好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

「2022年の『ユリシーズ』」の読書会(第十回:第十挿話)に参加しました

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2021年2月21日にZoomで開催された「2022年の『ユリシーズ』」の読書会、第十回に参加しました。

2019年に始まったこの読書会は『ユリシーズ』刊行100周年である2022年まで、3年かけて『ユリシーズ』を読んでいこうという壮大な企画で、ジェイムズ・ジョイスの研究者である南谷奉良さん、小林広直さん、平繁佳織さんの3名が主催されているものです。
毎回楽しみにしているのですが、内容や進行も毎回進化を遂げているんですよね。第十回を迎えてもマンネリにならず変わり続けるのは凄い。今回も充実の時間でした。

なおこの記事では読書会と個人的な第10挿話の感想について記載していますが、作品解説やあらすじ紹介のようなものは、残念ながら皆無です。内容が気になる方は上記URLに後日主催者資料などがアップされるはずなので、そちらをご覧ください。

さて第10挿話は「さまよえる岩」。冒頭から初めましてのコンミー神父なる人物が登場して、端役かと思ったら断然ブルームやスティーヴンよりも目立っていた。挿話は全部で19の断章に分かれていて、あらすじなんてあってないような入り乱れ具合。正直最初はどうなることかと思いましたが、実際読んでみると、これまでで一番「読めた」感の強い挿話となりました。見かけによらないものだ。

今回の読書会前には主催者の方からメールが来て、読解のヒントとして「人物」や「場所」をマーカーなどで塗り分けてみましょうというアドバイスがありました。私は毎回写経と称して英語原文(ガブラー版)と柳瀬訳をWardに起こしているのですが、さっそく色分けをやってみたところ、とてもカラフルになって、読んでる感を醸し出すことができた。頑張ったので自慢しておく。

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ユリシーズ』第10挿話。黒字が読書会前のコメント、赤字が読書会中のコメント。

色分け以外に、読んでるうちに夢中になって作業したのが、写真にも写っている付箋です。これは第10挿話内のワープホールなのです。
例えば写真に写っている「おおらかな白い腕」の下の黄色い付箋Cは、次の断章の「むっちりしたむき出しのおおらかな腕」の付箋C(こちらは写真には写ってないです)にワープする。つまり、第10挿話では一つの事象が異なる箇所で語られることがあるのです。あるいはさっきまでP地点にいた登場人物が、別の断章ではQ地点にいるところが描かれて、あ、ここに移動してきたんだな、と分かるようになっていたり。
しかし実際に読んでいると、どことどこが繋がっているのかが分らなくなるので、ABCとイロハを振って付箋を貼って繋げてみたのでした。そしたらものすごい数になったという……でもこの同時性がすごく面白かった。街中に仕込んであるカメラが切り替わるようで、とても映画的だ。コーニー・ケラハーが吐き出した干草汁が描く弧と、「おおらかな白い腕」が投げる硬貨の描く弧がオーバーラップするところとか、すごくうまい。
ちなみにこのコーニー・ケラハーの描写はお気に入り場面の一つです。ただ淡々と彼自身の仕事をしているだけなんだけど、様子が目に浮ぶようで。毎日こういうことしてるんだろうなと思えるところが、生活の中の一瞬を書きましたって感じがして良い。
なお他のお気に入り場面はディグナム君がおつかいに行くところと、マリガンとヘインズがお茶会するところ、そしてサイモンとおっさんカウリーとベン・ドラードがじゃれ合うところなどです。

付箋に話を戻します。
読書会前の予習ではワープホールの座標を拾うので精一杯でしたが、読書会で主催者や他の参加者の方の話を聞くうちに、なぜここにこのワープホールがあるのかがだんだんわかってきました。もつれていた糸がだんだん解れていった感じ。だからこれがここにあるのか! ということに納得できるとものすごい快感を得られます。
そしてワープホールは第10挿話の外にも繋がってるということが明らかになったのでした。うん、薄々気付いてはいた……ただちょっと収拾つかないよねと思ったので手が出なかったのです。『ユリシーズ』二周目で回収しますね。

第10挿話で私がものすごくしっくり来たのが、某参加者の方がTwitterで言っていた「挨拶」の話です。挨拶する人と挨拶される人のワンセットが地図上に浮かび上がるという話を読んで、そういえば第10挿話は全体通して行ったり来たり、双方向のラリーが頻出することに、ようやく気がついたのでした。通りの端にたどり着いたら、同じ通りをまた戻って来るサンドイッチマンたち。ダン嬢のタイプライターは、改行すると、右に寄っていた印字の部分が左に戻ってくる(部位の名前がわからない!!)。鏡像も光の反射だしなぁ。そう考えると、やっぱり最後の断章で挨拶のラリーが続かないのは意図的なんでしょうね。分断が何を意図してるのかという点の結論はまだ保留にしておくので、先を読み進めるときに忘れないよう気をつけないと。

ちなみに読書会前にはコンミー神父の偽善者ぶりが鼻について仕方なかったのでした。現代に生きる我々が過去の社会に生きた人の道徳観を断罪するのはズルい話だとわかってはいるけど、寛容であるべき宗教者が差別的な思想を持っているというのは、やっぱり気に入らない。というかコンミーさんって実は少年性愛者ではないのか、というのを読んでる最中にずっと疑っていたのですが、実在の人らしいですね。そうなると大した証拠もないのに滅多なことも言えず、とりあえずここにこっそりと書いておく。コンミーさんはこの後も登場するのだろうか。

あと読みながら気になっていたもう一つのポイントが、ジョイスはどこにいるの? ということです。
ユリシーズ』で描かれるダブリンがジョイスが妻ノラと初デートした日(ついに第10挿話でその日付が!)だったというのであれば、『ユリシーズ』のどこかにジョイスとノラがいるのでは? というのはずっと思っていました。街中をカメラがあっちこっち移動するこの挿話なら、ウォーリーよろしくジョイスとノラがどこかに潜んでいるんじゃないかと思ったんですけど……見当たらないんですよね。まさかあの若い男女じゃないだろうし(初デートでは早すぎるだろう)。1904年6月16日、ジョイスとノラはどこにいたんだ? 二人は騎馬行列に手を振ったのだろうか? あるいは、タイミング的にまだ待ち合わせ前の時刻だった?
そろそろ副読本を手にするべきときなのかもしれないと思いつつ、ネタバレを怖れる気持ちがあってなかなか手が出ないのでした。

ひとまず第11挿話を読み進めます。
なお第十一回読書会(第十一挿話)は4月に開催予定です。オンライン開催ですし、いきなり発言を求められることもないので、興味がある方はちょっと顔を出してみるくらいの気軽さで申し込んでみたって大丈夫です、問題ないです。
実はすでに第11挿話をちょっと読み始めてるんですけど、初っ端からなんか凄くて……これは読書会楽しみですね。