好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

松本清張『昭和史発掘 13』を読みました

ノンフィクションシリーズ『昭和史発掘』、全13巻の最終巻を読み終わりました!
父親のお下がりの古い版で、主にお風呂の中でちょっとずつ読み進めていました。ブログ記事を確認したら、1巻の感想は2020年3月15日にアップしているので、ちょうど一年お付き合いしたことになりますね。うーん、感無量。
なおISBNがついていないので、リンクは無しです。

読み始めたころは64年まである昭和を一体どうやって描くのかと思いましたが、二・二六事件で完結でした。年号としては昭和12年まで。
最終巻の目次は以下の通りです。

二・二六事件 七
・判決
・終章

12巻では蹶起将校と一般兵士たちの裁判について書かれていました。
13巻の「判決」は、蹶起将校たちの処刑の様子と、北一輝西田税という思想上のリーダーである(ということにされた)二人に対する判決の経緯、そして蹶起将校たちを味方のような台詞で鼓舞しておきながら見事無罪を勝ち取った真崎甚三郎の判決までの経緯などが書かれています。

13巻の冒頭は、二・二六事件に大きな影響を与えた相沢三郎中佐の公判結果から。相沢は武力行使によって怒りを示し、公判にて自説を開陳する機会を得て同情を集めたけど、最終的には死刑となる。
というか13巻はもう死刑のオンパレードでした。そうなるとどうしても注目してしまうのは、彼らがどのように死んでいったかです。正直、死に方を気にするのって、その人の人生を最期の瞬間に集約させるようで嫌だなって思っている。そこに注目してしまう自分に気が引ける。フィクションならいいのだ。最期の場面というのは、その登場人物の人となりや本質を表現するための演出であることが多々あるので。ただ、ノンフィクションでもそういう読み方をしようとしてしまう自分が嫌になる。

松本清張は職人だから過剰にロマンチックな演出はしない。しかし事実として記載して、おそらく彼自身も特筆すべき点として気にしていたのが、死にゆく彼らの天皇に対する態度です。

相沢中佐が処刑されたのは7月3日未明。相沢も蹶起将校たちも、同じ留置所に勾留されていた。そのため相沢が刑場への途中で大声で天皇陛下万歳を三唱した声が、まだ寝ていた将校たちを起こしたという。

そしてその2日後の7月5日に蹶起将校たちに判決が下る。民間人含め、計17名に対して死刑の判決。その執行は、わずか一週間後の7月12日。
しかし17名のうち、村中幸次と磯部浅一の2名は刑の執行を延期されています。これは、北一輝西田税の裁判の証人としての仕事が残っているため。
処刑の様子は村中と磯部の遺書にも記載があり、さらに執行に関わった大尉と看守の記録も残っている。
以下は村中の遺書からの抜粋。

「十二日朝、十五士の獄舎よりの国歌を斉唱するを聞く、次いで、万歳を連呼するを耳にす、午前七時より、二、三時間軽機関銃、小銃の空包音に交りて、拳銃の実包音を聞く、即ち死刑の執行なることを手にとる如く感ぜらる、磯部氏遠くより余を呼んで『やられてゐますよ』と呼ぶ、余東北方に面して坐し黙然合掌、噫、感無量、鉄腸も寸断せらるるの思なり、各獄舎より『万歳』『万歳』と呼ぶ声砌りと聞ゆ、入所中の多くの同志が、刑場に臨まんとする同志を送る悲痛なる万歳なり、磯部氏又呼ぶ『私はやられたら直ぐ血みどろの姿で陛下の許へ参りますよ』と、余も『僕も一緒に行く』と呼ぶ、嗚呼今や一人の忠諫死諫の士なし、余は死して維新の招来成就に精進邁進せん。(後略)」(P.74)

