好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

シャルル・バルバラ『蝶を飼う男 シャルル・バルバラ幻想作品集』を読みました

2019年に刊行された、5編の小説が収められた短編集です。とはいえ実際には、中編も含まれていた。
綺麗な表紙を表にして本棚に飾っていたのですが、最近ノンフィクションものばかり読んで小説に飢えてきたので、ついに読むことにしました。カバーを外した表紙もおしゃれで素敵ですが、中身もめちゃくちゃ好みでした。全体的に言葉選びが美しかったのが印象的。ボードレールと親交があったらしいの、なんだかわかるなぁ。
訳者註と解説が長いのは、論文ベースだからでしょう。語彙の解説というよりは、バルバラ研究ノートという感じ。


せっかくなので作品一つずついきましょう。

『ある名演奏家<ヴィルテュオーゾ>の生涯の素描<エスキス>』

中編ほどの長さのある冒頭の作品。これが一番好きでした。ひとりの哀れなバイオリン弾きフェレの一生を描いた物語。芸術に身を捧げる話はちょくちょく見かけますが、これはそういう話とは一味違う。でもストーリーがどうとかっていうか、ちょっと斜に構えたような語りが良いのです。フランス小説の良さだ。バルバラ自身を投影しているらしき要素がそこここにあるようですね。
とにかく文章の美しさが素晴らしい。パガニーニをモデルにしていると思われるイタリアのヴァイオリン弾きのコンサートをフェレが聴きに行くシーンがあるのですが、その描写がめちゃくちゃいいのです。

 名演奏家<ヴィルテュオーゾ>は導入部の混沌を通じて、感興のおもむくままに、闇中に燃える炎の閃光を輝かせ、きらめくフレーズをあちこちに滑り込ませた。彼は嵐のように稲妻をともなって突き進んだ。刻一刻とその姿は大きくなっていき、いよいよ燦然たる輝きを放ち、ついには雲の只中から立ち昇る神のように、あらゆる威厳をまとって力強いクレシェンドの混沌からそそり立った。
 厳かで、澄んだ、力強い、無二の響きで、並ぶもののない実に広大な歌を奏で始めた。これこそ真の魔術だった。音の波という抗い難い不可思議な力で、すべてが変容した。室内も聴衆も芸術家も、場や時間の空気も、形を変え、大きくなり、観念化された。群衆は、とある寺院の広大な回廊の薄明かりの中に知らぬ間に迷い込み、皆、忘我の境地で、何か恐るべき神秘の挙行に立ち会っていた。(P.35)

これはほんの一部分です。上記の箇所に至るまでの言葉選びと、この場面にたどり着いた時にこみあげてくる臨場感が凄いんです。音楽の描写って言葉にするのは難しいだろうに、夢幻のイメージが波のように押し寄せてくる感じ。
音楽以外の描写も、ちょっとした文章が美しくてうっとりします。訳も良いんだろうなぁ。原文も美しいんだろうなぁ。とても良かった。

『ウィティントン大佐』

19世紀の科学の粋を集めたSFでした。当時の最先端技術でオートマティックな箱庭を造った男の話。リラダンの『未來のイヴ』とか、ジュール・ヴェルヌなんかを彷彿とさせるなぁと思っていたら、解説でもそのあたりの関連性について考察されていました。バルバラが1817年生まれ、ヴェルヌが1828年生まれ、リラダン1838年生まれ。だいたい10年ずつくらいの年の差があるようです。『ウィティントン大佐』は1858年発表、ヴェルヌが初SF作品『二十世紀のパリ』が1861年とのことなので(wikiより)、バルバラの方が一歩早かったんですね。でもバルバラ・ヴェルヌ双方が影響を受けた人物として1809年生まれ、1835年デビューのエドガー・アラン・ポーが挙げられているので、系譜としてはポーが祖かもしれない。この辺の流れは面白いな。

ウィティントン大佐が作り上げたユートピアは正直ぞっとしないところがありますが、スチームパンク的雰囲気はすごく好み。若い詩人と会話をするシーンの皮肉っぽさに笑ってしまった。しかし大佐は何故あんなにも青鞜派を毛嫌いするのか。文学少女がめんどくさいのはわからなくもないけど…ちょっと小説読むくらいいいじゃん…しかしそこもバルバラの意図なんだろうな。
未来に発明されるであろう都合のいい何かではなく、当時の科学を基にした技術で屋敷のシステムを説明しているところにSF作家魂を感じる。ワクワクして考えたんだろうなぁ。でも科学を万能のものと見做しているようには感じられないのがまた面白いところ。ウィティントン大佐は箱庭の中に何でも実現できる神として君臨していたのに、彼を蝕んでいたふさぎの虫を退治することはできなかったというのがいい。そこが彼の限界か。
これからの科学の進歩に期待するようなこと書いてるけど、それでもふさぎの虫は退治できないだろうって、バルバラは思っていたんじゃないだろうか。
バルバラってすごく面倒くさい人っぽい雰囲気が行間から漂っていて、好きだ。矛盾を抱えた人だったんだろうな。

『ロマンゾフ』

コミカルな悪漢小説。ルパンみたいだな、と思ったけど、アルセーヌ・ルパンが世に登場するのは1905年、『ロマンゾフ』は1860年でした。
突然現れた謎の下宿人ロマンゾフ、貧困問題に関心を持ち、貧しい人々に率先して施しを行い、教養があり、上品な紳士。でも生活様式が謎に包まれていて、とにかく胡散臭い。
ロマンゾフがアパルトマンの門番のおかみさんや周りの人たちを魅了していくところや、そこから一転して怪しげなあれこれが明るみに出て行くところなどがユーモアたっぷりで楽しかった。でも巻末の作品解説で当時のヨーロッパ情勢との関連を読んで、もっと深く読める作品だったのか!というのを理解した。作品冒頭に「一八四一年十一月のある寒い日の午後一時頃(P.131)」と書かれているのだから、そのときの時代背景が関係あるに決まっているんですよね。迂闊だった。でもまだ知識が足りないな。

『蝶を飼う男』

約20頁程度の小さな表題作。両手でも足りないくらいの種類の蝶と、はく製にされた動物たちが登場します。タイトルはキャッチーなんだけど、他の作品に比べると地味な感じがした。
絵画的な美しさと、ちょっと皮肉な感じがバルバラらしさなのかな。不遇な発明家の悲哀もどこか滑稽で。
作中人物が勝手に名前を付けた蝶が山のように出てくるので、訳が大変だったろうなぁ。裏表紙カバーに描かれた蝶と植物の博物学チックな絵がとても良い。

『聾者たち(後記<ポストファス>)』

耳が聞こえない人たちのやり取りを描いた小話ですが、この作品、どこかで読んだ気がする。気のせいだろうか。とても好きです。
たったの8頁でしっかりまとまっている。というか8ページしかないと何を書いてもネタバレになりそうだ…


註と解説の存在感もさることながら、小説の引力が凄くて引き込まれました。すごく好みだった。バルバラは本国フランスでもあまり知られていないと解説に書かれていましたが、フランス語でも読んでみたいなぁ。