好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ローレン・アイズリー『星投げびと コスタベルの浜辺から』(千葉茂樹 訳)を読みました

星投げびと―コスタベルの浜辺から

星投げびと―コスタベルの浜辺から

古本屋で工作舎の自然科学系エッセイを見かけたときは、できるだけ買うようにしている。外れがないからだ。
この本も、古本屋で見つけて買った一冊です。著者のアイズリーの名前は知らなかったけど、タイトルが良いし、目次にずらりと並んだ章タイトルが非常に好みだったので。「鳥たちの裁判」「惑星を一変させた花」「最後のネアンデルタール人」……はい、これは好きなやつ!

実際読んでみると結構がっつりめの自然科学エッセイ(ネイチャーライティングとも呼ぶらしい)で、しっかり目を覚まして文字を追わないと頭に入ってこないタイプの本でした。なので一ヵ月ほどかけて、ゆっくり読みました。
硬派な文章だし、ところどころ頑固そうな雰囲気も感じられはするものの、アイズリーがものを見つめる目が愛に溢れているのが感じられて、とても良かったです。世界も捨てたものではないと感じられる。多くの人が素通りするものをわざわざ立ち止ってじっと見つめるタイプの人だというのが。行間からしっかりと伝わってきました。アイズリーは、ニューヨークにいても、化石を掘るために地方の田舎にいても、そこで生きるあらゆる生物を愛をもって見つめる人だ。神のようだ、と言ったら本人は嫌がるだろうな。

アイズリーが出会った生き物エピソードはどれも好きだけれど、特に冒頭に置かれた「鳥たちの裁判」は印象的でした。私が鳥が好きだからというのと、初めて読んだアイズリーだったということと、両方がその理由だと思う。
「鳥たちの裁判」で描かれるのは、ニューヨークのホテルの二十階で見た鳩たちの旋回、霧の深い朝に家の近くで鉢合わせしたカラス、砂漠で出会った化学物質の飛行。それから、ヒナをひと呑みにしてしまったカラスを小鳥たちが取り巻き、鳴き喚いているのをアイズリーが偶然目撃した事件のこと。

 あえてカラスに攻撃を挑むものはいない。しかし、鳥たちは家族を奪われたものによせる本能的な共感の声をあげた。空き地は、鳥たちのやわらかな羽ばたきの音と鳴き声で満たされた。その翼で殺人者をさし示すかのように羽ばたいた。おかしてはならない漠とした倫理をカラスが破ってしまったことを、彼らは知っているのだ。そのカラスは死の鳥なのだった。
 そして、生の核心にあるかの殺人者たるカラスは、おなじ光に羽を輝かせ、ふてぶてしく、身じろぎもせず、おちつきはらって、ほかをよせつけずに座っていた。
 ため息は完全に静まった。そして、そのとき、私は審判がくだされるのを見たのだ。審判の結果は死ではなく生だった。あれほど力のこもった判決を二度と見ることはないだろう。あの痛ましいほど長くひき延ばされた声音を聞くことは二度とないだろう。抗議の嵐のただなかで、彼らは暴力を水に流したのだ。まず最初に、ウタスズメのためらいがちな、しかし、クリスタルのように透明な鳴き声がひびきわたった。そして、はげしい羽ばたきのすえに、最初は疑わしげに、やがて、つぎからつぎへと歌いつがれていって、邪悪なできごとは徐々に忘れ去られていったのだ。鳴鳥たちは奮い立って、歓喜の声で喉をふるわせた。生きていることは甘やかで、陽ざしは美しい。だから彼らは歌うのだ。彼らはカラスの重くたちこめる影のもとで歌った。カラスの存在を忘れてしまったのだ。彼らは死ではなく生を歌いあげる歌姫たちなのだから。(P.36-37、「鳥たちの裁判」)

アイズリーが見つめる「自然」というのは、きっとこういうものなんだろう。厳しくて、優しくて、薄情で、冷酷で。夜の後には朝が来て、冬の後には春が来るけど、それを迎える側は朝や春にはもうこの世にいないということは、十分にありうる。生きとし生けるものすべてがそれを知っている。

アイズリーはソローやエマソンを引用し、自身をナチュラリストと呼び、人間中心主義には冷淡な態度ではあるけれど、自分が人間であることを自覚しているところが好きだ。ナチュラリストには孤独が必要であると言い、彼自身孤独を愛しているけれど、人間が嫌いなわけではない。「自然」という言葉の曖昧さも自覚している。
ナチュラリスト」は極端な主義主張の人をも含むので胡散臭い印象を持っているのだけれど、アイズリーは善き科学者という感じで安心する。倫理をもって科学技術を使役することができる冷静さを持っていそう。過度に技術を恐れることもなく、中道を行ってくれそうな人。

でもやっぱり、彼の中にはぽっかりと浮かぶような孤独があって、時々ものすごく寂しい気持ちになったりしたんじゃないだろうか、とも思う。それがアイズリーの魅力でもあるのだと思うけど。

 この宇宙には人間ほど孤独な存在はない。ともに暮らす動物たちとは、社会的記憶や経験において茫漠たる溝によってへだてられている。そして、そのことを知るだけの知性をそなえているがゆえに、人間は孤独なのだ。(P.42、「長い孤独」)


基本的にエッセイ集ではあるのだけれど、中には小説仕立ての章もあって、そのひとつである「蛙のダンス」がとても好きでした。一緒に魔法にかかったような気持で読んでいた。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、「その瞬間」が来た時の感覚の描き方が素晴らしかった。別に似たようなことを体験したことがあるわけでもないのに、ぞっとするような感覚を私も感じた。踏みとどまれなかった場合にはその体験を語る機会が永遠に失われてしまう類の魔法だ。アイズリー、何なんだこの筆力……。

好きなエピソードを並べ出したら頭から終わりまで全部触れなくちゃいけないので、この辺りにしておきます。
ホイットマンや『白鯨』、ダーウィンフロイトの言葉を引用して、アイズリーは彼が目にした世界を語るのだ。その世界が大きすぎることもなく、小さすぎることもないのは、彼自身がしっかりと目を開いてものを見ているからだろう。
アイズリー、とても好きな雰囲気でした。『夜の国』も読みたい。