好物日記

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エドゥアルド・ガレアーノ『日々の子どもたち あるいは366篇の世界史』を読みました

日々の子どもたち: あるいは366篇の世界史

日々の子どもたち: あるいは366篇の世界史

この本は、昨年末に書店で見かけたときから気になっていました。そのときは買わずに店を出て、年明けに再び書店に行ったのですが、そうしたら前にあった場所から姿を消していました。タイトルも出版社もメモしていなかったので、かなり焦って心当たりの出版社の新刊情報を調べまわったのですが見つからず…非常にショックを受けながら時間をおいて未練がましく再び書店に行ったら再び平積みされていました。もう、迷わず買いますよね!そしてすでに今年のベスト本入りしそうなくらいに好みの本でした。装丁もまた良い…

ガレアーノという著者のことはまったく知らなかったのですが、ウルグアイ出身の作家とのこと。1940年生、2015年没。本書の訳は久野量一さんで、原語はスペイン語
本書のタイトルのうち「あるいは366篇の世界史」は、邦訳のために追加した部分であると、訳者あとがきに記載がありました。1年366日(2/29含む)それぞれの日に、短い文章が寄せられています。本当に短いものは、2行だけ。ぱっと見る限り、長くても20行を超えるものはほとんどない(あるいはまったくないかもしれない)。同じく断章形式の『エセー』ほど長くもなく、薄田泣菫の『茶話』のほうがイメージとしては近い気がするけど、もっとずっしりと来る。
例えば以下のような感じです。幸せなだけではない記念日と、それによって積み重ねられる歴史の重み。そんなに気を張って読む量ではなく、一日数行しか書いていないのに、心をざらりと引っ掻いていくものが多い。言葉は最強の武器である、と思い知らされる。

 八月四日 物語のある衣装
 およそ二千年前、ミャオ族の大都市は破壊された。
 中国の古い文献が明かしてくれるところによれば、黄河揚子江に挟まれる広大な平原のどこかに、「翼を持ち、ミャオと呼ばれる人々」が暮らす都市があった。
 現在の中国にはほぼ一千万人のミャオ族がいる。文字を持たない言語を話しているが、彼らは失われた偉大な過去を物語る衣装を身につけている。絹糸を用い、自分たちの起源と大移動の物語を、誕生と葬いの物語を、神々と人間の戦争の物語を、そして今はない巨大な都市の物語を織り上げている。
 「都市を着ているのです」と、とても年老いた老人は語る。「入り口は頭巾にあります。街路はマント全体を覆い、肩のところに庭園があって花を咲かせています」(P.166)

ガレアーノはジャーナリストで、歴史に根差した文章を多数書いているとのこと。全体を通して、徹底して弱者の視点を持ち続けた人なんだろうなという印象を受けました。少数民族先住民族や身分の低い女性などに関連した文章が多い。欧米列強や帝国主義など、力によって網をかけるようなことを嫌った人だと思う。傷つき戦い死んだ人のエピソードがたくさん出てくるのですが、だからこそ、そうした地獄を経ての今日だという意識が強くなる。背筋が伸びる。

ガレアーノ作品について、訳者あとがきには以下のように書かれています。

 語られるのは、神話、伝承、証言、覚書、引用、作者の体験したちょっとした出来事、さらに詩や掌編小説のように多種多彩である。彼は自らを「言葉の泥棒」と言っていて、彼の本は、自身がどこかで読んだり、聞いたり、見たりしたものの再創造である。
 そうしたガレアーノの作り上げてきたスタイルが、本書では三百六十六日という一年に凝縮され、おかげで分量は限定されるが、地理的範囲はラテンアメリカに限定されず、世界全体に広げられている。(P.288)

どうやって読もうか迷ったのですが、とりあえず1月1日から順番にひたすら読んでいきました。そして12月31日までたどり着いて読了の旗を立てたけど、読み終わったかというと、正直全然読み終わっていない。知らない単語や知らない人物や知らない地名がたくさん出てくるし、366の出来事を読んだからといって全部覚えているわけでもないし。私はこれから何度も、この本を読み返すだろうなと思います。とりあえず一周はしているから、次からは拾い読みしたっていい。あるいは、もう一周したっていい。何周したっていい。

おそらく、良い作品ほど浸透するのに時間がかかるものなのでしょう。例えばある本を3日で読み終わっても、そこから死ぬまでずっとその本を読み続けるということはあると思う。刺さる作品ほど、頭の中に何度も蘇る。事あるごとに、その人の心に刻み込まれた文章や場面を実生活の中で追体験するようになるのだ。それは食事の時かもしれないし、電車の窓から夕焼けを見たときかもしれないし、季節の変わり目の風を肌に感じたときかもしれない。優れた文学作品は心に傷跡を残す。文章を読み終わったからと言って、その作品を読み終えるわけではない。読み終わってからようやく読み始める、というようなことも起きるのだ。
心に残った本は、実際に本を開かずとも何度も読み返すことになる。それが読書の醍醐味だと思う。そしてこの本は、そういうことを感じさせてくれる本でした。すごく濃度の高い本だった。

ちなみに前述の8月4日以外のお気に入りは、1月17日、3月17日、6月21日、12月18日などです。本当はもっとたくさんあるけれど。
そして、ガレアーノの他の作品も追って読むことになると思います。まずは『火の記憶』かな…