好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』を読みました

こんな本が出たよ、と教えてもらって調べたら「あ、はい、私好みです」ってなったので迷わず買いました。訳は細井直子さん。とても好きなタイプの本。
帯に「もっとも美しいドイツの本」に選ばれたと書かれているのですが、納得の美しさでした。著者は東ドイツ出身の作家でありブックデザイナーであるとのこと。テーマごとに黒地の紙を挟んでいるので、本を閉じた状態でも、いわゆる天・地・小口と呼ばれる紙の束部分がぴしっとストライプで揃っていてとても綺麗です。しかもこの黒地の紙はただの仕切りではなくて、ほとんど見えないようなインクでうっすらとそのテーマにまつわるイラストが描かれているんですよ……最高!最初全然気がつかなくて、3編目くらいで光の加減で初めて気がついてびっくりしました。凝ってるなぁ。紙質がいいだけじゃなかったのか。

内容も、小説という枠組みからちょっとはみ出ていてとても面白い。すでにこの世にない12個のあれこれをテーマに、小説のようなエッセイのような文章が収められた小品集なのですが、そのテーマからしてわくわくします。
たとえば冒頭の「ツアナキ島」は地図から消えた島、続く「カスピトラ」は絶滅した動物。他にも倒壊した屋敷や断片しか見つかっていない古代ギリシャの詩作品などなど…

「緒言」と題された序文のような文章からして、とても良い。

 解体や破壊という現象の諸相を柱とする本書の執筆をほぼ終えた今になって、私はそれが死と向き合う無数の方法の一つにすぎないことに思い至った。これをヘロドトスが記しているインドのカッラティアイ人の習俗と比べて、どちらがより粗野だとか、どちらがより思いやり深いとか言うことはできない。死んだ親の肉を食べる習慣を持つカッラティアイ人は、親の死体を火葬にするというギリシャ人の風習を聞いて、大いに憤慨したという。死すべき運命(さだめ)をつねに見つめる者と、死を意識から排除することに成功した者と、どちらがより生に近いのか。すべての物には終わりがあると考えるのと、終わりはないと考えるのと、どちらがより恐ろしいか、という問いと同じで、これは非常に見解の分かれるところだ。
 議論の余地がないのは、死とそれに伴う問題、つまり一人の人間が突然存在しなくなり、それと同時に故人の残した者、すなわちその死体から、持ち主のいなくなった全財産にいたるまでが存在をはじめる、そのこととどう向き合うべきかという問題が、時とともにさまざまな答えを要求し、何らかの行動を挑発し、その意味が本来の目的を越えていく、そうすることで私たちの古い祖先は動物的領域から人間的領域へと歩みを進めることになったのだろうということだ。(P.12-13)

幻獣や伝説について集めた本も面白いけれど、かつて存在したが今はもう存在しないものっていうのは格別の良さがありますね。単純に私がそういうの好きってだけなんですが、失われるという過程を経ることによって増幅される味わい深さがある。いずれは自分も含めたすべてのものが、その目録に名を連ねる条件を満たすのだという暗黙の了解を行間に感じ取るからだろうか。形あるものはいずれ失われるのだ。

文章も美しいし、テーマごとに趣向が違っているのでページを捲るのが嬉しくもあり勿体なくもあり、一日一編ずつちびちびと読んでいました。どれも良いのでどれが一番とか言えないんですけど、「カスピトラ」「サッフォーの恋愛歌」「グライフスヴァルト港」なんかが特にお気に入りです。「グライフスヴァルト港」は、川沿いを歩く途中で視界に映るものをひたすら言葉に起こしたような文章で、とても好きでした。自分もそこにいるみたいな気になってくる。

 大きな雲の覆いが、頭上に低く重たげにかかっている。かろうじて遠くの方に空が明るんでいる所があり、そこから薄いバラ色がひとすじのぞいて見える。がっしりしたナラの木が数本、柵で囲まれた牧場の向こうにそびえている。大昔に開墾された放牧地の名残だ。窪地に雨水と雪解け水が溜まって湖のようになっている。そこにナラの枝が映っている。トウシンソウに似た淡黄色の草が、その淡青色の水の中から生えている。一羽のセキレイがひょこひょこと水辺を通り、お辞儀をするように尾羽を低く下げ、羽毛を散らしながら飛び立つ。(P.174-175)

シャランスキーは「博物学シリーズ」というのも出しているらしく、とても気になります。しかしドイツ語はちょっと手が出ないですね。和訳がでないかなぁ。

また訳者あとがきによると、『失われたいくつかの物の目録』は「第二回ソーシャル・トランスレーティング・プロジェクト」の対象作品として訳されたものとのことです。なかなか面白そうな企画。こういうことしてるんですね。

このプロジェクトはアジア各国の翻訳者をオンライン・プラットフォームでつなぎ、ある共通のドイツ語圏の文学作品を訳出していくという新しい試みで、第一回である一昨年はトーマス・メレ『背後の世界』(二〇一八年、金志成訳、河出書房新社刊)が十一か国で翻訳出版された。今回は対象作品が二つに増え、六か国が本作品に取り組んだ。翻訳者たちはまずソウルで一度顔合わせを行った後、オンライン・プラットフォームにログインする。プラットフォーム上には電子書籍化された作品が、著者の膨大な注とともにアップされている。そこで翻訳者は著者自身や他の翻訳者たちと作品に関する疑問点について話し合いながら、自分のペースで訳出作業を進めていく。とても合理的で理想的な翻訳方法であると思う。(P.249)

『失われたいくつかの物の目録』は、装丁にこだわり、中身もジャンルに縛られない小品集であるところが、クラフト・エヴィング商會の本を彷彿とさせました。彼らもブックデザイナーでもある。気が合うのではなかろうか。