万歳を唱えたのは相沢の影響だろうけど、提案したのは香田という大尉。
私にはこの万歳の本当の意味は分らない。というか、もはや誰にもわからない。彼らはもういない。後から誰かがしたり顔で解説したって、それは事実ではなく、単純にフィクション的な演出になってしまう。
演出になってしまうって、分っているけど、気になってしまう。
彼らとしては間違った社会の状況を突きつけて天皇の目を覚まさせるという大義名分のもとに事件を起こしたはずなのに、その天皇からの恩赦はなく、自分たちが叛乱軍として裁かれて死をもって償えと言われる。そこで、万歳三唱するって、だってそれって。
相沢中佐はね、彼はちょっとタイプが違う人っぽいので、本気で言ってたかもしれないと思う。でもこの15人は、違うでしょ。まぁそういう人もいたかもしれないけど、これから起きることに対して自分を鼓舞するためというか、犬死ではなく理由のある最期なんだと自分に言い聞かせるためというか、そういういろんな理由があっての万歳三唱だと思う。ほんと、しんどい。

そして死刑が延期された磯部の遺書に度々現れる「直諫」に籠った怨念にノックアウトされる。

「八月十四日
 相沢中佐、対馬天皇陛下万歳と云ひて銃殺された、
 安藤はチチブの宮の万歳を祈つて死んだ
 余は日夜、陛下に忠諫を申し上げてゐる、八百万の神々を叱つてゐるのだ、この意気のまま死することにする
 天皇陛下 何と云ふ御失政で御座りますか、何故奸臣を遠ざけて、忠烈無雙の士を御召し下さりませぬか
 八百万の神々、何をボンヤリして御座るのだ、何故御いたましい陛下を御守り下さらぬのだ
 これが余の最初から最後迄の言葉だ
 日本国中の者どもが、一人のこらず陛下にいつはりの忠をするとも、余一人は真の忠道を守る、真の忠道とは正義直諫をすることだ(後略)」(P.115-116)

そして松本清張は磯部の怨念を度々引用しながら、冷静に指摘している。磯部は天皇制と天皇個人を混同していると。

 ――磯部は、天皇個人と天皇体制とを混同して考えている。古代天皇の個人的な幻想のみがあって、天皇絶対の神権は政治体制にひきつがれ、「近代」天皇はその機関でしかないことが分らない。天皇の存立は、鞏固なピラミッド型の権力体制に支えられ、利用されているからで、体制の破壊は天皇の転落、滅亡を意味することを磯部らは知らない。(P.110)

天皇機関説の経緯も、『昭和史発掘』で書かれていたなというのを読者である私は懐かしく思い出す。すべて繋がっている。

磯部と村中は、北と西田は本事件には無関係であると証言をして必死に彼らを助けようとするけれど、政治的判断によって死刑となってしまう。
実際のところ、北も西田も事件の蚊帳の外だった。将校たちの思想には影響を与えたかもしれないけれど、決行についてはほぼノータッチだったという。

北と西田の死刑判決は、8月14日に下された。そして5日後の8月19日に、磯部、村中、北、西田の刑が執行される。
結局彼ら4人は誰も、執行前に天皇万歳を唱えなかった。

 田中の前掲書は、北、西田の最後を次のように伝える。
「その翌日、この日は北と西田との処刑の日である。代々木の練兵場の片隅にあるバラックの仮刑場にかたのごとき順序で立ったとき、西田は天皇陛下万歳を三唱しようといった。北はしずかに制して、それにはおよぶまい、私はやめると言い、そのまま銃声とともに万事は終ったといわれる」(P.161)

西田と北の差異が…とか考えてしまう自分が嫌なんだってば。しかし興味深くはある。西田はなんでまたわざわざ万歳三唱しようとしたんだ。善人として人生を終えるためだろうか。南無阿弥陀仏とかアーメンみたいな精神効用があるんだろうか。現代人にはわからない感覚なのかもしれない。1909年生まれの松本清張にとっては、もう少し近い感覚なのだろうか。


こうしてついに全13巻を読み終えてしまいました。当然全部頭に入ったわけではないけれど、読む前よりは流れを把握できるようになったとは思います。このあとさらに世界はこんがらがってくるわけですけども。
読み切れてよかった。充実した読書でした。松本清張ってやっぱりジャーナリストだなと思う。