好物日記

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松本清張『昭和史発掘 3』を読みました

新装版 昭和史発掘 (3) (文春文庫)

新装版 昭和史発掘 (3) (文春文庫)

松本清張の昭和史本、第3巻を読み終えました。ちなみに2巻の感想はこちらからどうぞ。
上の写真は新装版ですが、私の手元にあるのはISBNついてない時代のものなので、記事中のページ数にずれがある可能性があります。

一巻につき3本のテーマが語られる昭和史本シリーズですが、3巻目は以下の三本立てでした。
・「満州某重大事件」
・佐分利公使の怪死
・潤一郎と春夫

本書は週刊文春での連載をまとめたものになりますが、連載期間は1965年5月~10月。終戦から20年後ですね。
このシリーズを読み進めていてだんだん楽しみになってくるのが、あらゆる歴史的事件の中で松本清張がどういう出来事を俎板に載せてくるのかということです。2巻に芥川の死が入っていたのも意外だったけど、今回も谷崎潤一郎佐藤春夫の話を持ってきたのには驚いた。

せっかくですから一つずつ見ていきましょう。

冒頭の「満州某重大事件」は思いっきり日本軍の後ろ暗い部分の話です。

満州某重大事件」といっても、別に秘密なことではない。昭和三年六月四日の暁に、当時、北京にいて大元帥を称していた張作霖満州に引揚げる際、その乗用列車が爆破されて惨死した事件を称するのである。(P.7)

正直この辺りの時代のことはあまり詳しく知らないので、事件のあらましとか当時の時代背景を知ることができるのは非常にありがたい。
明らかに日本の軍部が起こした暗殺事件だというのに下手人が検挙されなかったとか、一体誰がゴーサインを出した計画だったのかとか、そもそもなぜ殺されたのかとか、この事件によってどんな余波があったかとか、そういうことが書かれています。

とくに面白かったのが、野党側の名演説。

 こういう状態になっても政府はまだ、張作霖爆殺の下手人軍人を処分することができなかった。そして張作霖爆殺が日本軍人の手で行われたであろうことを国民がうすうす気づいたのちも、相変らず「満州某重大事件」でおしとおし、頬かむりをした。
 第五十六議会では、野党民政党の党首がたって満州某重大事件を追及したが、ここには、その中での名演説といわれる永井柳太郎の質問を出してみる。
(中略)
 永井も軍部に対しては直接の攻撃ができないので、外字紙の報道を中傷なりとして、これを道具に使い政府を追及したのである。
「諸君、最近、外国人中に日本国民に対して無責任たる中傷讒誣(ざんぶ)を行うものがあるに対して、日本政府がその誤解を一掃せんとする何らの措置にも出ないのは如何なる理由であるかということでございます。(後略)」(P.59)

本にはもっと長く引用されていて、「我が国の軍が他国から侮辱されているというのに、なぜ堂々と調査をして身の潔白を証明しないのか」という理屈で時の内閣を糾弾しています。論旨運びが上手いじゃないですか。やり手だなぁ。

もうひとつ面白いなと思ったのが、当時の総理大臣であった田中義一が退陣した経緯。関東軍の反発に遭って張作霖爆殺の下手人を検挙できなかったことを天皇に叱責されたことによって総辞職を決意したのだとか。
叱責に至った経緯については諸説あるようですが、天皇へ上奏した内容に一貫性がなかったことで「前にいったことと違うではないか」などと言われたことのこと。へぇー。
ちょうど今、並行して『失敗の本質』を読んでいるんですが、時代は違うことながら、頭の中で内容がオーバーラップしました。この、関東軍の手綱をとれてない感じが…


二つ目のテーマは怪死事件再びです。1巻にも「石田検事の怪死」という事件が取り上げられていたけど、また怪死か。
時は昭和2年11月28日の雨の夜、舞台は箱根の富士屋ホテルの一室です。…そうだったのかー!そんな事件があそこであったのか!!知らなかった!
どうでもいいけど佐分利(さぶり)公使という名前を見てすぐに連想したのが、山口瞳の江分利満氏です。思いっきり当て字だと思っていたけど、佐分利さんという人がいるのか…そうか…

日付が変わる頃にホテルにやってきた常連客の佐分利公使は、翌朝、死体で発見された。浴衣でベッドに横たわったまま、右手にピストルを持ち、その筒先を頭に向けて。佐分利公使の死は自殺と判断されたが、事件には多くの謎が残っていた。特に自殺する理由もないのに、なぜ?現場には遺書もない。自殺するなら正装で臨むものでは?それに、佐分利氏は左利きだ。

まぁ自殺じゃないよね、というのを確認していく形で話が進んで行くのですが、面白いのはどうやって自殺に見せかけたかではなくて、「明らかに怪しいのになぜ自殺という結論で捜査を終えたのか?」という、当時の調査の経緯。殺人としても調べていたけど自殺で結論づけられてしまった当時の時代背景とか、捜査の杜撰さとか。しかしピストルの傷を検死するときの髪の毛の焦げ方のレポートとかめちゃくちゃ細かくてとても良かったです。松本清張、調べ方がプロで、さすが元記者…。結構楽しんで書いていたんじゃないかという気配すら伺えます。書き応えあっただろうなぁ。


最後の「潤一郎と春夫」は世に有名な細君譲渡事件についてですが、血なまぐさい事件が続いていたので、これをテーマに選んでくるのがちょっと意外でした。しかしこれをテーマに選んだのには理由がある。

 昭和五年の新聞をめくっていると、この事件は、一年間の目次の中でもかなり大きな活字になっている。社会的にみれば、単なる私事であってとるに足りないことかもしれない。政治、社会の流れに何らの影響を与えた事件でもない。しかし、この問題に対する当時の世間の風評が現在までそのまま誤り伝えられている点では、この真相を究める上で、あるいはここに書くに値するかと思う。
 筆者は小説家のはしくれにつらなる者。谷崎、佐藤の大先輩の私事をあえて書くつもりはない。だが、さきに芥川の自殺を大正末期の時流の中でとらえて書いた筆者は、昭和五年時におこったこの問題を同じ視点から眺めてみたいのである。(P.159)

詳細な事情は私もこれまでよく知りませんでした。しかし本書では、谷崎や佐藤がこの事件を題材にして書いた作品の文章も引用しながら、事件のいきさつを丁寧に追っています。これが絶対正しい!のかどうかはわからないけど、かなり実際の事情に近づいているんじゃないかな、という説得力がある。
ちなみに奥さんを「交換した」というのは誤って伝えらえたデマです。佐藤春夫の元妻は、谷崎潤一郎とは結婚していない。

詳しくは本書をお読みください。二人の作品にあらわれる個性の違いについても書かれていて、文学論としても面白かったです。

シリーズは4へと続き、時代は進む。