好物日記

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パナソニック汐留美術館「分離派建築会100年展」に行ってきました

panasonic.co.jp

近代建築好きとして気になったので行ってきました。パナソニック留美術館は私好みの展覧会を開催することが多いので、よく行く美術館のひとつです。予約は不要ですが、混んでくると入場制限をするらしいので平日に行ったら、いい感じに空いていた。今回は結構マニア向け展示になってるので、そんなに混まないかもしれない。全体の印象としては、展示された資料集って感じでした。なんせ建築なので実物が展示されているわけではなく、設計図や模型がメインです。観る側にも想像力が求められる。

分離派建築会は、東京帝国大学の卒業生6人によって大正9(1920)年に発足された建築運動です。欧米の建築技術がどどっと日本に流れてきて、辰野金吾らが活躍したのが明治時代。そして主な手法を一通り学び終えて、日本らしさを模索しはじめたのが大正時代。当時は、建築は芸術ではない、構造が大事なんだという主張が声高にされていたらしいのですが、そんななか若い建築家たちが「建築は芸術である」として立ち上ったのがこの分離派建築会なのだとか。「我々は起つ」の宣言文が格好いい。
彼らは独自の展覧会を開催していましたが、時代の波に押され、昭和3(1928)年に開催された第七回展覧会を最後に散会したそうです。活動期間は10年足らずですが、今回の展示はその10年弱にスポットを当てたものになります。うーん、やっぱり若いときだからこそのエネルギーとかってあるのかな。世間にもまれるとだんだん丸くなるのか。でもメンバーのその後の活動を見ると、分離派建築会魂を完全に失ったわけではないようなので、彼らがそれぞれの道を歩いて行くために必要な場所だったんだろうなと思う。

分離派建築会初期メンバーの卒業設計の図面が公開されていたのですが、それぞれの筆跡の違いが面白かったです。石本喜久治の達筆ぶり! 彼の卒業設計「納骨堂」が美しくて好きでした。涙を流すモチーフがうまく使われていて、縦の線の伸びやかさが凄く良かった。卒業制作ではないけれど、山口文象の丘上の記念塔のデザインも良かったなぁ。
面白かったのが、分離派建築会メンバーそれぞれが違う個性を持っていて、無理に合わせようとしなかったところ。得意分野はそれぞれ違って、皆が同じようなデザインをするわけではないというのがすごく良い。

他に特に好みのデザインだったのが山田守で、現存しない東京中央電信局の写真が飾ってあったのがすごく美しかった。彼はパラボラ型アーチを多用したデザインが得意なんですが、ベルリンに滞在していたらしいし、ゴシック建築の影響なのかな。ちなみに山田守は京都タワーのデザインも手掛けているそうで、その反骨精神も実に良い。
彼らのデザインはそれまでの王道的西洋建築(○○様式と呼ばれるものたち)とは全然違う新しさを感じる。和洋折衷ともちがう、これが近代建築の始まりだったのかな。

建築は芸術か? という問いの答えは、当然「建築は芸術である」です。建築を芸術と見做すことは、べつに構造を置き去りにすることとは違う。美と機能は一心同体のものだ。構造がついていかない建築なんてただのガラクタで、存在できない時点で建築としてもうアウトである。構造第一、機能第一にしたときにおのずから美が生れてくるということもあるわけで、正直人の手で作られたもので芸術に属さないものなどありえないとさえ思っている。だって美しいほうがいいに決まってるもんね。
印象的だったのが、たしか石本喜久治だったと思うのですが、上司に何故この窓をこの形にしたのか? と聞かれてそのほうが光がよく入るからですと答えたら怒られたという話。なんでこのデザインが好みなんだと言わんのだ、と。いい上司だ。
次第に機能性や効率性に重きが置かれるようになって言って、遊びや余裕のあるものが受け入れられにくくなっていったのだろうか。でも一見無駄と思うようなことがすべてなくなると、結局いろいろ効率が悪くなってよろしくないということは、不要不急とやらでみんな実感したことでもある。遊びは大事なのだ。贅沢は素敵だ。

資料的な色の濃い展覧会ではありますが、分離派建築会ってこれまで全然知らなかったので、とても面白かったです。