上巻、P57-58)

そうとも、すみやかに海に行かねばならない! 多少話がわき道に逸れたって全然構わなかった。なかなか海には着かないし、なかなか船にも乗れなかったし、船に乗ったら乗ったで鯨のさばき方とか懇切丁寧に解説してくれるし、だけどそれらも含めてずっと面白かった。この面白さはなんだろうな。海のロマンか。

だいたい鯨というのはロマンにあふれた動物である。大きくて強い。海というのも文学に似合いの舞台である。何かが始まりそうな気配たっぷりの船出は次の目的地にたどり着くまで進むしかない過酷さと背中合わせで、嵐に遭って船の制御を失えば神に祈るしかない。『白鯨』で語り手イシュメールは捕鯨船に乗り込むわけだけど、その捕鯨船のエイハブ船長は鯨による利益など二の次で、自らの脚を奪った悪名高き巨鯨「モービィ・ディック」をこの手で殺すことしか考えていない。

エイハブ船長! あなたが! お噂はかねがね! という感じでしたが、思った以上に復讐の鬼でした。たかが脚の一本くらいくれてやれよ、と思うんですが、執拗に白鯨をつけ狙う。どう考えてもエイハブのほうが悪役である。モービィ・ディックは自らの身体と群れを守っただけで、勝手に海に乗り出して鯨を追い回しているのは人間の方だ。


しかし『白鯨』の文章は軒並み格好いいな。読み返すたびに惚れ惚れする。
私は理屈っぽい人間なので第89章「仕留め鯨、はなれ鯨」のような社会派文章はかなり好きです。わかりやすいし、汎用性がある。

 一、仕留め鯨はそれをつないだものに属す。
 二、はなれ鯨になっている鯨は、だれであれ真っ先にそれを入手したものの正当な漁獲となる。(下巻、P.272)

聖書は旧約聖書ネタ出されるとちょっとついていけないところがあるのですが、繰り返されるヨブ記のエピソードなども深読みしがいがありそうで好ましい。おそらく『白鯨』の人気のひとつが、深読みできるキーワードがそこかしこに散りばめられているところでしょう。どちらかというとこの辺は詳しい方の解説とともに楽しみたい部分。第42章「白い鯨の白さについて」とか。なぜ白鯨は白いのか。あとピップはこの小説において何者なのか、とか。

白鯨に関して特におれが戦慄を覚えるのは、その鯨が白いということ。(上巻、P.454)

でも第32章「鯨学」のようなのも私は好きなのだ。舌先三寸で勢いつけて丸め込もうとする気配が良い。翻訳大変だっただろうなぁ。これは、挿絵が欲しいぞ。

鯨とは、潮噴く魚にして水平の尾を持つもの。(上巻、P.333)

そんなこんなで『白鯨』は、いろんな要素をたっぷり詰め込んだ大長編小説でした。読み終わりはしたけれど、まだ一周しかしてないな、という気持ち。これは何回か繰り返し読んで、論文なんかとあわせてじっくり楽しみたい小説だ。登場人物ごとに焦点を当てるのも楽しいだろうし(謎めいたマン島の老人とか)、捕鯨船の模型と照らし合わせるのもよし。次に読むのは旧約聖書を読んでからかな。


以降、私が『白鯨』で一番好きだった場面について書きます。しかし小説のラストに触れているので、一応隠しておきますね。未読の方はご注意ください。



異教徒とも友情を結べるイシュメールもいい奴で好きだし、自分の欲望を最優先する強さをもつエイハブも決して嫌いじゃないのですが、全編通しての一番のお気に入りは何といってもスターバックでした。善き人、スターバック。船の一等航海士。善良であるがゆえに最も苦しみ、救われずに死んでいく。私が『白鯨』で一番好きな場面は、何を隠そう第123章「マスケット銃」です。こういう葛藤が私はたまらなく好きなのです。

「スタッブ君、船長はあまりによく眠っている。きみが行って、起こして話してくれんか。わたしはここで甲板を見ていなくてはならない。いうべきことは分かっているな」(下巻、P.518)

第123章「マスケット銃」は台風を抜けて逆風が順風に変わったことをエイハブ船長に報告しようとするスターバックが、モービィ・ディックへの復讐心に駆られて船を危険にさらす船長に対し、殺してでも止めるべきなのではないかと苦悩する場面です。船長室の前でひとり、装填されたマスケット銃を扉板に押し当てて、室内のハンモックで眠る船長に狙いを定めて、一秒が千日にも感じられるような気分で――彼はしかし銃口を下すのだ!

そしてこの船は、ついにモービィ・ディックに出会い、敗れ、イシュメール以外の船員はみな死んでしまう。

読んでいてずっとそわそわしていたのが、こんなに執拗にモービィ・ディックを追いかけて船を走らせているのに、一向に彼が登場しないことでした。海ですれ違う船から噂ばかり耳にするのに、なかなか姿を現さない。もしかして最後まで出てこないのでは? というのも考えていたのですが、ちゃんと出てきたときには安心しました。しかし必要以上に姿を現さず、ささっと仕事してささっと退場するあたり、できる鯨でしたね。格好いい。

そしてスターバック君ですよ。彼の悲哀は、ここで手を下しても下さなくても地獄だというところにある。
エイハブを殺したとして、クーデターを起こしたとして、癖の強い船員たちをまじめな彼がまとめ上げることができるかどうかは五分五分だろう。何よりスターバックが彼自身の罪に耐えきれないだろう。妻にも子供にももう顔向けできないだろう。
結局スターバックにはエイハブが殺せなかったわけで、その結果、海の藻屑となった。それはそれでスターバックの危惧した通りではあったのだけど、とはいえスターバックは本船を任されていたわけだから、うまくいけばエイハブとフェダラー一派のみが海に沈み、そのほかの船員たちは生きて帰れた未来もあり得たのだ。実際第132章「交響曲」でエイハブとスターバックは和解したように見えたわけだし。でもそうはならない。偉大なるモービィ・ディックはすべてを破壊する。

スターバック。エイハブに侮辱されながら、エイハブを殺せなかった男。エイハブは「たかが脚一本」奪われただけで執拗に白鯨を追い回した男だ。スターバックのような優しい男ではとても太刀打ちできないだろう。それでもやっぱり、船長室の前で苦悩する彼の姿が私はすごく好きだったし、そこで銃口を下ろしてくれてよかった、スターバック自身のためにそれがよかった。神はそこにいたのだ。エイハブにさえ出会わなければ有能な航海士として一生を終えられたかもしれなかったね。
私はスターバックの善人さ、弱さがすごく好きだけど、例えば彼は第二次世界大戦時にドイツにいたら世間の変化に戸惑いながらも差別を見て見ぬふりするタイプの人間だとも思っている。世の中の流れに逆らえず、自分で世の中をひっくり返すヒーローにはなれず、ただ善人であり、ただ善人でしかない。私は、私自身がたぶんそうだろうなと思うからわかるのだ。スターバックは平時においては有能な航海士だ。だけど大きな波に抗うような強い決断を下すには向いていない。英雄にはなれない。悪漢にもなれない。
でもやっぱり、スターバックの存在が、撃てない彼の馬鹿正直な善良さが、その弱さが、ピークオッド号のナンバーツーとして必要だったのだろうと思う。

『白鯨』、非常に面白かったです。