好物日記

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現代思想 2020年8月号『コロナと暮らし――対策の現場から』を読みました

現代思想 2020年6月号が面白かったので、それ以降毎号買って読んでいます。8月号の特集は「コロナと暮らし」でした。(とかいいつつ 2020年7月号の感想記事がないことにはお気づきだろうか……買ったんですけどね、私にはまだ早かったので……)

様々な視点からコロナ禍の暮らしについて論じられていてどれも面白く読みましたが、特に印象に残ったのは川口有美子さんと美馬達哉さんの討議「トリアージが引く分割線―コロナ時代の医療と介護」です。
討議のテーマをかなり大まかにいうと、医療資源が不足して「全員を助ける」ということができない状況になったときに、「誰を優先的に助けるべきか」を誰がどのように決定するのかという問題についてです。
例えばICUや人工呼吸器などの医療資源の数が患者の数よりも少ない状況になったら?全員を助けたいのはやまやまだけど、それはできない。となると、誰を助けて誰を諦めるのかを、誰かがどこかで決めなければならない。

美馬 (前略)トリアージそのものは医療資源配分の一種ではあるのですが、特殊で例外的な緊急時で十分な医学的評価と議論ができないときに効率的に現場を回すための臨時ルールなのです。(P.106)

コロナをきっかけにしてトリアージの議論が日本でも再熱したようですが、どうやら一部の議論においては平時における医療資源使用の判断基準という論点も含まれているようです。平時の判断はトリアージで下すものではないのに。

美馬 (前略)例えば意識がない人が救急に運び込まれて、その後意識が戻る見込みもないのであれば、ICUで特殊な治療をしなくてもいいのではないかだとか、認知症などで自分の意思がはっきり言えなかったり家族などが本人の意思を予測できなかったりする場合には治療しない選択肢もあるのではないか、といった議論は、本来ならICU病床が不足しているか足りているかとは無関係に、医療倫理や生命倫理として論じられるべき問題です。それらが人工呼吸器トリアージとして混在して議論されてしまっていると思います。(P.107)

他にも米国での事例や優生学との絡みや合理化の弊害などが討議されていてどれもとても興味深かった。トリアージってどうしても土壇場で人命に優劣をつける行為になってしまうから、決定版を作るのはすごく難しいだろうし、常に見直しが必要だろう。それでも現場で都度判断するとなると、決めた人に過剰な心理的負担を強いることになるだろうから、やはり「システム」としてあらかじめ決めておくべきことだと思う。でもそれはあくまでも非常時のものであって、普段はもっと丁寧に考えるべき問題なのだ、というのを忘れないようにしないといけない。決断するってしんどいことだけど、サボっちゃいけないことだ。

それで上記の記事を読んで、「トロッコ問題ってズルいなぁ」ということに、今回初めて思い至ったのでした。ほんと、どうして今までそう感じなかったのか不思議なくらいだ。
もっともトロッコ問題のようなテーマ設定は、わざと極端な状況を作っているだけだというのはわかっている。でもそういう単純化された図式って使いやすいからいろんなところで引用されやすい。だから、サンプルとして持ってきた極限状態の判断を平時の深層心理みたいにして全部説明しようとするような乱暴な欺瞞も存在するし、そういうものには気をつけなくちゃいけないなと思った次第です。


これまでも散々言われていることだけど、コロナ禍で浮き彫りになった数々の問題点というのは、「コロナ禍によって新たに生まれた問題点」ではなくて、「コロナ禍が来る前から存在したけど特に対処されていなかった問題点」だったんだなぁというのを改めて感じた。世の中にはあらゆる問題が星の数より多くあって、本当はすべてまとめて対処したいんだけど、処理能力には限界があるから優先順位をつけて順番に対処するしかない。そしてその優先順位はたいてい影響される人数の多さとか経済への影響等を基準に決められるものであって、その結果、常に「優先順位が低い」とみなされる固定の人々というのが発生しやすい。
優先順位をつけること自体は間違っていないのだ。資源も時間も有限な中で問題点に対処しようとしたなら、順番を待つ必要というのはどうしても生じる。ただ、その優先順位が歪んだパラメータで決められていないか、もっと適切な順番づけは可能か、というのを考え続けることをサボってはいけないし、考え続けることが可能な社会であるのが望ましいと思う。もっともコロナ禍によって浮き彫りにされた問題点の中には、これまでギリギリなんとかなっていたのが、コロナ禍によって優先順位がごちゃっと入れ替わったものもありそうだけど。

常に特定のグループの人たちを切り捨てることでその他大多数の人たちがうまく行くようにするというのはよくある社会構造で、これまでの歴史でもそうだし現代だって実際はそういう構造だ。理屈だけで考えるなら、人類はこれまでこのやり方で存続してきたって実績があるんだから、そのままこの構造を維持していけばいいじゃんっていうのも一つの選択肢になりうるだろう。なりうるんだろうけど、それを「ダメでしょ」って感じる道徳観念を、人類はこれまでの歴史で育ててきたはずなんですよね。
どうせこの世に神はいないのだから、人類はどちらの道にも進めるのだ。それでも今の世界は「ダメでしょ」って感じる方の道を取るスタンスでいるはず。実際に全然できていなかったとしても、そういう道を選ぶっていう態度でこれから進んで行こうとしているわけだ、人類は。いまのところは、きっと。
とはいえ人類全体がそっちの道に進む流れでいるためには、個々人がちゃんと地図を見て、道があっているか確認しながら進んで行く必要があるんだろう。私も「ダメでしょ」って声をあげる道を進む方を支持したいと思っているので、せいぜい迷子にならないよう努力します。


他にも家族を密と見做さない政府スローガンや休校問題、行政の効率化が生んだ脆弱性など、いろいろ面白い記事がたくさんありました。買ってよかった。10年後くらいに読み返しても面白そうですね。