好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

松本清張『昭和史発掘 8』を読みました

父親のお下がりの文春文庫の古い版で読んでいる『昭和史発掘』も8巻となりました。
ISBNがついていなくて、新版は収録内容が違うのでリンクは無しとなっています。

7巻に続き、8巻も2本立てでした。

二・二六事件 二
「相沢公判」
「北、西田と青年将校運動」

そしてまだ二・二六事件自体にはたどり着かない。

7巻で語られた相沢事件の公判から始まるわけですが、読み進めると、確かにこれは二・二六事件を語るときには外せない事件だなというのが分ってくる。松本清張がこの事件の関連に紙幅を費やしているのも納得だ。
堕落した軍上層部に対して純粋な軍人が立ち上がり、たった一人で巨悪に立ち向かった……というのが、青年将校から見た相沢事件です。そして青年将校たちは、相沢事件の公判を、彼らの思いを世間に訴える場として期待していた。

 相沢公判の六回目までは公開裁判だった。その法廷闘争の任務にあたったのは西田税、渋川善助、村中考次らである。その狙いとする相沢供述を世間に知らせ、「昭和維新の精神」を宣伝する効果は、相沢の法廷での自由な陳述によって十分に果たせられつつあった。各新聞が毎回大きくこれを報道したからである。
 一方、それは、陸軍部内に向っては統制派の「不正」を暴露する戦術となった。これによって、皇道派を有利に導き、再びヘゲモニーを握らせる狙いだった。(中略)
 在京の歩一、歩三などの青年将校は第一回公判から多数つめかけ、相沢被告を無言で奨励すると同時に、その陳述に耳を傾けた。裁判長以下判士たちに対する見えざる圧力であった。(P.71)

思っていたよりも世論というのを気にしているのかな、というのがちょっと意外であった。でもやっぱり、何か事を起こすときには「自分は正しいことをしている」ってお墨付きをくれるものが欲しいものなのかも。
相沢公判を通して彼らの思いを世間に訴えることが叶い、これを皮切りに軍の堕落が是正される……というのはまぁしかしちょっと無理がある。軍の偉いさん方は、いろんな政治的駆け引きとかを潜り抜けた末にその地位にいるのだ。甘い蜜を吸う輩というのは、そう簡単に反省なんかしないよなぁ。
というわけで、裁判は途中で非公開となってしまう。

 しかし、皇道派の公判対策も、橋本証言から林証言となるころ、前途の行詰りを感じてきたのである。その隘路となったのが林の用いた軍法会議法第二三五条である。この条文は、軍事参議官などは、その内容が軍の機密に亙るときは、勅許を得なければ証言できないことを規定している。
 この軍法会議法第二三五条の証言拒否権は林にとって絶好の防塞となったが、相沢裁判対策の本部、つまり法廷闘争によって統制派にゆさぶりをかけようとする西田税、村中考次、渋川善助、それに亀川哲也らの一派は大きな壁にぶっつかったことになった。証人が証言を断ると、法廷で追求ができず、企図した方向に進めなくなったからである。これでは、彼らが折角獲得した「公開裁判」の効果の大部分が失われる。主流派である統制派への攻撃は足踏みとなり、ましてや宇垣の引張り出しなど思いもよらないことになった。(P.136-137)

そういうわけで、相沢中佐が事件を起こした理由の一つである真崎教育総監の罷免についての証言が、軍の機密にかかわると判断され、裁判は非公開に。なるほどね、やるなぁ。そうなると公開裁判を契機として昭和維新を進める作戦は暗礁に乗り上げる。ではどうするか? 残された道は直接行動である。
ここへきて青年将校たちの行動は、のちに二・二六事件と呼ばれる出来事へ向けて一気に加速していく。

それまでにも陸軍では何度も小さなボヤが出ていたので、憲兵が非常に警戒していて、しきりに彼らを尾行して記録をつけていました。その記録を松本清張は度々記載しているのが興味深い。憲兵隊は怪しい情報を随時軍の中央部に伝達するのだけれど、軍上層部はそれを本気にしなかった、というのがまた……太平洋戦争の時もそうだったよね、都合の悪い要素を見なかったことにしたりして。

 統制派も、青年将校らが何を考え、何を相談しているかぐらいは察知していた。しかし、かれらは青年将校らの動きを過小評価していたようである。
 青年将校の密会、画策が慌しく行われ、何か重大事の発生を予感させる各種の情報が憲兵隊に入って中央部に警報が伝達されたが、
「軍当局はそれを一笑に附し『青二才連中に何が出来るか』と云って鼻であしらい、むしろそう云う連中なら、逆にこっちが御して対政治策謀に利用してやろうと云うような気配さえ示した」(福本亀治「秘録二・二六事件真相史」)
 中央部統制派のこの態度は、青年将校に対する彼らの優越意識――軍人の階級意識天保銭意識、軍令・軍政機関の組織的意識――や、憲兵隊上部の情勢判断の甘さなどに原因すると思われる。(P.193)

確かに青二才連中だけならここまでいかなかったかもしれないのだけど、彼らには北一輝がいた。読もう読もうと思ってまだ読んでいない北一輝だけど、この巻の後ろの方に彼の半生が紹介されていて、これがまためちゃくちゃ面白かったです。これは、大風呂敷広げて人をその気にさせるタイプだ……! 中国での革命に一枚噛み、青年将校たちが目の敵にする財閥の番頭さんからお金を貰って情報を渡し、一方で若い軍人たちに革命思想を吹き込む。映画みたいな人生だな。どんなこと考えて過ごしてたんだろうか。やっぱり北一輝の本も読みたいな。

そしておそらくきっと次の巻で、遂に二・二六事件が実行される……のかな? 9巻に続く。