好物日記

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テッド・チャン『息吹』を読みました

息吹

息吹

読みましたー!!!
テッド・チャンの2冊目が出るぞ!という知らせをTwitter経由で知って以来、発売日を手帳に書き込んでずっと楽しみにしていました。
寡作の作家であるテッド・チャン。ついに!2冊目が!
てっきり文庫だと思っていたら単行本で、買いに行ったときに書店をうろうろした末に検索機に場所を教えてもらいました。モノクロのクールでポップな表紙が素敵です。装丁は水戸部功さん。カバー外したら黒一色なのもシックで良い。

前作『あなたの人生の物語』も名作揃いの短編集で、『地獄とは神の不在なり』が一番好きだったのですが、前作の話なんか始めたらいつまでたっても本作にたどり着けないのでこの辺にしておこう。彼の作品には共通してキリスト教の影がちらつくのですが、本作でもそれが健在だったのは嬉しかったです。

本作は短編が9編収められていて、各作品にまつわる著者自身のコメントが掲載された「作品ノート」が巻末についています。2019年5月にアメリカで刊行されたばかりのほやほやの新刊で、うち2作は書き下ろしです。こんなに早く和訳が出るなんて、ありがとう早川書房。愛の力ですね。
全体をさらりと、なんてとても無理なので、全作品一通り紹介していきます。でもネタバレはしたくないので、ほんとうに、さらっと…

◆『商人と錬金術師の門』(The Merchant and the Alchemist's Gate)
バグダッドを舞台としたタイムトラベルもの。教主(カリフ)に拝謁を賜った織物商人が、世にも奇妙な物語を語る。
過去は変えられない、ということは、つまり未来も変えられないということだ。ギリシャ神話的な運命論(ご神託は絶対)を感じました。語りの上手さにわくわくする。

◆『息吹』(Exhalation)
名作。たった20ページ足らずに世界がまるごと入っている。もう何を言ってもネタバレになるから、読んで!たったの20ページだから!うっかり立ち読みして震えればいい。
ふーんと読み始めて6行目で「⁉」となり、7ページ目でドキドキし、ラストには溜息しかない。そういう結末に連れて行くのか。これだからテッド・チャンは…!

だが、わたしは一縷の望みを抱いている。(P.65)

大森望が「息吹」の訳語をあてたことをわざわざあとがきで明記していますが、すごく良い訳だと思いました。

◆『予期される未来』(What's Expected of Us)
本書の中で一番好きな作品です。これに至っては『息吹』よりはるかに短く、たった4ページ。そこに、あらゆる要素が圧縮されているのだ。

これは警告だ。注意して読んでほしい。(P.71)

上記一文から始まる4ページには一語の無駄もない。もうね、一度読み終わってから読み返すと、たった2行目で目を見張る。たまらないですね。
これ以上はとても言えない。

◆『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』(The Lifecycle of Software Objects)
本書で一番長い話。元・動物園の飼育係と仮想キャラクターのデザイナーがディジエントと呼ばれるデジタル空間の仮想動物を開発した会社で働く話。
…などとさらりとまとめるといろんなものが取り零れてしまうのですが、簡単に言えばそんな話。
ディジエントというのは「たまごっち」のすごいやつみたいな感じで、仮想ゲノムでプログラミングされていて、育て方によって性格が変わる仮想生物です。人々はそれを仮想環境上で育て、気に入らない性格になったらバックアップから戻してやり直すこともできる。ディジエントたちは成長の過程で学んだ様々な外的要素を計算式に取り込んで、デジタル空間上で自分で独自に計算を始める、つまり、思考し始める。そして彼らを生み出した企業に勤める2人の人間がディジエントたちと暮らす様子が語られる。
設定も上手いけど、やっぱり話の運び方が上手いなぁと思います。読み応えがある。

◆『デイシー式全自動ナニー』(Dacey's Patent Automatic Nanny)
「想像上の展示品を集めたミュージアム」に関する短編のアンソロジーのために描かれたもので、グレッグ・ブロードモアの描いた「全自動ナニー」のアイデアに合わせて書かれたとのこと。クラフト・エヴィング商會みたいな企画だな。面白そうだからアンソロジー自体も気になる。そして元のイラストとあわせて観たいなぁ。amazonに売ってるなぁ…ペーパーバック版とハードカバー版があるけど、これはハードカバーがいいだろうな。

The Thackery T. Lambshead Cabinet of Curiosities: Exhibits, Oddities, Images, and Stories from Top Authors and Artists

