好物日記

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トーマス・C・フォスター『大学教授のように小説を読む方法 増補新版』を読みました

大学教授のように小説を読む方法[増補新版]

大学教授のように小説を読む方法[増補新版]

書店で見かけて「これは絶対自分好みだ」という確信を得たので、値段も見ずに買いました。いいお値段だけど内容と照らし合わせると相当お得な面白さでした。増補新版とのことで、旧版も訳が出ているようなのですが、私は今回初めて知りました。

アメリカの文学教授(現在は引退)が、文学を読むときのポイントをユーモアたっぷりの文章で解説する本です。いわば講義本の一種。全27章+αに加えておすすめ本リストまであるという贅沢な一冊。

文学部出身ではないけど本が好きな私は、これまでなんとなーくフィーリングで読んでいたのですが、その読み方ポイントを具体的に認識できたというのが最大の収穫でした。そういうことかー!これまでは体感で読んでいたのを、もっと理論的に読む方法を知ることができた。それはこれまでの私の楽しみ方とは違うチャンネルの話だけど、それはチャンネルが増えるだけで、これまでの楽しみ方を否定するものではないです。選択肢が増える喜びであり、読書体験がさらに豊かになるということだ。
西洋文学において聖書とギリシャ神話、そしてシェイクスピアがかなり大きなウェイトを占めていることは知っていたし、実感もしていました。しかし、では具体的にどう見ていくのかということになると、よほどわかりやすいキーワードがなければ見落としてしまっていた。それをどういう風に疑えばいいのか(ここに隠れているのでは?と見当をつければいいのか)がわかってきました。
地理や天候は要チェック。身体的特徴や食べ物、場面転換すらもヒントになりうる。そうやって著者が挙げる例に思わず唸る。たしかにそうだ…

この本の面白さとわかりやすさは、豊富な実例にあります。トニ・モリスン、ジェイムズ・ジョイス、チャールズ・ディケンズ、D・H・ロレンスあたりが特に著者のお気に入りのようですが、他にもたくさん出てくる。
そして著者の信頼度が増すのは、読み方は一つではないとしっかり書いてくれていること。この一言に救われる読書愛好家はそれこそ山のようにいるでしょう。

私は自分で読んだ小説や詩についてはまずまず説得力のある解説ができるつもりだが、あなたの代わりに読んであげることはできない。私には文学の知識があり、愉しみ方も知っているつもりだが、私はあなたではないし、あなたにとっては大変幸運なことに、あなたも私ではない。『パイの物語』や『嵐が丘』や『ハンガーゲーム』をあなたと同じ読み方で読む人間は、この世のほかにひとりもいない。残念ながら学生たちには、文学作品について自分の考えを言う前に弁解したがる者が多すぎる。「これってただの私の意見なんですけど、でも」とか、「たぶん僕が間違っていると思うけど、でも」とか、やたらに言いわけをするのだ。謝るのはやめなさい!なんの役にも立たないばかりか、見くびられるだけだ。知的に、大胆に、自分の読解に自信を持とう。(P.343-344)

フォスター先生、ありがとうございます!
私の読書体験はあくまでも私のものだし、大御所の研究者や書評家が違う見方をしていたとしても、それは必ずしも自分の見方を否定するものではないはずなのだ(もちろん穿ちすぎだったりするかもしれないけど)。一つのテキストが複数の層に遍在することは多々あって、チューニング次第で複数の読み方ができる、それが文学の面白さのはずなのだ。翻訳ものは尚更。大丈夫、違ったっていいのだ。言葉の意味はひとつではない。


