好物日記

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松本清張『昭和史発掘 2』を読みました

新装版 昭和史発掘 (2) (文春文庫)

新装版 昭和史発掘 (2) (文春文庫)

松本清張の昭和史本その2です。1はこちら
うちにあるのは父のお古で、ISBNついてない時代のものですが、上の写真は新装版です。

1巻に続き、2巻も三本立てとなっておりまして、今回のテーマは以下の通り。なお連載期間は1964/11~1965/05です。
芥川龍之介の死」
「北原二等卒の直訴」
「三・一五共産党検挙」

今回も、どれも面白かった。知らない話ばかりで物知らずなのを痛感する…やっぱり細かい事件を追っていくとリアルに歴史が感じられて良いですね。流れがわかる。

 昭和二年は不況の絶頂で、政府は失業者五十万と発表したが、潜在失業者を含めて三百五十万というのが今日の常識になっている。
(中略)
 巷に失業者群が満ち、私も職がなかった。
 いま、このシリーズの一つとして芥川の死を書くことになったが、これは昭和史の一齣として書くのであって、別に芥川龍之介論でもなければ、作品論でもない。また、芥川の死について新発見や新解釈をするつもりはない。最初にお断りしておく。(P.1)

上記は本書の冒頭、「芥川龍之介の死」の部分ですが、このシリーズで芥川が出て来るとは思ってませんでした。三島由紀夫ならわかるけど、芥川か。
もともと文学論とかほとんど読んでないので、芥川の自死が日本文学史上でどんな風に扱われているのかを私は知らない。だからもしかするとスタンダードな見方なのかもしれないけど、若くして頭角を現した偉大なる文豪という立派なイメージだけではない、世俗っぽい芥川像が個人的にはとても新鮮でした。
芥川の主治医だった下島医師や、懇意にしていた画家の小穴隆一の話とか、芥川の恋人のエピソードとか、そんなことがあったのか!芥川が自死を決意したタイミングや、知っていて止めなかった疑惑のある周囲の人間や、「ぼんやりとした不安」や歯車の正体について、言われれば納得という話ばかりで、すごく興味深かった。詳しくは書かないでおくので、気になる方は読んでください。
しかし芥川のええかっこしぃな感じって、確かに作品からも感じられて、そこが良いんだけど彼の弱さでもあるんだろうな。


「北原二等卒の直訴」はいわゆる被差別部落出身の活動家が軍隊に入って、特殊な方法で差別と闘う話です。大正11年に京都で水平社が創立されてから、部落解放運動は活発に行われていたようです。そして闘士として名を馳せていた北原が、徴兵検査に通ってしまって軍隊に入ることになってしまう。
なってしまう、というのは本人も軍隊も不本意な入営だったから。

 北原は検査官の指示にはしたがわず、簡単な筆記試験にも白紙の答案を提出した。
 当時の検査官の普通の考え方からすれば、北原のような運動をしている者を兵役にとることは避けるのだった。ところが、検査官は北原に対して逆手にでた。つまり、このような非国民こそ軍隊にとって徹底的に鍛えなおさなければならないと考えたらしい。
 (中略)
 北原は営門に到着するまで、道々、反軍演説をぶちまくった。群衆は集るし、憲兵は警戒に出動するし、たいへんな入営風景となった。(P.140)

入営の手配をした検査官はご満悦だったろうなぁ。しかし尻拭いするのは現場である。
この後の腫れ物に触る扱いで苦労しっぱなしの軍隊側と、反抗的態度の北原の不遜さの描き方がコミカルで、でもちゃんとシリアスなところもあって真摯な文章でした。さすが松本清張、読ませる。


最後の「三・一五共産党検挙」はその後、田中義一内閣政権下に実行された共産党員の一斉検挙の話です。モスクワのコミンテルンだの、上海へ渡るだの、暗号だのなんだのとその手の単語がわんさか出てきて、しかしこれ実話なんだよな、とたまに思い返して我に返る。
福本イズムの栄光と凋落、徳田球一の掌返しなんかも面白いのですが、大検挙につながる情報が流出した間庭末吉の党員名簿と暗号表について詳細な供述をするところが凄い。そんなべらべら喋っちゃって…とも思うけど、まぁ喋っちゃうだろうなぁ。この時、間庭は何歳だったんだろうか。

ちなみに共産党は当時非合法組織だったので、党員名簿の作成は禁止されていたんですが、間庭は作っちゃったんですよね…それも自分の手製の暗号で。そう、手製の暗号で!!手製って!!これってきっと、作ってる最中はめちゃくちゃテンション上がっただろうなと思うのです。自分のつくった暗号で、自分の人生をかけたコミュニティの機密情報を記して、高揚感あっただろうなぁ…。結局みんなを危険に晒してしまったわけだけれど、気持ちとしてはわかっちゃうんですよね。なんだかすごく人間だ。

そして最も印象的だったのが渡政こと渡辺政之輔についての、以下の部分。

 渡政の死については全共産党員が哀悼した。のちの法廷でも、被告全員が渡辺政之輔の霊に哀悼の意を表している。これについて宮城裁判長が「宗教的なことはマルクス主義として最も排斥すべきことではないか」と詰問したとき佐野学は起って、
「われわれは霊魂不滅ということは信じない。人間は物質である。人間が死すれば肉体は死滅する。われわれの脳は、あらゆる物質の中で最もよく発達した物質と考える。しかし、この脳もまた肉体と共に滅びる。しかしながら、脳の産物である事業は、この地上に存在する。進歩した思想は同志の記憶の中に生き残り、新しき階級闘争への原因となる。われわれが渡辺の霊を弔うのは、その階級闘争に対する功績に対して便宜上述べたことで、霊魂そのものに対するのではない」
 と答えている。(昭和六年七月十一日・公判第四日目)(P.272-273)

彼ら共産党員の宗教観はもう少し詳しく見ていきたいです。非常に興味深い。今後の宿題だな。
そして、当時のコミンテルンは日本の共産党のことをどう思っていたんだろうなぁ、というのも気になるところです。人種差別とかなかったんだろうか。

とりあえず、次の巻に進む。