好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を読みました

読もうと思って買ってはいたのですが、長らく積んでいた本のひとつです(こういうのばっかり)。
しかし読み切った!という達成感はあまりない。というのも、とりあえず一周したけど理解が漏れているところがたくさんあるんだろうなぁという自覚があるからです。

著名な本ですが一応ご紹介しておくと、本書は太平洋戦争において日本軍がなぜ負けたのかを、組織論というアプローチから迫っていくことを目的とした本です。そのために「日本軍という組織が失敗した事例」として6つのケースを取り上げて分析・考察しています。6つのケースというのは、ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナルインパール、レイテ、沖縄の戦い。
正直、太平洋戦争関連のあれやこれやの情報は、これまで意識的に避けてきたところがあって、ほとんど知識がありません。国内の様子とかならまだ少しはイメージできるのですが、戦場の話は読むと辛いのがわかっているから、どうしても手が伸びなかったのです。
しかし本書は構成からして非常に論文寄りで、文章も論文体。あくまでも情報の伝達を目的としているだけで、戦争の悲惨さを訴えたいわけではないのがわかるので、冷静な気持ちで読めました。気持ちの問題を脇に置いて、報告を受けるような体で情報の確認ができた。こういう文章なら読める。
とはいえ書いてあることの半分も理解できていない感触.……これはひとえに私の基礎知識が足りないからです。例えば2000人の軍勢というのが体感的に理解できないとか、航空母艦の大きさも役割もよくわかってないとか、そういうところです。もうちょい知識をつけないとな…

さて、ようやく内容。
狙ったわけではないのですが、結果としてこの本を、国家が緊急事態に直面している状況下で読むことになったのは、なかなか味わい深いものがありますね。

日本軍の組織的欠陥の多くは、大東亜戦争突入まであまり致命的な失敗を導かなかった、ともいえるかもしれない。すなわち、平時において、不確実性が相対的に低く安定した状況のもとでは、日本軍の組織はほぼ有効に機能していた、とみなされよう。しかし、問題は危機においてどうであったか、ということである。危機、すなわち不確実性が高く不安定かつ流動的な状況――それは軍隊が本来の任務を果たすべき状況であった――で日本軍は、大東亜戦争のいくつかの作戦失敗に見られるように、有効に機能しえずさまざまな組織的欠陥を露呈した。(P.25)

今の日本政府が平時において有効に機能しているのかという点については疑問もありますが、それは今は横においておく。
不確実真っ只中の状態で右往左往しているのを見ていると、やっぱりねー、そうだよねー、という気にもなります。この国って昔から、緊急事態に弱いんだな。

ではなぜ緊急事態にうまく対応できなかったのかという疑問が生まれるわけですが、本書では「その場の空気」というものが、戦略的に重大な局面での決定にまで大きな影響を及ぼしていたことが原因として挙げられています。

空気が支配する場所では、あらゆる議論は最後には空気によって決定される。もっとも、科学的な数字や情報、合理的な論理に基づく議論がまったくなされないというわけではない。そうではなくて、そうした議論を進めるなかである種の空気が発生するのである。(P.284)

これは並行して読んでいる松本清張の『昭和史発掘』でもしばしば目につくところだし、今のいろんな組織でも心当たりがある。そういえば「KY」は、2007年の流行語大賞でした。
もっとも、「空気を読む」こと自体は悪いことではないのだ。そういう配慮をすることで物事がスムーズに進むこともある。処世術としては結構便利な代物だと思っています。
でもこれが過ぎると壁に行き当たってしまうのだろう。うーん、身につまされるな。空気を読むことすべてを否定するとやりすぎだとは思うのですが、まぁ何事も中道が一番ですね。


そして一番興味深かったのが、日本軍と米軍の兵器開発の考え方の違いです。

元来対ソ戦闘を志向し、対米戦闘の設計図を持たなかった陸軍に対して、海軍は明確な対米戦闘のデザインを描き、それに向って多年にわたる研究準備をしてきた。それでも、戦略概念はきわめて狭義であり、むしろ先制と集中攻撃を具体化した小手先的戦術にすぐれていた。こうした戦術の例としては、夜陰を活用した駆逐艦の魚雷による漸滅作戦や超人的ともいえる見張員の透視力(優秀な者は夜間八〇〇〇メートルの海上で軍艦の動いているのを識別できた)に頼る大艦隊の夜戦先制攻撃などがあげられる。しかし、猛訓練による兵員の連度の極限までの追求は、必勝の信念という精神主義とあいまって軍事技術の軽視につながった。(P.289-290)

米国の製品および生産技術の体系は、科学的管理法に基づく徹底した標準化が基本であった。潜水艦に例をとると、米国は艦型の種類を絞り同型鑑をできるかぎり長期間設計変更しないで大量生産方式でつくることに力を注いだ。潜水艦が輸送船団の破壊を主目的とするという任務を明確に持っていたうえ、レーダーを備えることによって、鑑自体の性能としては特別強力である必要はなかったからである。他方、日本海軍では、第二次大戦に参加した潜水艦だけでも、実に多種多様な潜水艦が創られている。(P.304-305)

米軍は高度な技術を開発してもそれをインダストリアル・エンジニアリングの発想から平均的軍人の操作が容易な武器体系に操作化していた。一点豪華で、その操作に名人芸を要求した日本軍の志向とは本質的に異なるものであった。(P.307)

なるほどなー!さすがフォードを生み出した国だ。これは負けるわ。
非常に納得の差異ではありますが、こういう大量生産方式が「常に正しい」というわけではないだろうというのは考慮しておきたい。かの戦争においては有利になる判断だったわけだけど、これからもずっとそうとは限らない。答えを妄信して突き進むだけだと、いくらやり方を変えても本質的には当時の日本軍と同じ轍を踏むことになりそうだ。

あと、仕事が属人化してシステムが疎かになると、その人がいなくなったときにどうにもできなくなるという部分については、組織あるあるだなと思って読んでいました。「自分がいないと仕事が回らないんだ!」などというのは幻想だという説もありますが、実際のところ、人が一人いなくなると仕事に支障が出るのは事実。その発生しうる支障が許容範囲かどうかによって問題のある組織なのかどうかが判断されるのでしょう。

システムや道具を使って人の負担を下げることを、人間の尊厳を損ねるものと受け止める人はまだたくさんいるような印象はあります。手間をかけることと愛情を注ぐことが強固にリンクしていたり。人間にしかできない、自分にしかできないことだと思っていた仕事が手の中から消えてしまうと、存在意義を見失ったような気持になるのかも。
とはいえ稀に、本当に名人級にすごい人というのはいて、それはそれで賞賛されるべきことではある。でもその人のレベルを基準にして仕組みを作ってしまうと後が続かないんですよね。ある程度の優秀さを敢えて捨てる勇気も必要なんだな。



そんなこんなを考えながら読み終わったわけですが……どうも最近、仕事の都合でビジネス脳になってしまっていて、なんだかいやだなぁ。効率よく仕事をするのは余暇を生み出して人生を豊かにするためなんだから、情緒的なところはしっかり保っておかないと。あまり短期的な効率ばかり追い求めると、長い目で見ると非効率になってしまうこともあるし。気を付けよう。

この本は文庫一冊とは思えない情報量なので、また機会があったら読み返すことになりそうです。でも、それまでにもっと勉強しておかないと理解できないな…