好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

芝木好子『光琳の櫛』を読みました

光琳の櫛 (新潮文庫)

光琳の櫛 (新潮文庫)

  • 作者:芝木 好子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1985/05
  • メディア: 文庫

芝木好子の小説が好きです。多作な割には今ではなかなか手に入りにくいので、すべて読んだわけではないのですが、私が一番好きな作品がこの『光琳の櫛』です。久しぶりに読み返したらやっぱり良かった…めちゃくちゃ良かった!

芝木好子の小説には伝統工芸に携わる女性が男性と出会ったり別れたりする話が多いのですが、『光琳の櫛』は色街出身の料亭の女主人・園が主人公。櫛、簪、笄など日本髪に挿す髪飾りのコレクターでもある彼女のもとに、能面蒐集家の紹介で若い学者が蒐集品を見せてもらいに訪れるところから話が始まります。

「この椿の簪はきれいだ。娘の挿し物ですか」
「それは若妻の飾りでしょう。初めは手にとるのもいやなほど汚れていましたが、椿の型に惹かれて買求めました。見ていると、水死した女の濡れた髪に絡んだかんざしに思えてきました。かんざしの根に髪の毛が一筋巻きついていて解けないのです。一夜かけて静かに清めてやりますと、おどろおどろした暗さが薄れて、椿が愛らしい作りの顔を覗かせてきましたの。嫁入って不幸せになった女の怨みがかんざしに籠っていたようで、椿が不気味に黒ずんでいたのでした」(P.14-15)

若い学者は櫛のもつ魔力と持ち主の園自身に惹かれて、だんだん親しくなります。
主人公の収集品が「髪飾り」というのがまた良いではないですか!髪は怪談にも欠かせない、怨念の籠った身体部位だ。
彼女は家庭を持たない妾の身分なので、基本的に夜は2階のにある自室でひとり過ごします。櫛や簪を清める姿の描写は艶めかしいというよりも多分むしろ山姥的イメージで、魔女や妖怪に近いように思う。もし映像化するなら障子の向うに影だけ見えるような映し方になるんだろうな。

さてそんな風に始まった話には複数の男性と少しのスパイス的女性が登場し、園を中心にどんどん話が進んで行きます。とあるきっかけで目にした尾形光琳の櫛をなんとしても手に入れようとして、櫛の持ち主の老人と危ういバランスで渡り合ったり。若い学者と協力して蒐集した櫛や簪の図録を出すことになったり。10年付き合った男性が社長の座を退き引退するのを機に別れることになったり。酒井抱一の印籠と櫛の一揃いを目の当たりにして「私のところに来たがっている」と言い放ったり。

彼女は物欲に火がついた瞬間からの手練手管もさることながら、執念深さも凄い。通い詰めて褒めちぎって欲しい欲しいと言い募り、「貸してあげる」と言わせたらもう彼女のもの。これまでそろえた髪飾りも付き合っている相手からのプレゼントだったりするのに下品にはならず、買ってもらえば満面の笑みで遠慮せず貰うのに嫌みではない。影はあるが飲み込まれず、過度に卑屈にもならない。でも彼女は櫛や簪で防御しているように思える。

いわれもなく人に侮蔑される日が彼女にはあった。たぶん何かからはみ出しているのだろう。侮蔑に対して人一倍神経質にも、敏感にもなっていた。人に見せないところで弱くも、強くもなるのはそのせいだった。(P.65)

園も格好いいんですが、誰が一番格好いいって、若い学者の叔母にあたる仲子です。ギヤマンの櫛を持っていることから学者の紹介で園と知り合うのですが、趣味の良い老婦人で、その割にはっきりものを言うほうで、着道楽で舌が肥えている。
仲子は歌舞伎を観た帰りに女友達と一緒に園の料亭に寄って食事をするのですが、その場面がまた良いのです。

「今日のお芝居の御馳走は、裸の彫物の若い男が、赤い下帯一つになる殺し場かしら」
「つまり若い役者の血汐に染った凄絶美に、エロティシズムがあるのよ。あの役者、いい肢をしていた」
「あなたは鎌倉の山姥にしては感度がいいわ。それで甥御も三十二、三になるまで手放さないのね」
(中略)
「麻男も女で身を持ち崩すとか、片恋に苦しむとか、一ぺん身を焼いてみるといいのよ。どこかのお嬢さんと結ばれて、安易に生きてなにが人生なの。私をごらんなさい、つまらない一生だったのだから」(P.86-87)

女学生の頃からこんな風につるんでいたんだろうな。つまらない一生だと言いながらも結構楽しんでいそうなのが良い。船乗りの叔父さんポジションみたいな、常識からちょっと外れた自由と真の教養の象徴のような役割を彼女が担っています。最初から最後までずっと格好いい。

上記に限らず、この小説全体が名場面のオンパレードみたいなもので、絵になる情景がぞろぞろ出てくるのです。別れの場面も出会いの場面も味わい深いものばかり、これでもかと出てくる。動画よりも、静止画がいいな。絵巻物を描くならきっと場面には全然困らないでしょう。多すぎて困るかもしれない。
しかも尾形光琳や原羊遊斎、酒井抱一など、名だたる作家をばんばん出してきて、挿絵なんてひとつもないのにひとつひとつのものに対して雰囲気込みで細かく描写してくれるので、イメージしやすいのです。適当なところでお茶を濁さないところが、芝木好子って感じだ。

しかしまぁ、最大のクライマックスは199ページからの一連の流れで、もう読んでいてそわそわするし、おいおいわかってないなぁとヒヤヒヤするし、204ページ6行目からなんてもうたまりません。実に素晴らしい。初めて読んだのは大学生の頃でしたが、そのときから、音のないスローモーション映像が眼前に浮かんでいました。息を殺して見守るしかない。そしてそこからの結末の、オーケストラの交響曲のような緩急のつけかたが最高。


残念ながらもう絶版になっているようでなかなか手に入らないのですが、ほんとに名作だと思います。またしばらくしたら読み返そう。