好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

春暮康一『法治の獣』を読みました

去年から仲間うちで「『法治の獣』めっちゃ面白い」という話を何人もがしていて、ずっと気になっていながら読めていなかった一冊。知らない作家さんだなあと思っていたら、2019年にデビューして本書が二冊目とのことでした。ふぅんと思って読み始めたら、めちゃくちゃ面白かった。え、これが二冊目ですか? ほんとに? もう十年くらいキャリアありそうな作品じゃないですか。こんなしっかりしたハードSF作家って、最近の新人作家さんでは珍しいような気がする。

『法治の獣』は表題作を含む中短編3作品からなるのですが、いずれも同じ世界観を背景にしています。でも世紀レベルで違う時代の話で、単体でも楽しめるようになっている。どれも好きでしたがどれかひとつ選ぶとしたら「主観者」かなぁ。


「主観者」は知的生命を求めて地球の外に飛び出した時代の話。宇宙探査船に乗り込んだ5人の調査員は海に覆われた惑星でクラゲとイソギンチャクの合いの子のような生物に出会う。全身から発行している生物を「ルミナス」と名付けた調査員たちはファーストコンタクトに挑むが……というストーリー。
ルミナスはなぜ光るのか、7本ある腕のうち一つを自分自身に向けているのはなぜか、など、未知の生物について推論を重ねていく過程が非常に面白い。全編に言えることですが、謎を提示して論理的に迫っていく書き方が非常にうまいのだ。春暮康一、ミステリもいけるんじゃないかな。しかしSFへの愛を随所に感じるので、SF作家としてデビューしてくれてうれしいです。

「オゾンのピークはなし。酸素もなし……だが水がある。この海ができたのが最近のはずはないな。百億年前からあってもおかしくはない。分厚い水の層は、主星のフレアに対するシールドになっただろう。違うかな、アントネラ?」
 水を向けられたアントネラの目はスクリーンに釘づけだったが、頭の中では放射線のエネルギーと海水の遮蔽能を天秤にかけているようだった。ラカーユ九三五二は閃光星で、普段は赤外線とわずかな可視光しか発散しないが、不規則に大気の表層で爆発を起こし、そのときには紫外線からX線まで含む高エネルギーの電磁波を放射する。そうした放射線は、L-1の海で化学進化を駆り立て、いっぽうでそれによる生成物を破壊もするだろう。(P.16)

春暮康一のいいところとして、文章が非常にうまいのです。バチバチのハードSFでありつつ、日本語のうまさが読みやすくしてくれている。会話文と地の分のバランスとか、漢字とひらがなのバランスとか、考えて書いていそう。とはいえ読みやすくしてくれても文系人間にはわからんものはわからんのですが、わからなくても面白いものは面白いのだと私はイーガンで学びましたからね!

「主観者」は、75ページからの視覚イメージがもうすごくって、読みながら頭のなかで情景が一斉に広がりました。特に77~78ページ。これにやられた。すごかった。



「法治の獣」は「主観者」よりもずっと未来の話です。罪と罰の観念を持っている「ように見える」一角獣に似た地球外生命体シエジーと、シエジーの群れのルールをほぼそのまま人間社会の法律として使用するという社会実験をしているスペースコロニー<ソードII>。ソードIIに移住したシエジーの研究者が、コロニーの謎に迫っていくというストーリー。
異なる文化社会を描いているという点で非常に私好みだった。人間には知性があるからこそ、人間は真の意味で平等な法を作れたことがなかった、というのが面白い。シエジーは知性がないが「不快衰弱」という特性を持っていて、それが彼らに「本能的に群れのルールを守らせる」原動力になっている。彼らは知性がないけれど、本能で群れのルールを守る。人間はそれを見て「知性ある生き物だ!」と思う。
そもそも知性ってなに? という定義も難しいのだけれど、たぶん人工知能に自意識があるか問題にとても似ているのだと思う。ChatGPTはそれっぽい会話を返してくるけど、思考しているわけではない、でも思考している「ように見える」。そもそも思考って何?
コンピュータでの「自意識」は結構メジャーなテーマだけど、生物でやると毛色が変わってものすごく面白くなるな。本能と知性って曖昧なものですね。



「方舟は荒野をわたる」は巻末の作者ノートによれば、「主観者」と「法治の獣」の間の出来事とのこと。「主観者」同様に知的生命を求める探査船の話だけど、最後のフロンティア目指して宇宙に飛び出した「主観者」時代と違って、人口飽和を解決するための移住先選定というシリアスな背景を背負っている。かれらが見つけた惑星は自転速度もバラバラで生命が生き延びるにはあまりに過酷な環境でありながら、そこにはなんらかの方法で太陽の位置にあわせて移動する生態系が生きていた。
ちょっとちょっとちょっと! もうこの設定だけで盛り上がるじゃないですか。探査船チームが「方舟」と名付けたこの生態系はどうやって太陽の位置を把握しているのか? それは知性ではないのか? というのが一つ目のポイント。これはミステリでいう密室殺人事件みたいなもので、縛りが多いほど燃えるのだ。
もうひとつのポイントが、探査船メンバーが一枚岩ではないこと。探査船には人類が移住するために他の星をテラフォーミングすることに反対の立場をとるクルー2名と、人類の移住先を開拓する責任を持つ監督官1名がいる。彼らの立場の違い、思想の違いが読みどころだ。

 <方舟>の存在は地球化そのものの是非を問うかもしれない。生命の発生など絶望的と思えるこの惑星で、<方舟>ほど高度な生態系が生まれるなら、他の多くの星でも同様だろう。現住生物がいる星の地球化は認められていないから、この星も当然対象外となるが、問題はそこではなかった。<方舟>の存在が公表されれば、世論は少なからず生物多様性の保護に傾く。地球化可否の判定にはいまよりずっと慎重な調査が求められ、事実上の永遠に思えるほど多くの時間が浪費されるだろう。ヤンたち反乱分子が望んでいるのはまさにそれだった。(P.246)

[ ...... ] 生きる場所を手に入れるための戦いならまだ慰めになる。そのために奪ったものから、目を背ける必要もないのだから。何かを殺して自分が生きるのは、時と場所を選ばずついて回る宇宙の摂理なのだろう。しかし、好奇心を満たすことが生存に必要で、そのために他者を犠牲にしても仕方ないのだと、人間は自らを納得させられるだろうか。(P.317)

個人的にずっと疑問なのですが、子どもたちが喧嘩したり傷つけあったりして大きくなるというのは、ほんとに最善なんですかね。たかだか「私の心の成長」のために私ではない誰かが傷つくなんて不条理じゃないか。きっとお互い様ということなんだろうけど、コミュニケーションなんてするからそんなことになるのでは? そんなの無免許で高速乗るようなものじゃん。しかし人間はコミュニケーションしないと生きていけない生物であることもわかっている。わかっているけど、納得いかないよなぁ。世界は不条理でできている。ほんと納得いかない。
人類が生き延びるために他の星をテラフォーミングするというのが正しい行為か。肉食は忌むべき文化なのか。人類の欲望はどこまで許容されるのか、考えるほどわからなくなる。赦しを与える神様や上位者が存在しない以上、自分たちでオッケーの線引きをしなくてはならないというのが、しんどいな。自分にどこまで許すのか。一番難しいやつだ。


非常に面白かったです。デビュー作『オーラリメイカー』も読みたいし、次も読みたい。どんどん書いてください、よろしくお願いします。