好物日記

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梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』を読みました

幸福な監視国家・中国 (NHK出版新書)

幸福な監視国家・中国 (NHK出版新書)

2019年8月に刊行された新書です。某所のビブリオバトルで紹介されて知り、ずっと読みたかったのですがいろいろあってこんな時期になってしまった。コロナ禍前の世界について書かれたものですが、今でも違和感なく読めます。時事ネタは時事ネタなのですが、個々の事象にフォーカスしているわけではなくて、長いスパンでの話をしているので、息の長い本だと思います。いろいろ考えながらゆっくり読んでいましたが、とても面白かった。

対コロナでは各国がそれぞれ対策を打ち出して、お互いに褒めたり貶したりしているわけですが、中国の封じ込め作戦における諸々はやはり監視国家のイメージを強くしたと思う。世界のスタンダードからはちょっと外れた国体ではあるし、多くの情報が政府に集まる仕組みになっていることも事実なのだけれど、実際に生活している人々のなかには安全な社会に対して肯定的にとらえている人も多く、メディアが喧伝するようなディストピアな一面だけでは語りきれないところがある。中国の監視社会についての報道には、偏見や無理解による誤解も混じっているんじゃないか? というのを、コロナ禍の前に提唱したのが本書です。

 つまるところ、現実世界でもインターネット上でもすべてが政府に筒抜けなのですが、驚くべきは中国人のほとんどがそれに不満を抱いていないどころか現状を肯定的に見ているということです。それは中国人がプライバシーに無頓着だから、専制政治によって洗脳されているから……という単純な理由からではありません。
 本書は、この「幸福な監視社会」の謎を解き明かすことを課題としています。この謎が解き明かされたとき、驚くべき中国の監視社会はどこか別世界の現象ではなく、日本が今後直面する問題だと明らかになるはずです。(P.4)

面白かったポイントが多すぎてちょっと書ききれないですね。
たとえば、快適さのために情報をどれくらい差し出せるか。読みながら、自分だったらどうかなーというのをいろいろ考えて楽しんでいました。便利さは欲しいけど、すべて提供するのには抵抗がある。でもそれってそれまで自分がそこまで情報提供しない世界にいたから違和感があるだけだろうとも思う。今だって実際、私は現金をたくさん持ち歩かなくていいという利便性のために、履歴の残るクレジットカードや決済アプリを平然と使っている。一度味を占めた便利さは、今後手放せなくなるだろう。そうしたら利便性のために情報を提供するという行為に対する自分の中のハードルなんて、無いようなものだ。
こういうのって、商品の価格設定するときの「どこから高いと思うか?」の境界を絞り込んでいくやり方に似ているようだ。

あと、信用スコアのペナルティのつけ方が実によくできていて唸った。

 ここでポイントとなるのが、あくまでもその罰が「緩やかな処罰」であるということです。前述の徐の場合、高速鉄道には乗れませんが、我慢して普通列車で移動することは可能です。移動禁止のような「厳しい処罰」ではなく、移動はできるが時間がかかるし大変だという形で「緩やかな処罰」が加えられているのです。(P.86)

この仕組み、すごくないですか……。よく考えてあるなぁ。そういえば『クオリティランド』読んだときにそんな話が出ていたな。在庫切れになる自由か。

本書では、このような形で人々の行動を「促す」ことにより、中国都市部はだんだんと「お行儀がよくて予測可能な社会(P.170)」になっていると言います。そして話は功利主義へ続く。人畜無害な日々を送る国民にとって、監視社会は自分の日々を守ってくれるという意味で肯定的な存在になりうるんじゃないか、と。
正しく生きていれば罰されない社会で、ペナルティを受けるのはルールを逸脱する輩のみ。それなら問題ないじゃん? という思想に、確かに、なるよなぁ。わかるわ。もともと法治国家ってそういう性質を持つものだと思うし。
例えばクレジットカードの使用履歴が常に公権力から閲覧可能な状態になるとしても、平凡な一国民の購入履歴を毎日ピンポイントで確認するほど暇じゃないだろう。その公権力が自分を抹殺する可能性があるなら用心するだろうけどけども……でも日本でも犯罪捜査のためなら電話の傍受をしていいことになってるし、カードの使用履歴確認なんて可能か不可能かでいったら理論的には可能なんだから、大っぴらにそういうことする場合がありますって公言してるだけ正直なのか?? 映画とか観てると、CIAやFBIあたりは法律なくても黙ってやってそうじゃん(偏見です)。

話が逸れました。社会が予測可能な方に変化していくのは喜ばしいことかもしれないけど、そうなるとお行儀のいい人たちだけでどれだけその社会を維持できるのかっていうのが疑問だ。羊は羊飼いにはなれないだろうし、支配者層と被支配者層が分断するのかな。こういう社会システムを維持する場合、支配者層はいい子ちゃんではいられないだろう。結構精神的にキツそうだけど、果たして継続できる仕組みなんだろうか。中国の今の体制はまだそんなに長くないから予測しかできないな。

そして読みながらずっと考えていたのが、今の世界のスタンダードな国体が正解というわけではないよなということでした。どんな時代も、社会は不完全なものだ。
これまでの人類の歴史においていろんな政治体制が現れては消え、現れては消えしていった末に、今現在は民主主義がベストだろうってことになってますが、正直あんまり信じていない。最大多数の人間がそれなりに妥協できる体制として「まぁこの辺で手を打っておくか」というものではあるのかもしれないけれど、有能な絶対君主による政治のほうが幸せな国でありうるかもしれないし。ただ絶対君主に権力を集めると、彼が無能だった場合に悲惨なことになるわけで……まぁこの辺りはよくある話。
民主主義でも共産主義でも陰で泣いている人は必ずいるので、どれが正しいというものでもない。それでもなるべくより良い方向に進みたいってみんな思ってる(はずだ)から、手探りで失敗しながら進むしかないのだろう。もしかするとこれから、今の社会システムにちょっと手を加えた新しいシステムが生まれて、将来はその新システムが世界の主流になるかもしれない。そしてその始まりの時というのはもしかしたら今かもしれないし、場所は中国かもしれない。

私たちが中国のスピーディーな変化について行けず、監視社会と呼んで恐怖しているのは、いずれ自分を飲み込むであろう脅威の種に対する本能的な警戒心なのかもしれない。私たちはそれなりに慣れ親しんだ場所に閉じこもって、古き良き思い出に浸って、どうしようもなく迫ってくる綻びを見て見ぬふりをしつづけているのかもしれない。だって、今のやり方はガタがきているって、みんなもう気づいているよね。

もちろん、中国は全然始まりの場所なんかじゃないという可能性もある。あらゆる情報を収集し、世論を統制し、条件付きの幸福を提供する政府は将来行き詰って崩壊するかもしれない。人間は理屈だけではどうにもならないものだし。でも失敗したソ連の時とは違って、今はより新しいIT技術がある。うまく使いこなしたら、どうなるかわからないのでは。

新しく来るものが正しいものかどうかを判断するのは、正直私の手に余る。ただ、それが自分にとって受け入れられるものなのかどうかは自分で決めなくちゃいけないし、その結果には責任を持たなくちゃいけないとは思う。だからなるべく気を配って、ちゃんと見ておこう。

非常に面白い本でした。