好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

松本清張『昭和史発掘 12』を読みました

ノンフィクションシリーズ『昭和史発掘』、12巻を読み終わりました。父親のお下がりの古い版でISBNがついていないので、リンクは無しです。

12巻は、11巻で蹶起部隊が撤退した後の話になります。彼らがどのような処分を受けるのか、というところ。内容は以下の通り。

二・二六事件 六
・特設軍法会議
・秘密審理

小タイトルから滲み出る不吉な感じ……

蹶起後、数人の将校は自決したのですが、多くの将校(元軍人含む)は刑務所に入れられました。将校たちの目的は世直しなので、相沢事件のときのように公判で切々と胸の内を語り、世にその趣旨を知らしめようとしたのです。
しかし軍の意向により、裁判は非公開で行われることになります。
軍人に対する裁判なので軍法会議になるのですが、常設軍法会議ではなく特設軍法会議という形にして、非公開でも違法でない状態にしたのでした。

 だが、何度もいうように、特設軍法会議とは戦時事変又は交通断絶した戒厳地区(合囲地境)に構成するものであるから、これを国内に適用するには異論があるはずだ。戦地、占領地などではその特殊な環境からいって、なるべく早く裁判を終らなければならない。適当な弁護士もいないという事情もあろう。しかし、国内に戦争はなく、戦時緊急切迫の事態もない。適任の弁護人はいっぱい居る。戒厳令下といっても三月に入ってからは東京の治安も回復し、平静になっている。そこまでする必要はなさそうだ。
 ところが、陸軍当局は相沢裁判で懲りていたのである。相沢の第一師団軍法会議は、いわゆる常設軍法会議で、公開、弁護等が認められた。この公開審理を利用して、いわゆる法廷闘争がなされた。相沢被告は演説し、満井特別弁護人は、真崎、林、橋本らの将官を証人として出廷させ、なお大物を証人として続々と申請した。(中略)
 公開すれば一大法廷闘争になるのは必至だ。大弁護団と、夥しい証人群。裁判長忌避の戦術は却下されるにしても、上告するのは間違いないから、最終結審と判決まで何年かかるか分らない。その間の法廷闘争と外部への反響を考えると、当局は鬱陶しい限りというよりも恐怖が起る。第二の叛乱がつづいて起らないとも限らないのである。(P.47-48)

そんなわけで本来なら常設軍法会議となるところを、無理やり戒厳令を伸ばして理由づけして特別軍法会議という形で進めたのですね。エライ人はさすが老獪だ。

12巻で詳しく書かれているのは、事件を指揮した将校クラスと、上官の号令で集合し現場に向かった兵士クラス、それぞれの量刑をどうするかの考え方についてです。なんせ大人数なので、全員を有罪として処分すると軍の構成にも影響が出るし、国民感情も悪くなる。もともと軍というのは「上官の命令は絶対」という特殊な空間であり、その不文律を崩すわけにもいかない。そのあたりをうまくバランスとりながら、丸く収める必要がある。
特設軍法会議なので、判決を下す「判士」は軍の中から選ばれます。なるべく中立的な立場の人を集めたということになっているし、本人たちも軍上層部の介入はなかったと証言しているけど、全然ないわけないよね、というのは松本清張も指摘している通り。それはそうだと思う。
本書では判士に任命された人の手記などをもとに細かい所まで書かれていて、さすが松本清張って感じでした。やっぱり彼はジャーナリストですね。

面白かったのが刑務所の様子。将校たちは渋谷区宇田川町にあった衛戍刑務所に収容され、その刑務所の一角に特設の公判廷を作ったらしいのですが、やっぱり人によって過ごし方に個性が出ていたようですね

 久原房之助は、着物を脱がせると、裏地に羽二重を使っているといったような贅沢な男だった。
 北一輝はいい男だった。実弟の北昤吉が面会にくると『お前らはなっておらん』と云っていた。態度などで感心したのは、この北と真崎などで、西田も立派だった。
 亀川哲也もおとなしく、古事記などの本を読んでいた。
 大蔵栄一は運動の際、逆立ちなどしていた。区画をきめて、自由にさせろなどといっていた。栗原安秀はいちばん気負っていた(P.171-172)

上記は元看守の証言。「態度などで感心」の詳細が書いてなくて残念なのですが、やっぱりオーラのある大物というのは、刑務所に入るくらいでおどおどしたりはしないものなのかな。そういう度胸ってどこで身につけるんだろうか。場数か。しかし北はすっかりその筋の人って感じだ。
中でも歌人でもあった斎藤瀏の「獄中の記」からの引用は味わい深かったです。刑務所での暮らしを記した中に短歌が挟まれているのだ。

「朝起きて私は用便の為め上げ板を上げて、便槽に跨り蹲まつて驚いた。この便槽の底に私の顔が……私は此処に来て私の顔を見た。
 ほのぼのと槽の尿にうつろひいてわが顔が見ゆたちがてぬかも
 私は茲に鏡の在ることを知り得た。獄中では鏡の使用は許されぬので、自分の顔を見る時機は無いのだ」(P.173)

歌人ってすごい。刑務所の御不浄すら雅に思える……。

そんなエピソードも挟まれつつ、駆り出された判士たちは公判をスピーディに処理するため、膨大な人数の実行犯たちをタイプ別のグループに振り分け、量刑に頭を悩ませるのでした。
13巻に続く!