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ロレンス『完訳 チャタレイ夫人の恋人』を読みました

完訳チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

完訳チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

某所の読書会の課題本になっていたので読んだのですが、予定が被って読書会に参加できなかったので、行き場のない感想をここに書いておく。

ロレンスは初めて読んだのですが、こんなに面白いとは思っていなかったです。「完訳」ってわざわざ書いてあるのを特に意識せずに読み進めて、読み終わってから「改訂版あとがき」でチャタレイ裁判なるものを知りました。1951年に刊行された伊藤整の日本語訳が過激な性描写のために発禁になったのだとか。そうだったのかー!! チャタレイ事件だけでもめちゃくちゃ面白そうですね。裁判の後、アスタリスクで伏字にして刊行したらしいけど、それはそれで官能的かもしれない、とか思ってしまう。腕のないヴィーナスのようではないですか。
でもやっぱり完訳で読みたいですよね、もう21世紀ですしね。高校生にはまだ早いかもしれないけど、大学生くらいなら大丈夫でしょう。でも大人になってから読んだ方が楽しいかもしれない。

解説で知ったのですが、ロレンス自身は労働者階級の生れなのだとか。そしてロレンスが駆け落ちした相手が貴族階級の既婚女性というのを聞くと感慨深い。そうなのか、なるほどね、へぇー……。というのも、この小説がまさに「貴族階級の奥様が労働者階級の男性と恋をする話」だからです。ロレンスの恋は相手の女性の方が年上で、この小説では女性のほうが年下という違いはあるけども。


さてそろそろ小説のストーリーの話をしますが、この記事では小説の結末にがっつり触れていますので、未読の方はご注意ください。



小説のあらすじをざっくりと復習しておくと、戦争で負傷して車椅子生活を送るクリフォード卿の妻コンスタンス(コニー)が、屋敷の森番(メラーズ)と恋愛関係に陥る話です。

最初、森番が彼女を必死に遠ざけようとしているのは明らかにフラグなんですが、そういう細かい心理の描き方がロレンスはとても上手かったです。彼らが頻繁に会うことになる小屋での場面とか、実に良い。

 彼女はまったく時間を忘れ、奇妙な周囲の事情も忘れて、夢見るように茫然と小屋の入り口に腰かけていた。あまりもの思いに沈んでいたので、彼がどうしたのかとちらと見あげた。するとまったく静まりかえった、何かを待ちうけるような表情が彼女の顔に浮んでいた。彼から見れば、それは待ちうけている人間の表情であった。するととつぜん彼の腰部、彼の背骨の根元から、焔の薄い小さな舌がひらめき出した。そして彼の魂はうめき声をあげた。彼は人間相互の接触をくりかえすことは、死のような、ぞっとすることとして怖れていた。彼は何よりも彼女がここを立ち去ってくれること、自分ひとりになることを欲した。彼女の意志、彼女の女性としての意志、現代的な女性の我執がこわかった。何よりも、彼女の冷たい上流階級的なわがままなあつかましさを怖れた。というのも、けっきょく彼は雇い人にすぎないからであった。彼は彼女がそこにいることに憎しみを感じた。
 コニーはとつぜん不安を感じてわれに返って、立ちあがった。もう夕刻に近かった。だが立ち去ることができなかった。彼女は彼の方へ近寄っていった。彼は疲れたような顔を憂鬱にこわばらせて彼女を見つめながら、命令を待つようにたたずんでいた。(P.159-160)

引用が長くなってしまった。この後に続く会話もすごく好きなんですけど、きりがないのでこの辺で。
この、相手に支配されようとしていることを予感した防衛本能的な行動が実に良いですね。こういう描写がそこかしこにあって、読んでいてとても盛り上がりました。そしてここぞという場面をしっかり描いてくれているところが、この作品が文学作品である由縁なのだと思います。ナボコフがそんなことを言っていたのを思い出した。例えば雨の中走り回る場面とか、花を飾るあの場面とか素晴らしかったなぁ。映画版もちょっと観てみたい。
(とはいえ念のため書いておくと、発禁にすべきかどうかは、それが文学(芸術)かどうかとは全く関係ないと私は思っています。)

