好物日記

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ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』(水野忠夫 訳)を読みました

実は結構前に読み終わっていたんですが、ずっと記事を書きそびれていました。めちゃくちゃ面白くて夢中で読んだものの、何が面白いのかと言われると今一つうまく説明できなくて。しかしとっても面白かったです。ぐいぐい来るっていうか、なんかもう突き抜けて疾走していく感じ! なんだこれ!
私が読んだ岩波文庫版の上下巻の表紙には、ブルガーコフが住んでいた通りの壁面にファンが描いた絵を撮影したものが使われていて、これがまたサイコな感じで実によいです。
なお、以下の記事はネタバレ配慮はしておりません。細かいあらすじの説明もすべて端折っているので、一度読んだことがある人向けになってしまいましたが、あらかじめご了承ください。ものすごく大雑把にストーリーを紹介すると、ソ連時代のモスクワに悪魔がやってきてどんちゃん騒ぎをする話です。上下巻ぶっ通しでお祭り騒ぎでした。


久々の上下巻越えの長編小説だったので、結構身構えて読み始めたのですが、前述の通り最初っからエンジン全開で度肝を抜かれた。まず物語冒頭で、文学総合誌の編集長と若い詩人が「反宗教的な詩」について話し合っているところに、怪しげな外国人が通りかかる。この怪しげな外国人のいかにも怪しげな描写で、早々に私の心は鷲掴みにされました。誰なのかよくわからない語り手が、めちゃくちゃ強い個性で物語っていくものだから。

 その後、率直に言えば、すでに手遅れとなったころに、この人物の特徴を記した報告書がさまざまな関係機関から提出された。それらを照合していると、まったく驚かざるをえない。たとえば第一の報告書によると、この男は背が低く、金歯で、右足を引きずっていた。第二の報告書には、背のひどく高い男で義歯はプラチナ、左足を引きずっていたとある。第三の報告書は、これといった特徴なしと簡潔に伝えているだけであった。
 このような報告書は、どれもこれも訳に立たないと認めるほかない。
 なによりもまず、この男は両足とも引きずってはいなかったし、背も低からず高からず、いくぶん長身であったにすぎない。歯に関していうなら、左側にはプラチナ、右側には金の義歯。(中略)右の目は黒く、左の目はなぜか緑色。眉は黒いものの左右の釣り合いがとれていない。要するに外国人である。(上巻 P.16)

この人を食ったような人物描写が、謎の外国人がこの小説において何かしでかすに違いないという期待を高める。そして、彼はその期待を裏切らないのだ! イエス・キリストはこの世に生まれなかったという前提で話をする二人に声を掛けて、実に思わせぶりな台詞(しかしこの時点では読者にはその意味がまだわからないし、話を聞かされている編集長と詩人にもわからない。そこがまたいい)をいくつも口にする。

「確かに、人間は死ぬ運命にありますが、しかし、それだけならまだたいしたことではありません。悪いのは、ときとして人間が突然に死ぬ羽目に陥るということで、それこそ最大の問題なのです! それに、だいたいからして、今夜、何をするかも人間は言えないのですからね」(上巻 P.27-28)

そして外国人は突然、ポンティウス・ピラトゥスの話を始める。ナザレのイエスに有罪判決を下し死刑にした、あのピラトの話です。「こういったすべての現場に私自身が立ち会っていたのです」などと声を潜めて言う外国人を精神病院送りにしようと、編集長は電話を掛けにベンチを離れ―――ここまできたら読者としてはもうタイミングをはかるだけだった、編集長の最期が描かれる。

編集長の最期は読みながら「きた!」と思ったけど、この「きた!」は何なんでしょうね。いやこれまでの記述から外国人が予言した通りのことが起きるんだろうという予測はしていたわけですが、その予測というのは物語の枠の外にいるからこそできることだ。物語の中で登場人物として振る舞いながら、メタいことを次から次へと繰り出す外国人の特異さ、際立つ存在感。ストーリーを一周すると余計に、物語構造というものの奥深さを感じた。
フィクションって作り物だからなんだってできるように思えるけど、文章として成立している必要があるので、どう足掻いても言語構造というルールには逆らえない。そういうルールの穴を突こうとするのが叙述トリックミステリーだったり幻想小説だったりするんじゃないかと思うけど、『巨匠とマルガリータ』はそういうルールにダイナミックに歯向かおうとしているように感じられて、読んでいて実に爽快でした。言葉は万能な道具ではないけど、使い方次第でもっといろんなことができるのかもしれない。もっとも、そもそも万能な道具なんてないんだけど、それでも言葉は人間をもっとずっと先まで連れていけるんじゃないかと思わせてくれる。


