好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

松本清張『昭和史発掘 9』を読みました

父親のお下がりの文春文庫の古い版で読んでいる『昭和史発掘』9巻を読み終わりました。
ISBNがついていなくて、新版は収録内容が違うのでリンクは無しとなっています。

7巻からずっと二・二六事件に向かって突き進んでいってるのですが、ついに9巻で昭和11(1936)年2月25日夜までたどり着きました。でもまだ朝は来ない!
内容は以下の二本立て。

二・二六事件 三
「安藤大尉と山口大尉」
「二月二十五日夜」

前から出ていた話題ではあるんですが、決行を目前に控えた9巻では「実行したのは誰だったのか」という問題が大きくなってきたのが非常に面白かった。
もとはといえば貧しい農家の状況を目の当たりにしてこのままではダメだと焦燥を募らせていた若手将校たちが、愚昧な軍上層部から天皇陛下を救い出し、新たな日本の夜明けを自分たちの手で作りたいと思って行動しだしたのでした。彼らはそれを「昭和維新」と呼んで自らを幕末の志士になぞらえていたとのこと。それって結局テロリズムなんだけど、生活に困っている人がいたのは事実だし、そういう人たちを救いたいって気持ちはわかるし、へらへらと保身しか考えてないような年寄連中を憎みたくなる流れは理解できる。あいつらどうしようもねぇな、みたいになって、自分の方が正しいって確信持っちゃったら、あとは行動するだけだ。
でも、その「行動」への最後の一歩って、やっぱりできる場合とできない場合があるだろう。口ではいろいろ言いながら、実際にじゃあお前やれよって話になると尻込みする人がほとんどである。そうじゃなければ現代だって、選挙のたびにもっとたくさんの候補者が名を連ねるはずだ。自分が正しいと信じる意見を口にはしても、実行するのはかなりしんどい。だって、リスキーだし。

もちろん彼らもそうだった。一定の人数である一線を越えてしまえばあとは集団心理でテンション上がっちゃうんだろうけど、最初の一線を越えるまでが大変だ。官軍になるには勝たねばならない。密告されて失敗でもしたら賊軍になる。しかしある程度の人数がいないと制圧されてしまう。どこまで情報を事前に伝えておくべきか? ギリギリまで部下には伝えないでおくべきか? 普段から昭和維新の精神を部下に教育してはいるけど、本当に、彼らはそこに共鳴しているのか? 上司の言うことだから調子を合わせているだけでは?

本書では当時のクーデター参加者の行動を、のちの取り調べでの供述をもとに説明していることが多いのですが、裁判でも参加した兵たちが果たして「同志」だったのか、というのが結構重視されたらしい。

 日ごろから下士官兵を同志化し、その自発的決意に基づいて蹶起することを方針とした、というが、それはあくまでも方針であって、そのようになったというのではない。
 将校らは、一方的に下士官兵に対し政治、社会の腐敗を説いて「昭和維新」の必要を主題とする精神訓話をした。それは兵士の出身環境からして共鳴は得たが、理論の共鳴と実行参加とは別である。精神教育だけで同志化が出来たわけではない。(P.117-118)

「同志」だったのであれば、個々人の自由意志の総体という集団となる。それはどういうことかというと、クーデターのために「兵を出動させたわけではない」というエクスキューズが成立するのだ。
なぜそのエクスキューズが必要なのかというと、将校レベルの判断で兵の出動を行うことは、統帥権干犯にあたるからです。それはまずいので、なんとかして合法になるようにと蹶起側は画策するんだけど、軍という単位を使って立ち上がろうとしている以上、どうしても苦しい言い訳にしかならない。しかもこの急進派は、真崎が教育総監が更迭された経緯の問題を「統帥権干犯」だとして非難していたんだから、ブーメランも甚だしい。

そしてそういうことも視野に入れたうえで、実行するかどうかを散々悩んだ人もいた。思想には共鳴するけど実行には躊躇する場合、それは臆病だからとかではなく、誠実であろうとするからだ。その一人が、安藤輝三大尉だった。
安藤大尉は歩三の大尉で、蹶起を急ごうとする急進派に対して時期尚早であると言い続け、成功の確率が低いことを言い続けていたという。ちなみに彼の言う成功の定義というのは、要人の暗殺自体ではなく、その後の体制づくりを言っていたのだろうと松本清張は書いています。

 問題は、「昭和維新」が成るか成らないかの見通しである。
 彼らは自らの行動を「捨石」と考えていたが、それにはあくまで「革命」の成就を前提とする。でなければ文字通り「意味のない捨石」となってしまう。のみならず、それをきっかけに体制側の大弾圧がはじまり、在京部隊をはじめ全国の部隊にわたる同志将校まで根こそぎやられる。
 武力行使は一度きりのもので、やり直しがきかない。成功に十分な確信がない以上、動けないのである。全か無かである。(P.28)

 次は、襲撃に兵力を使用することである。竜土軒の会合で村中、磯部と激論したとき安藤は、「われわれが前衛として、飛び出したとしても、現在の軍の情勢では、果して随いて来るかどうかが問題です。若し不成功に終ったら、われわれは陛下の軍隊を犠牲にするので、竹橋事件以上の大問題です。わたくしは村中さんや磯部と違い、部下を持った軍隊の指揮官です。責任は非常に重いんです」
 といったというが(新井勲「日本を震撼させた四日間」)、この言葉に安藤の懊悩がにじみ出ている。
 ここには「陛下の軍隊」という語が使用されている。別な言葉でいえば兵力の使用は統帥権の発動による。私に動かせば「統帥権の干犯」となる。
 しかも、成功の見込みのない決行に踏み切れば、他部隊との交戦で無辜の部下を殺傷させ、捕えられて罪に陥れることになる。成功の見込みがないというのは、襲撃実行の失敗ではない。兵力をもってすればそれは確実に遂行される。問題はそのあとで、彼らの行動が実るか実らないかである。もし、実らないときは、兵士まで国家の罪人にさせてしまう。安藤の苦慮はここにあった。(P.30-31)

安藤大尉は結局散々悩んだ末に歩三を出動させてしまうんだけど、現状打破のために行動したい気持ちとの板挟みを思うとたまらない。
でもそこで安藤大尉に感情移入して心を揺らすのは、なんだか彼らの行動を消費しているようで、正直気が引ける。自分が彼らの生きるか死ぬかをエンタメとしてとらえていることを否定できないから。あと、それにしたって他の方法なかったの? なんて後の時代の常識で物をいうのも傲慢だし、でも彼らの行動を支持することはできないし、どうしたらいいんだとか考えてしまって結構しんどくなってきました。だからノンフィクションは苦手だ。

とはいえここまで来たら最後まで見届けるしかないので、10巻に行きます。次でいよいよ25日の夜が明ける。