猥褻と言われたシーンは多分このあたりだなっていうのは読んでてわかるけど、クリフォードとの虚栄に満ちた生活を浮かび上がらせるためにもああいうシーンはやっぱり必要だったのだろう。
精神的な豊かさは充実した人生のために必要不可欠なものだと思うけど、その豊かさというのはどうあっても何かドロドロしたものを内包していると思う。メラーズがいる森の土みたいなもの。雨上がりの土のようにぐちゃぐちゃで、滋養をたっぷり含んでいるもの。一方でコニーが憎んだ、クリフォードが唱えた精神生活はそういうのじゃなくて、もっとツルツルしたものだろう。しかし無菌の清潔な精神というのは、きっとつまらないことこの上ない。汚れたものを引き受けず、綺麗なままでいられたら素敵かもしれないけど、生きるってそういうことじゃないもんな。
私は普段、中庸を目指しアタラクシアを求めているけど、それらが幻想でしかないこともわかっている。むしろその状態から感情の針を揺らすことを楽しみにしているところがあるかもしれない、邪道だけれど。でもメラーズだって心穏やかな生活から嵐のような人生に踏み込むとき、敢えてそっちに飛び込んでこそ人生って思っている節があるような。恋愛って自分の一部を相手に支配させることを許すことになるわけだけど、膝を折るに足ると思った相手ならそれもまぁいいかなって思うものだ。揺れた針を振り切らせる決意をするメラーズがとても良かったです。
でも別れた妻の話はちょっと不満だった。過去に結婚していた相手のことをそんな風に形容する人なのか、彼は。

あとメラーズが標準的な英語で喋ったり、わざと方言で喋ったりすることがあるのが、一筋縄でいかない感じがして良かった。彼は、やろうと思えばできるのだ。教育だって受けているし、紳士の皮を被って彼らの隣人のような顔をして生きていくこともできるのだ。でも彼はそうしない。それは怠惰ではなく、むしろ茨の道なんだけど、理解し難いと思われることが多いだろうな。正しく生きるっていうのは結局自己満足でしかないし、そんなのただの綺麗事だろって言われたら一言もないものな。

ロレンスがメラーズの口を借りて、金のことばかり考えるなって何度も叫んでいるのも印象的でした。当時の、近代化に向けた急激な変化はきっと凄かったんだろうな。テムズ川なんかも酷い状態だったらしいし。21世紀の今からすれば「工業的な生活をやめよう」というのは賛成しかねる。でも彼が急激な変化に対して警鐘を鳴らそうとしていたのは、わからなくもない。私はそれでも進むべきだと思ってるけど(これからも)、考えなしに突っ走るのは危なくもあるよな。高揚に水を差すように「そうはいうけど大丈夫なの?」って問い続けるのは必要なことだと思います。鬱陶しがられるそんな役回りだけど、そうやって問い続けることで「大丈夫なんだ!」って保証が一つずつ増えていけばいいと思う。


しかし私、コニーは絶対最後は死ぬと思ってたんですよ。ヴェニスからの帰り道で不幸な事故に遭うとか、産褥で命を落とすとか。ページ数が少なくなるにつれて、その時はいつ来るのかと思ってドキドキしていたのに、まさか最後まで生き延びるとは! しかもハッピーエンドとか! 一番のびっくりがそこでした。だってこの手の小説って最後はたいてい死ぬもんな…フランス小説なんかは特に。彼らに幸せに暮らす未来の可能性が残っているとは思ってもみなかったので新鮮でした。ロレンスの願いだったのかな。

他にも階級格差だとかボルトン夫人だとかクリフォードに象徴されるあれやこれやとか面白かったけどきりがないのでこれまで。気づいたらコニーの話を全然せずにメラーズのことばかり書いていた…さすがヒーロー、格好良く書いてある。
完訳のある時代で良かったです。でも伏字を味わうのもいいかもな。