好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

「2022年の『ユリシーズ』」の読書会(第八回:第八挿話)に参加しました

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10/25にzoomにてオンライン開催された「2022年の『ユリシーズ』」の読書会に参加しました。
この読書会は『ユリシーズ』刊行100周年である2022年まで、3年かけて『ユリシーズ』を読んでいこうという壮大な企画で、ジェイムズ・ジョイスの研究者である南谷奉良さん、小林広直さん、平繁佳織さんの3名が主催されているものです。詳細は上記URLをご覧ください。第七回までの読書会で使用された資料なども公開されています。
第八挿話はブルーム氏が考え事をしながら街を彷徨い、街角で知人と立ち話したり、お昼ご飯を食べたりする話でした。スティーヴンにはまだ会わなかった。

開催から記事を書くまでに結構時間が経っちゃったのは、写経が間に合わなかったからです。ガブラー版と呼ばれる原書と柳瀬訳との対訳をWordの校正機能と戦いながら毎回せっせとタイプしているのですが、第八挿話はこれまでで一番分量が多くて、読書会までに間に合いませんでした……。結局当日は日本語訳だけ読んだ状態で(しかも夜勤明けの眠い頭で)参加して、それはそれで面白かったのですが、読書会後に残りの写経を終えてみると、やっぱり写経してない部分はいまいち記憶が薄かったと思う。わかっていたことではあるけれど、できるだけ当日までに写経を終わらせた方が存分に読書会が楽しめそうでした。次は頑張ろう。
そういえば第八挿話の写経をしていて、やたらとperhaps という単語が出てきたのが気になって、数えたら11回も出てきていた。ブルーム回だからかなと思って第四挿話(ブルーム初登場挿話)を振り返ってみたら、こっちは7回でした。ブルーム氏はたぶん、たぶん、といろいろ考えながら歩いているから全体的にperhapsが多い傾向があるのかも。

ユリシーズ読書会ではいつも冒頭の約一時間が主催者トークに当てられていて、その挿話にまつわるアイルランド話などが披露されます。毎回知らないことや気付かなかったことが満載で、読書会の楽しみの一つとなっているのですが、今回は後日希望者に動画の録音を送付してくださいました! ありがたい!! 動画の申し込み期日は既に過ぎていますが、おそらくこれからも継続する試みかと思いますので、気になる方は次回以降ぜひ。読書会の雰囲気を知るのにも良いと思います。
ちなみに第八挿話は食べ物の回ということで、アペタイザーから始まって前菜にジャガイモとスープ、メインには肉と魚、デザートのケーキ、そして食後の紅茶というフルコース構成となっていました。スープとプロテスタントの関係とか、シードケーキに隠されたものとか、当時のリプトンの広告とか、あわせて読むとなお楽しい。動画の配布はなくても、主催者トークで使われた資料は後日HPにアップされると思いますので、詳細は実際の資料をご覧ください。
また読書会の第二部では第八挿話に出てくる「食べ物」を参加者皆で出し合ったのですが、実際に実在する食べ物と、比喩としての食べ物と、そこにないけど思い出す食べ物とがあるので、全部合わせると凄い数だった。それに伴って全体的に匂いも強い挿話ですね。こっちもいずれ資料がHPにアップされると思いますが、ほんとに凄い数だったので多分時間がかかるかと。。

生きるためには食べるという行為が必要で、さらにその背後には性的な含みもあって、亡くした息子の影もちょくちょく現れる。ああしかし、今回の挿話でブルームの事がぐっと好きになった。何かにつけてモリーのことを思い出して、彼女が今日ボイランと会うことを思い出して、考えまいとして。わざとらしく他の事を考えようとするところとか、たまらない。あるよなぁ、そういうこと。

実際のところ1秒間に人がどれだけの思考をするかは、その人その時によるわけだけど、どうだろう、私は言葉で思考しているだろうか。考えるときには言葉で考えているはずなんだけれど、感じるということも同時に行っているように思う。例えば暗い部屋でいきなり照明をつけた時「明るい」なんて言葉でいちいち考えない。たいてい光を感じるだけで、わざわざ言葉にするまでもない。

 学長の邸宅。ドクター・サーモン師、罐詰サーモン。あそこにちんまり罐詰住いか。霊安堂みたいだね。金をもらってもあんなとこには住みたくない。今日はレバーとベーコンがあるといいが。自然は真空を忌むだよ。(P.282)

たとえば上記のように、ブルームが歩きながら学長の邸宅を目にした場面。
冒頭の「学長の邸宅」は単に読者への説明であって、ブルームがわざわざ脳内でナレーションしているのではないだろう。多分ブルームの頭の中はもっとごちゃごちゃしていて、「ドクター・サーモン師、罐詰サーモン」の一文もブルームの連想を読者に説明するための補足で、ブルーム氏の脳内ではすっ飛ばされているのでは。むしろ「金をもらってもあんなとこには住みたくない」と「今日はレバーとベーコンがあるといいが」あたりは同時に考えている可能性もある。小説というのはストリームが一つしかないからどうしても順番に書かざるを得ないので、文に前後ができてしまっているけど、例えば映画にしたとしたら、この辺はブルームの声が重層的に聞こえるような演出になりそうな気がする。というか、私ならそうする。イメージ的にそんな感じだ。ライブ感出すためにジョイスはかなり頑張ってるけど、書くという行為自体の限界ってあるよなぁ。

読んでいるとどんどん意味わからん部分が膨れ上がって行くので、否応なく無視して先に進むことになるのですが、だんだん消化不良感が募ってくる。知らない名前はどんどん膨れ上がるし。これ、最後まで読んだらちゃんと回収できるの? できないのもあるんでしょ? 知ってるんですよ。思わせぶりなこと山ほどやっておきながら読者を置き去りにするんだ。ジョイスめ……。
でも頑なに訳注は読まない派です。一周目は素だけで読みたい。いいんだ、何周でもするさ、人生はまだ続くんだから『ユリシーズ』をもう一度読み返す時間くらいはあるだろう。

ちなみに今回読んでてびっくりだったんですが、デッダラスって15人も子供がいるの? え、そうなの? スティーヴンって何番目なの? 『若い芸術家の肖像』を読んだらわかるんだろうか。註は読まないけど『肖像』は読んでおこうかな。

そして最近の私の興味は柳瀬さんの訳語に向かっていたりします。結構変換しにくい漢字を使ってくるんですよね。「向って」「分る」などの送り仮名の特徴はだいぶ慣れましたが(文字数の節約?)、例えば「ひげ」も「鬚」「髯」「髭」でわざわざ書き分けてるので、写経の折には毎回どれなのか目を凝らすことになる。moustache と beard と whisker で使い分けてるっぽいような、でもたまに混じるし、基準がわからない……。どうしてこの漢字にしたのかとか、いろいろ理由があるんだろうなぁ。


なお第九挿話の読書会は2020/12/6(日) 13:30〜17:30に開催予定。2020/11/14現在、まだ空席があるようで予約受付中となっています。興味のある方はぜひ一緒に読みましょう!