そしてどんどん起きる事件に夢中になっていたら、いつの間にか下巻になっていた。「私につづけ、読者よ(上巻 P.442)」と言う語り手が誰なのかわからないままこの小説を読み終わってしまったんですが、これはあれですね、何周かしないとダメなやつですね。一周では到底読み切れない小説だ。めちゃくちゃ面白い。
第25章、第26章で描かれる作中作のユダの話がとても好きです。「今夜、ユダが刺殺されるという情報を、今日、受け取ったのだ(下巻 P.196)」からの一連のサスペンス! 一応読む前から『巨匠とマルガリータ』がソ連で発禁本だったと聞いてはいたものの、読みながら何が駄目なのかよくわからなかったのですが、もしかしてこのユダの挿話なんかもアウトだったんだろうか。

タイトルに冠せられている巨匠もマルガリータがなかなか出て来ないのでヤキモキしていたのですが、いざ出て来たらマルガリータがとてもアグレッシブで素敵でした。空を飛んで悪魔の元へ行く途中でラトゥンスキイの家をめちゃくちゃにするところとか特に好き。

他にも好きなシーンを挙げると山ほどあるんですが、冒頭の編集長の事件の後、外国人が逃走するのを詩人ががむしゃらに追跡するのはかなり好きなシーンのひとつです。悪魔の一味である猫が登場するのが、あまりに衝撃的で。

(前略)いつの間にか、まったくもってうさん臭い元聖歌隊長が合流していた。だが、それだけではなく、この一味の三人めとして加わっていたのは、どこから現れたのか、去勢豚のように大きく、煤か烏のように黒く、向こう見ずな騎兵のようにみごとな口ひげを伸ばした猫であった。三人組はパトリアルシエ横町を目指して進んでいたが、その猫ときたら、うしろ足二本で立って歩いていくではないか。(上巻 P.99-100)

しかもこの猫、電車に乗るのである。律儀に十コペイカ硬貨で料金を払おうとさえするのだ。私はもうすっかりこの二足歩行する猫のファンになって、この後彼が登場するたびにニヤニヤしていた。中身はおじさんで、全然かわいくないんですけどね。

でも一番お気に入りの登場人物はといえば、断然アルチバリド・アルチバリドヴィチなのでした。文筆家連中御用達のレストランを支配する海賊、機を見るに敏であること右に出ることなしの彼です。

 支配人は調理場に胸肉を見に行ったのではけっしてなく、そのかわりに食料貯蔵室に直行した。持っていた鍵でドアを開けてなかに入ると、内側から鍵をかけ、冷蔵庫から、カフスを汚さないようにと気を付けながら蝶鮫の重い背肉の燻製を二切れ取り出し、それを新聞紙にくるむと、丁寧に紐で結んで、脇に置いた。それから隣の部屋に行き、絹の裏地のついた夏用のコートと帽子が置いたところにあるかどうかを確かめ、そこではじめて、海賊が客に約束した胸肉の料理をコックが一心につくっていた調理場へと向った。(下巻 P.293-294)

右往左往する人間たちのなかで、最も悪魔の素質を持った男……人間、だよなぁ? 今はまだ。

読み終わった直後はアトラクションから降りたばかりのような高揚感でいっぱいでしたが、あらためて振り返ると熟練の職人による見事な設計のアトラクションだったんだなというのをしみじみ感じる。次はもっと丁寧に読み返して、一周目では気づけなかった細かい仕掛けを楽しみたいです。あと、ブルガーコフの短編集もぜひ読まなくては。いやぁ、とっても好みでした。