好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

猪熊弦一郎・集『物物』を読みました

物物

物物

先日京都で古本屋巡りをしたときに手に入れた本です。最近幻想小説ばかり読んでいたためにふわふわした状態が続いていて、このままいくと物質世界に帰ってこられなくなりそうだったので、じゃあそろそろ読むか、ということで実体のあるモノを扱った本書に手を出した次第。

クレジットの表記にちょっと迷うのですが、とりあえず記事タイトルには「猪熊弦一郎・集」と入れてみた。奥付に記載された正確なクレジットは以下の通りです。

収集 猪熊弦一郎
撮影 ホンマタカシ
スタイリング 岡尾美代子
エッセイ 堀江敏幸
編集・ブックデザイン 菊地敦己
編集・注釈 古野華奈子

ちなみにタイトルの読みは「ブツブツ」。

見開きページの右側にひとつの物の写真が載せられていて、左側に撮影時のおしゃべりと思われるコメントが数行載っている。コメントは終始ゆるい感じなんだけど、写真はすぱっと切れ味のある雰囲気で、好きだ。139頁の写真と、そのコメントが面白くて買うのを決めたんだったな、というのを読んでいて思い出しました。

ちょっと見ない雰囲気の本だったのでここで逃したらもう会えないかも、と思ったのも買った理由の一つ。しっかりした紙を使っているので見かけ以上に重量感があります。
読み終えてから奥付で知ったところによると、どうやら2012年夏に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で企画展示をした折に作られた本のようです。猪熊弦一郎は1993年に他界しているので、彼の遺品となった物を扱っていることになる。

 猪熊弦一郎(1902-93)は、自分のテイストに触れる物をいつも身近に置いて、暮らしや仕事の糧としていました。いつのまにか大量に集まったこれらの物は、現在「猪熊コレクション」として丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)に収蔵されています。(中略)
 『画家のおもちゃ箱』という著書で、猪熊はこれらの物への思いやエピソードを綴っています。猪熊の自邸で撮られた写真が見開きで配され、物との親密な暮らしぶりが一層伝わってきます。一方で、猪熊のセンスに貫かれたこの本には、彼の画家としての本質もあらわれています。
 こんな本があることを前提に、本書は作られました。MIMOCAに残された大量の物のなかから、岡尾美代子が自身のテイストに触れるものを選び、ホンマタカシが一つ一つ撮影しました。およそ百個の物たちが、ひととき持ち主を離れ、それぞれに魅力を発揮します。(P.3)

実は私自身、過去の引っ越しタイミングなどで物を持たない暮らしというやつに憧れたことがある。でも本が増殖することに喜びを覚える人間なので、ミニマリズムとか到底無理だった。そういうのは私のスタイルではなかった。今では物を持つことをポジティヴに考えて、遠慮なく本を買う幸せな日々を送っています。
しかし一方で思い出の品というやつには昔からあまり愛着がなくて、割と何でもぽいぽい捨てちゃう方でもある。あと、部屋に物を飾るとか、見せる系インテリアというのはとても苦手です。単純に掃除しにくいじゃんっていう実用主義的理由もあるし、ごちゃごちゃした視界が好きではないということもある。過去をうまく手懐けるだけの懐の深さがないためかもしれない。思い出の品って、私の自由を脅かす存在のように思ってしまう。

しかし猪熊源一郎はそうではなかったようで、たくさんの物を所有しながらも、それぞれに個別の愛情を注ぎ、振り返って慈しんでいたらしい。画家だから、描く対象モデルのストックとして必要だったのかもしれないけど、それでもやはり、思い出と共存するのが上手な人だったんだろうな。

巻末に載せられた堀江敏幸のエッセイに辰野隆が猪熊のアトリエを訪れたときのエピソードが載っているのですが、それがとても良い。猪熊も辰野もパリ留学をしており、自然とパリの思い出に話が流れたときのこと。

画家が「10号大の平たい石の入った箱」を取り出し、ひとつ摘んで差し出しながら、「先生これパリの舗道の石です。こんなキレイな石でパリの道が出来ているんですね。(略)これモンマルトルのドームの角のやつですよ。きれいですね、パリの何人がこれを踏んでるか……」と言う。すると辰野隆が「猪熊さんはこうしたコレクションに興味あるの?」と問いかける。「いえ――、そうじゃない。パリへのノスタルジーなのです。/これはパリの家のカベですよ。こんなキレイな色をしているんですね」(P.219-220)

……いいなぁ、猪熊源一郎。
そういえば私も、きれいな石を拾って持ち帰るタイプの子供だったことを思い出しました。いつから石を拾わなくなったんだろう。

本書に載せられたモノには、冷静に考えれば「そんなん持っててどうするの…」と思うようなのもあります。でも写真が上手いからからか、チョイスが良いからか、スポットライトを浴びてる自信からか、何に使うかわからないようなものでもいっぱしの品に見える。
実際にはアーリーアメリカンのアンティークとして結構いいやつもあるらしい。でも猪熊源一郎はそういう理由で手元に置いていたんじゃないよなっていうのがよくわかるので、その辺はどうでもいいことだ。汚れていても、ちょっと傾いでいても、「だからいい」とすら言いたくなる。
愛情を持ってカメラを向けられると、ただの物体でも存在感が増すのだろうか。あるいはもともと何かオーラのあるモノたちなんだろうか。
猪熊の大量の持ち物の中から特別に選ばれた精鋭たちだから、元からなにかちょっと違う素質があったのかもしれない。そしておそらくその素質は、猪熊が見出したというよりは、猪熊が育てたもののような気がする。


ちなみに本書に載っているモノの中で一番のお気に入りは、179頁の鍵です。柄の部分の曲線の美しさがたまらないし、頭の部分に打たれた数字のフォントも味わい深い。
『画家のおもちゃ箱』も手に入れなくてはな。