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◆『偽りのない事実、偽りのない気持ち』(The Truth of Fact, the Truth of Feeling)
めちゃくちゃ良い作品です。映像と音声によって生活記録(ライフログ)を採取し、必要なタイミングで情報を提供してくれる「Remem(リメン)」というサービスについて年長の男性が述懐するターンと、口伝文化を持つシャンゲウ族の少年ジジンギが村に布教にやってきたヨーロッパ人から字を習うターンが交互に語られる。上手い。記録とは、そして記憶とは。なんのための記録なのか?あらゆるものに良い点と悪い点があって、どんなに素敵なものにも限界がある。テッド・チャンはどちらも公平に取り扱っているように感じる。

子ども時代全体をたえまなく映した動画は、感情を欠いた事実の羅列になるような気がする。理由は単純で、カメラは出来事の感情的な次元をとらえることができないからだ。(中略)もしわたしがあらゆる映像記録にアクセス可能な中で育ってきたら、ある特別な日に感情的な重みをつけるすべはなく、ノスタルジーを凝縮させるような核は生まれなかっただろう。(P.241)

口伝文化が文字を得た世界の風景と、文字文化が映像を得た世界の風景の対比が凄く良かった。

◆『大いなる沈黙』(The Great Silence)
7ページの小品。オウムの独白。もともとは映像作品のテキスト部分として書かれたもので、テキストだけが抽出して掲載されています。
短いながらも安定した語り口でとても良いのですが、映像があったので貼っておきますね。何が良いって、音が良い…!

www.artandeducation.net

◆『オムファロス』(Omphalos)
神の奇跡が科学的に証明されている世界で、ひとりの科学者が信仰心を試される話。舞台設定の上手さよ…。自由意志の問題は個人的に好きなテーマなので、とても面白かったです。いいなぁ。テッド・チャンはラストが良いんだよな。

◆『不安は自由のめまい』(Anxiety Is the Dizziness of Freedom)
これぞテッド・チャン!と思いました。「プリズム」という機器によって異なる世界線との交信が可能になった世界。あのときああしていたら…というIFの世界で生きる自分と話をすることもできる、そんな世界で、ひとりの女性が生きていく話。
人生は選択の連続で、ひとつを選ぶとき、それ以外のすべての可能性をすべて排除しているんですよね。たとえば私が今この瞬間「りんご」と口に出したなら、その瞬間に発声することができたその他のあらゆる音をすべて否定して、「りんご」と口にした世界だけが存在することになるのです。「みかん」と発声する世界はもはや存在しない。でも、もし「みかん」と発声した世界を覗き見ることができたなら…?いやぁ、たまんないですね。

正しいことか、まちがったことか、どちらかをする選択肢があるとき、わたしはいつも、さまざまな分岐で両方を選んでいるの? もし毎度毎度、だれかに親切にするのと同時に、いやなやつみたいに振る舞っているとしたら、どうしてこのわたしは親切にしなきゃいけないの?(P.383)

「あのときあっちを選んでいたら」というような比較的大きな選択肢に直面した時、今の自分が選ばなかった選択をした自分が、その選択をしたおかげで成功していたとしたら、赤の他人が成功するよりも妬ましいと感じるだろう。一方で「あっち」を選んでいたとしても結局同じ結果になるような、どう足掻いても変われない自分もいるだろう。そのバランスのとり方が絶妙です。
しかし多元世界において、「りんごと発声しなかった私」っていうのは、果たして「りんごと発声した私」とおなじ「私」なんでしょうか?「私」というのはそもそも器としての身体を必要とする意識の発露であって、外から見ることができるならそれって「私」ではないよね?…とか考え始めると楽しくって止まらないのでほどほどに。
本書の冒頭の作品『商人と錬金術師の門』はひとつの世界線を行ったり来たりする話ですが、巻末の『不安は自由のめまい』は複数の世界線が交わる話です。これを巻頭と巻末に置く構成がまた良いではないですか!
ついでにいえば『予期される未来』も同一の世界線の話なのですが、『不安は自由のめまい』とも対応するところがあって、作品単位ではなく書籍単位でも楽しめるのが嬉しい。そしてまた、登場人物がたどり着く結論がすごく良い。だからテッド・チャンが好きなんだ…。作品ノートの記述もすごく良かったです。


テッド・チャンは1967年生まれとのことなので、次の著作もきっと出るはず。気長に待とう。