好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

松本清張『昭和史発掘 6』を読みました

父親のお下がりの文春文庫の古い版で読んでいる『昭和史発掘』もついに6巻まで来ました。
ISBNがついていなくて、新版は収録内容が違うのでリンクは無し。

このくらいまで進んでくると、松本清張がこれからどういうことを書こうとしているのかがわかってきますね。昭和の話をするときに戦争の話は避けられない。松本清張はリアルタイムで経験している世代だから、彼自身にとっても棚卸が必要だったのかもしれないな。

6巻の内容は以下の通り。
京都大学の墓碑銘」
天皇機関説
陸軍士官学校事件」

京都大学の墓碑銘」は、大学の自治にまつわる話です。京大法学部教授であった滝川幸辰の著作『刑法読本』がマルクス主義的だというので発禁処分になり、さらに文部省によって滝川教授の辞職が要請された事件について。
いや全然知らなかったので非常に興味深く読んだのですが、いろんな人のいろんな立場が絡み合って実にややこしい。たぶん『刑法読本』が本当にマルクス主義的かどうかというのはこの際たいした問題ではない。学問に禁忌はあるのかとか、人事権を誰が持つのかとか、そういうところがポイントだ。

松本清張は、大学の自治云々については結構冷静で面白い。

 帝国大学教授は、自分らは一般の官吏とは違うと考えている。が、その観念自体がおかしい。彼らは常に文部大臣の監督を受け、任免権も文部大臣にあった。さらに帝国大学の予算は全部国費で賄われている。もし真に大学の独立と研究の自由を望むならば、経費も国家から支給されることのないように、すなわち経済的にも完全に独立しなければなるまい。建物も、研究費も、月給も国の丸抱えである以上、普通一般の官庁と異なるところはなく、政府の意図に拘束されるのはやむを得ない。それがイヤなら、身分も予算も完全に政府から離れて独立すべきだろう。すなわち、官立大学でなくなることだ。(P.12)

まぁもっともである。
とはいえ別に国家の下に研究機関がある状態がすべて悪いわけではないのは松本清張もわかって書いているはず。研究結果が国益につながることだってあるのだし。国立施設は私物化されないことが利点だよねーと思って読んでいたけど、よく考えたら当時の帝国大学って結局は天皇の私物になるんですよね。だから私学のほうが自由でいられるのか。しかし民間になったらスポンサー(たぶん三井系とかの財閥たち)に頭が上がらなくなるという問題が起きるだろうから、それはそれで逃げ場が無さそう…。

話を戻す。
滝川教授については、最初は大学も文部省も、別にクビにまですることないでしょと思って、穏便に済ませようと頑張っていたらしい。しかし時代背景なんかもあってどうにも滝川教授が退職しないと事態が収まらなくなってきたようです。
そのとき法学部の面々が総辞職の意を表明して抗議しようと立ち上がったのですが、その時のエピソードに笑ってしまった。

 法学部はすでに総辞職の決意を固めた。五月二十二日の夜、宮本法学部長から各教授に電話があって、明日の教授会に判コを忘れないように、という注意をした。
 翌二十三日、法学部教授一同は辞表を書いたが、この中で面白い現象があった。それは、教授のうち三名が、
「今日は判コを忘れたから」
 という理由で辞表を書くことを消極的に拒否しようとした。(中略)
 もっとも、彼らは、滝川のことでせっかくの教授の地位を棒にふり、生活にも困るような道を択ばなければならないのをバカバカしく思ったに違いない。このへんは学者的な良心とサラリーマン的な生活執念との板ばさみで、彼らがそうした態度をとったからといってあながち非難するには当らない。学者の多くは、もともと、そうした人間なのである。(P.66-67)

そりゃあいるでしょうねぇ、こういう人たち!もう目に浮ぶようだ。嬉しくなっちゃうくらい人間臭いですね。

結局この事件は滝川教授は免官、京大法学部の半分くらいの教授も辞職したけれど、立命館大学に移ったり、京大に復職したりしたようです。

そして2つ目のトピック「天皇機関説」に話が移るわけですが、懐かしいですねこの名前。教科書に出ていたのを名前が格好良くて覚えていたけど、当時の私はその意味をまったくわかっていなかったことがよくわかりました。

京大法学部の滝川事件はあくまでも大学VS文部省だったけど、天皇機関説貴族院が出張ってきて岡田内閣の倒閣の材料として政治利用されちゃったんですね。
細かい話は省きますが、最初は天皇機関説を唱えた美濃部達吉と、それを批判する上杉慎吉との学問上の対立だったそうです。雑誌の寄稿という形での論戦がメインだった。しかしこの議論については、傍から見ていた誰もが美濃部の反論に理があると判断した。というのも最初こそ勢いよく美濃部を批判していた上杉だけど、劣勢を悟ると議論を放棄してしまったからです。彼は何を言われても自説は曲げない、美濃部が何を批判しようと我が信念を貫くだけだといいだした。

 これは学者の態度として妙である。公開論争は互いの説の相違点を究め、質疑応答を好感して、第三者にも納得させるようにしなければならないのに、上杉の論は美濃部の論点に客観的な論理をもって答えず「信念」だけを棒に繰返している。これでは言い放しだけの一方通行だ。(P.122)

この上杉の態度に黙っていられなくなったという京大教授・市村光恵の論文がとても良かった。

「私は上杉、美濃部両氏に対しては第三者であり、両博士に対していささかも恩怨はない。また、上杉博士の論文の内容は、われわれにはすでに陳腐な問題に属していて今さら事ごとしく論ずる興味をもたない。しかし、私は上杉氏の論文をよんで氏の研究態度が全く学者的でないことを遺憾に思うと同時に、氏が或るものをひっさげて学者の議論を威圧せんとする気味のあるのを見て、云うべからざる不快の念を起したのである。(P.130)

 最後に、私の最も憎むところは、上杉君が国体に対する異説云々という文字だ。私は、この種の文字をつかって甚しく人を圧迫しようとするを憎む。われわれが最も憎むところは、正々堂々の議論を戦わすことを避け、徒らに威圧的な文字を羅列して人を陥れんとする輩である。一死君国のために殉ずるの精神は、私といえども人後に落ちない。しかし、平時にあって美辞麗句を巧みにする輩こそ、国難の秋にあたり真先に逃げ出す醜体を演じかねないのである。(P.135-136)

本文でも結構長く引用されているですが、とてもよい論文でした。黙っていられなかった学者が一人でもいて声を上げてくれてよかった。
この後は美濃部がいかにして陥落するか、それまでに彼がどんなふうに戦うかが松本清張によって語られるのですが、気になる方は本を読んでください。
読んでいて本当に、まともな議論ができないっていうのは怖いなと思った。こうして封じられていくのか。上杉の幼稚な反論なんて可愛いもので、貴族院議員を使った美濃部攻撃が実に執拗で苛立たしかったです。理路整然とした反論をしても、捻じ曲げられる虚しさ。これが史実か…

最後の「陸軍士官学校事件」については、二・二六事件へ向うためのエピソードの一つであることを松本清張自身が冒頭に書いている。次の巻につながる話なので、今回は割愛。しかしどんどんきな臭くなっていくんですが、私利私欲だけではないところが読んでいてつらい。正しい変革って、きっとすごく難しいことなんだろう。そもそも勝てば官軍なところがあるから、失敗した変革はすべて悪なんだろうけれど。

きな臭いまま7巻に進んでいく。