好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

橋爪大三郎『はじめての構造主義』を読みました

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

ずっと読もう読もうと思っていながらずるずるとここまで来てしまった本です。去年人から借りてから手元に置いてはいたのですが、ゆっくり読もうと思っておいたら年を越してしまった。ようやく手に取ることができて、読み始めたらめちゃくちゃ面白くて、一気に読みました。借りて読んだ本ではありますが、ちゃんと買い直します。

構造主義って、名前こそ知っていても、正直なんのイメージもありませんでした。レヴィ=ストロース構造主義の産みの親だったというのもこの本を読んで初めて知ったくらいです。
そんな知識レベルで読み始めましたが、わかりやすい文章で順を追って書かれているのでとても理解しやすかったです。「これが構造主義なのだ!」というのはどうもその業界においても曖昧なようだし、この本に描かれていることが正しいかどうかの検証は初心者の私にはできないわけですが、名著と名高い本なので信じておく。とは言うものの解説本だけでは不安な原典主義なので、レヴィ=ストロースの著作も読まねばならんとは思っていますが。『悲しき熱帯』は買ってあったはずなんだ…どこにやったかな…

ここに書かれている「構造主義とは何ぞや」をこのブログの記事で要約することは無理です。なので詳しい内容の紹介は潔く飛ばして、個人的に面白いなと思った部分をつらつら書いていくことにします。(要はいつもと同じです)
この記事を読んでも構造主義のことがわかるようになるわけではありませんので、あらかじめご承知おきください。

現代思想の流れが全然わかってなかったので、初っ端からサルトルが案外最近の人だったということに衝撃を受けました。なんとなくあと30年くらい前の人だと思っていた…。マルクス思想は興味もあって、そのうち読みたいなぁと思ってはいるのですが、例のごとくまだ読んでない。彼らに対する新しい思想としてレヴィ=ストロースが出てきたとか、その考え方のヒントには言語学や数学があるとか、そのあたりがとても面白かったです。
アプローチの仕方が異なっても、同じ世界のものを研究するのであれば、結局は文系も理系もないということをあらためて感じました。本当に、文系理系で分断するのは悪しき習慣だと思う。いまだに微分積分もわからないけど、反省はしている。この本を読んで、ユークリッド幾何学が西洋世界の数学においていかにすごかったかという話と、非ユークリッド幾何学がどういうものかということが、ようやくぼんやりとわかってきました。でもこの辺もうちょっと勉強しないとだめだ。数ⅡBは授業でやったけど、受験数学だったので、どういう意味のある数式なのかを全然理解しないまま卒業してしまった…。

まぁ私の勉強不足はともかく、レヴィ=ストロース構造主義は数学にヒントを得ているというのが、説明されると確かに似ていて、すごく面白かったです。

レヴィ=ストロースは、主体の思考(ひとりひとりが責任をもつ、理性的で自覚的な思考)の手の届かない彼方に、それを包む、集合的な思考(大勢の人びとをとらえる無自覚な思考)の領域が存在することを示した。それが神話である。神話は、一定の秩序――個々の神話の間の変換関係にともなう<構造>――をもっている。この<構造>は、主体の思考によって直接とらえられないもの、”不可視”のものなのだ。(P.190)

世界を理解しようとするとき、理解する観測者としての主体をそこまで重視しないスタイル、もっと俯瞰的な視点から物事を見ていくスタイルというのが構造主義なのだとしたら、それまでそういう考えがなかったということが不思議に感じる。私には、レヴィ=ストロースの思想はそこまで劇的に新しい!という感じはしなかったです。
とはいえ生まれた世代によって社会の雰囲気や常識、学校で学ぶ内容も違ってくるので、これはジェネレーションギャップみたいなものでしょう。私が育った社会は、多分構造主義がある程度浸透した後の社会だった。だから構造主義に出会った人々(フランスにせよ日本にせよ)が受けたインパクトを体感することができないわけで、これはちょっと寂しくもある。なかなかに衝撃的だったようだし。

でも心配しなくても、未来のいつかに同じような衝撃を受けるときが来るはずだ。これから年を重ねて、自分の中の常識とか思考のベースのようなものがある程度固まったとき、見たこともないような思想が私が長い年月かけて築いた土台を切り崩そうとするときがきっと来る。そのとき、自分の土台に固執して新しい考え方を検討すらせず足蹴にするようなことが無いように気をつけたいと思う。新しい理論を塗り重ねて更新していける柔軟さを保っていられるようにしておかねば。土台を作っている最中の今から、いずれこの土台は崩されるのだと覚悟しておこう。


あと、正直私にとって、構造主義というものが正しく世界を理解できる思想なのかどうかというのは、わりとどうでもよかったりする。私が興味を持っているのは、その時代その社会でどういう思想が流行ったかであって、思想の正しさではないので。そもそも思想の正しさなんて判断できやしないのだ、そんな、神じゃあるまいし。
だからそういう視点で、構造主義が華々しく登場した時の社会の雰囲気や、構造主義がどんな世界を見せたかをもっと詳しく知りたいと思ったわけですが、本書には巻末にブックガイドもついていて至れり尽くせりでした。ポスト構造主義も含めて、いろいろ読みたくてたまらない。私は日本人なので、日本での受容についても興味があるし、そっちにも手を伸ばすとなると、あぁ、時間が足りない…
日本での受容という点については、本書の結びに書かれていた内容が非常に印象的でした。

日本人に必要なのは、ポストモダンじゃなくて、むしろ、自前のモダニズムだと思う。(P.226)

(前略)日本に育った市民階級が、自分たちの社会と文化のあり方を自覚し、理解し、世界中の多くの人々と共有できる形式に改め、洗練すること。そしてそれを、ひとつの思想に高めること。しかもそれに安住することなく、世界中のさまざまな思想と、対話をくりかえしていくこと。こういう努力が、日本の自前のモダニズム(制度と責任の思想)のはずである。(P.231)

外部の視点を入れるという意味で思想の輸入も必要なのですが、前提として自前の思想がないと話にならない。自問自答を繰り返してブラッシュアップし続けないと言われるがままの奴隷になるだけなので、やっぱり一生勉強ですね。望むところではあるけど、時間はいくらあっても足りないのが悩ましいところだ…。