好物日記

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文楽「生写朝顔話」を観てきました

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令和3年5月の文楽東京公演、第二部を観てきました。演目は「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」です。
文楽の東京公演はなるべく行くようにしているのですが、ブログ記事を振り返ったら2020年秋から行っていなかった。冬に行きそびれたから、ずいぶん久しぶりになってしまった。
実は今回も緊急事態宣言を受けて、5/9~5/11は休演となっていました。私は幸い5/12以降のチケットを買っていたので無事に観られましたが。不安のある人は払い戻しするのでご無理はなさらず、というスタンスでしたが、それなりに人が入っていたから、辞退者はあまりいなかったと思われる。

生写朝顔話は初めて見る演目でした。若い男女のラブストーリーで、良家の若い男女が互いに一目惚れして結婚しようとするけれど、いろいろあってすれ違い続ける話。今回上演されたのは「宇治川蛍狩りの段」「明石浦船別れの段」「宿屋の段」「大井川の段」。間にあるはずの話が少し飛ばされているのでよく分らない部分もあり、観終わってから少し復習しました。でもよくわからないままの部分もある……。
登場人物の行動原理が江戸時代仕様なので納得いかないところはあるけれども、それでも文楽は観ていて楽しい。ただ座席が今回少し後ろになってしまったので、次からはもっと前の席が良いな。これは単純に、私の視力の問題です。

おおまかな話の流れは以下の通りです。
宇治川蛍狩りの段」は武士・阿曾次郎と良家の娘・深雪の出会いの場面。阿曾次郎が戯れに書きつけた歌の短冊が風で飛ばされて、深雪が乗っていた船に吹き込む。まぁ素敵な歌、と乳母と共に感心していたところで酔っ払いに絡まれ、阿曾次郎に助けられてお互いに恋に落ちる。雅ですね。しかし阿曾次郎は仕事の呼び出しで行かねばならず、朝顔の歌を書きつけた扇子を深雪に贈り、二人は一旦離れ離れに。
「明石浦船別れの段」は明石浦で停泊中の大きな船に乗った深雪と、小舟に乗った阿曾次郎が月夜の下で再開する場面。感極まった深雪はもう離れないわ!とか言うのですが、阿曾次郎は大事な仕事があるので今は駄目だと説得しようとする。しかし深雪は連れて行ってくれないならここで身投げする!とか言うのだ。お嬢さん、仕事がある人を困らせちゃいけません。仕方がないので阿曾次郎は深雪を連れて行く決心をし、両親に置手紙をするため深雪は一旦船に戻る。しかしちょうどそのタイミングで深雪を乗せた船が出航し、二人は再び離れ離れになるのでした。
その後、今回の公演に含まれない場面が続きます。深雪の両親がせっかく阿曾次郎との結婚をセッティングしてくれたのに、阿曾次郎が駒沢次郎左衛門と改名していたために相手が自分の愛する人と気付かず深雪が家出。深雪を探しに出た乳母と再会するもその乳母も亡くなり、泣き暮らした深雪は盲目となる。深雪は朝顔と名乗る旅芸人となり、阿曾次郎を探して旅をする。一方阿曾次郎あらため駒沢次郎は善人である宿屋の主人の協力のもと、悪人らしい連れとひと悶着あった模様(笑い薬がどうとか言っていた)。
そして今回上演された「宿屋の段」で、駒沢次郎と深雪(朝顔)は二度目の再会を果たすのでした。深雪は宿屋に呼ばれ、駒沢次郎の目の前で琴を弾くのですが、盲目であるため自分を呼んだ宿屋の客が自分の探し人とは気づかない。駒沢次郎の連れに請われて語った身の上話から、ああこれはあのときの深雪だと駒沢次郎は確信するくせに、何かの理由があってその場では正体を明かさない。後から演奏の褒美を貰い、宿の主人に書きつけを読んでもらって初めて駒沢次郎の正体に気が付いた深雪は、半狂乱になってあとを追いかけるのでした。
そして最後の「大井川の段」で一足早く大井川を越えた駒沢次郎を追いかけながらも、増水しているために川を渡れず足止めされて悔しがる深雪。そこへ宿の主人が追いついてくる。ちなみに駒沢次郎は深雪への褒美にとある目薬を入れていたんだけど、これに特定の生まれ年の人の生き血を足すとどんな病もたちどころに癒えるのだとか。そして宿屋の主人が大井川の手前でいきなり切腹する。彼はちょうどその年の生まれで、実は深雪の乳母が宿屋の主人の娘であり、彼は深雪の両親に恩があったのである! 駒沢次郎が深雪に贈った目薬と宿の主人が切腹して流した生き血によって、朝顔=深雪の視力は戻るのであった……。うーん、これはハッピーエンドなのか。


今回この第二部を観ることにしたのは、咲太夫&燕三ペアが切り場を演じるからで、「宿屋の段」がこの話の切場、クライマックスに当たります。盲目の深雪(朝顔)が駒沢次郎(阿曾次郎)の前で琴を弾き、あとから駒沢次郎=阿曾次郎であることを知って「気付かなんだ!!」と泣き叫ぶ場面。
深雪の人形の遣い手は豊松清十郎さんだったのですが、琴を演奏する場面が凄くて、じっと凝視してしまった。人形が劇中で楽器を演奏するときって、手の動きが実際に演奏する時の動きに忠実なんですよね。舞台の横で実際に琴が演奏されるので、遠目に指遣いも見えるんですが、ほんとに、人形の手と奏者さんの手の動きが同じなんですよ。時差なんかないシンクロっぷりで、それを涼しい顔して、何でもないですよ、って感じでこなすのだ。人形遣いの人は皆、実際の琴奏者さんと一緒に弾いてる感覚なんだろうな。
あと深雪は零落して乞食のような身なりになっても元々の良家のお嬢さんらしさもあるのですが、ひとたび阿曾次郎のことになると半狂乱になるギャップが実に凄かった。咲太夫さんの語りの気迫よ……三味線の盛り上げも素晴らしかったです。

しかし、駒沢次郎が深雪と再会したときに名乗り出なかった理由が私にはよくわからないままだ。多分仕事があるからとか何か理由があるのだろうけれど、言ってあげればよいのにねぇと思ってしまうのは現代の感覚なのかな。名乗り出ない説明は特に無かったはずなので、当時の観客から見れば当然の対応なのかもしれない。「深雪」時代には深雪のほうが阿曾次郎よりも身分が上で、「朝顔」時代には阿曾次郎(駒沢)の方が(傍から見れば)深雪よりも身分が上になるというのもポイントなのかもしれない。あの場に悪人面の連れがいなければ話は別だったのだろうか。うーん、わからん。しかし駒沢次郎は真面目に仕事をこなし、上司の覚えもめでたく、美男という設定で、深雪以外の女と結婚もせず、ちょっといい人すぎるぞ。とはいえ自分のために全てを捨てて追いかけてきた良家の娘が今は旅芸人に身をやつしていることを知りながら、盲目になった彼女を置きざりにしてさっさと大井川渡ったりするあたり、なかなか地に足のついた良い性格をしているな。深雪ちゃんはちょっと直情径行が過ぎるようだけど、駒沢次郎の将来は大丈夫だろうか。上司の娘と結婚して、仕事のたびについてこられたりしたら大変だぞ……頑張ってね……。

久しぶりの文楽、楽しかったです。次はもっと前の席で見るぞ。