おまけ。
この本では米英文学の読み方を提示しているけれど、では日本文学はどうだろうか?フランス文学やスペイン文学など、ある程度共通の歴史を持つ文化圏では、象徴性についてもある程度スライドして読解することができるだろう。ロシア文学も西洋や正教とともに歩んだ文化だから、かなり近いだろう。では、イスラムは?中国は?そして日本は?シンボルが表す意味の違い(ピンク映画とblue filmなど)だけではなくて、もっと根本的な文学の株の違いがあるのでは?というのを、読み終わってからつらつらと考えていました。
たとえば本書には「第五章 疑わしきはシェイクスピアと思え……」「第六章 ……さもなければ聖書だ」という章があります。読みながら、日本でいうなら「疑わしきは平家物語と思え……さもなければ古事記だ」になるのかな、とか考えていました。あるいは万葉集近松か。しかし読み終わって考えてみると、日本文学は明治ではっきりと性質が分断されているので、欧米文学とは同じようにみなすのはできないのではないかという気がしてきました。明治以降の近代日本小説は欧米の文学様式を学んだ後のものだ。だけどキリスト教ギリシャ神話のシンボルなんて到底多くの読者には通じないし作家の多くだって到底使いこなせないよな。そもそも、読んでる方もどの程度わかっていたんだ?知識として学んでも、自分のものにできるのは手法くらいだったのでは?手法だけでもかなりの衝撃だったろうし。夏目漱石はどうしてたっけな。泉鏡花なんかは象徴性の達人だから使うシンボルが違うだけで構成の仕方はかなり近いかもしれないけど、どちらかというと彼の手法は江戸以前の仄めかし方を踏襲しているような。そうなるとやっぱり文学の根っこは同じで、どこかで文化によって株が分かれる感じなのか?根本的な読み方自体はそう変わらないのかも。西洋文学だってずっと伝統的な象徴ばかりを使っているわけではないのだから。このあたりは勉強不足で推測しかできない…
しかしやっぱり、近代日本文学と本書で解説される西洋文学の読み方は根本的に違うように思えてならないのだ。明治以降の文学はあたらしいシンボルを作る必要があったのだと思う。丸善に置き去りにされた檸檬が象徴するものは新しい時代のものであって、それが蜜柑ではなく檸檬であることは、梶井基次郎が生み出した新しい象徴なんだと思う。うーん、水村美苗の『日本語が亡びるとき』を読み返したくなってきたな。

あと日本では文学の授業というのがメジャーではないので、元ネタ自体が風化していくという問題がありそうだ。浦島太郎や竹取物語などの民話系はまだ大丈夫。最近のブームやジブリの影響で、だいだらぼっちやヤマタノオロチなどもいけると思う。あとは「12/14に47人が集まる」「一日1000人殺され、1500人産まれる」ならまだ通じるとも思う。でもお能万葉集あたりは結構厳しそうだ。
とはいえ悲観することばかりではない。こういう日本文化モチーフは、昨今ではエンタメ方面でかなり活用されているように思います。アニメに入り込んだり、映画に入り込んだり、前述のジブリも然り。そして新しいスタンダードもたくさん生まれている。宇宙艦隊ものには一定の様式があり、ベースとなる古典がある。これはあの作品のオマージュだ、とネットで話題になる。物語るという行為は、そうやって生き続けるんだろうな。

…などと考えているときりがないので、とりあえずここまで。日本文学の教授陣がどんなふうに小説を読んでいるのかは、非常に興味があります。だれか本を書いてくれないかな。
あと詩についての章は別のEブックに入れるつもりで削ったという話だったので、詩の読解本が出たらそちらもぜひ読みたいです。私が一番苦手な分野。

もうひとつおまけ。本書の最後「第27章 テストケース」にて、キャサリンマンスフィールドの短編をもとにした読解例が載せられています(題材の短編がまた、めちゃくちゃ良かった)。私はそこで土地の高低や作品の雰囲気から「ははーん、これは黄泉の国だな」と読んだのはちょっと誇らしいんですが、ケルベロスとかアエネアスの金の枝とかで理論的に説明できるほどギリシャ神話に明るくないのが弱点だなと痛感しました。もうちょっとしっかりギリシャ神話を読み込みたいな。そうしたらもっと楽しめるし、西洋絵画や映画を見るときもニヤニヤできて、世界がもっと広がるだろう。