好物日記

本を読んだり美術館に行ったりする人の日記

ウィル・ハント『地下世界をめぐる冒険 闇に隠された人類史』(棚橋志行 訳)を読みました

いつもノンフィクションが面白い亜紀書房から刊行された本で、本屋に並んだ頃から絶対好きなやつでしょこれ、と思って気になってました。他に欲しい本がいろいろ押し寄せていたので買いそびれていたのですが、たしか日経の書評で紹介されたのを読んで、あ、やっぱりこれ絶対好きなやつだわ、と思ったのでとりあえず買っておきました。
そして先日ようやく読んだのですが、やっぱり好きなやつでした!

だいたい、表紙からして非常に好みです。ニューヨークの摩天楼のイラスト、地面の下には地下鉄、そしてその更に下には下水道。しかしなぜか下水道の通路に椅子が置いてあったりなんかして。帯も計算されていて、地下がすっぽり隠れるようになっていて、素敵なデザインですね。

というわけで本書は、地下マニアの著者がこれまでに訪れた「地下世界」にまつわるノンフィクションである。
著者の地下との出会いは16歳の時だ。自宅近くで、廃棄された地下鉄トンネルの入口を偶然発見したのだという。この時は時折無人のトンネル内を散歩する程度だったが、就職してニューヨークに引っ越した後、地下鉄のトンネルから突如現れた泥まみれの人たちの姿を目にし、地下にハマっていくことになる。

 ヘッドランプをつけた若者たちは都市探検家だった。ニューヨークを拠点にしたゆるやかな連盟のメンバーで、娯楽として街の地下にある立入禁止区域や隠された空間に潜入しているのだ。この連盟は数多くの”部族”が集まった王国と言ってもよく、街の忘れられた壮麗な場所を記録する歴史家もいれば、ニューヨークの企業に乗っ取られた場所の象徴的返還を求めて不法侵入する活動家もいた。アーティストもいて、秘密の舞台を組み立て、人目につかない地下層で演技を披露していた。(P.24)

この本に書かれているのは、「なぜ地下に魅せられるのか」というテーマに対する著者の独白です。視界が奪われ、生埋めの恐怖と隣り合わせで、正気を失いやすく、死を連想させる「地下」に、なぜわざわざ好き好んで下りるのか?

パリの地下納骨堂に設けられた豪奢なたまり場、オーストラリア先住民の聖域である洞窟、カッパドキアに残る数々の地下都市、先史時代そのままの姿で守られたマドレーヌ文化の遺産、などなど。著者自身がそれらの場所を訪れた時の様子、その土地を守る人たちとの会話も面白いのですが、しばしば挟まれる歴史ネタがとても良い。パリの地下納骨堂を初めて写真に撮ったナダール、穴掘りの衝動に駆られた「もぐら男」列伝など。

テーマごとに章が分けられているのですが、特に好きなのは第6章「迷う――方向感覚の喪失が生む力」です。著者がパリの地下トンネルで迷子になったときのエピソードを交えて、見当識の喪失における恐怖と効用について書かれています。

 はるか昔から、ホモサピエンスは優秀な探検家だった。脳の原始的な領域にある海馬という強力な部位が、私たちが一歩進むたび、数多の神経細胞を駆使して自分の位置に関する情報を集め、神経学者が“認知地図”と呼ぶものを編集し、空間内の見当識を恒常的に保っている。現代人の必要性をはるかにしのぐ機能を持ったこの装置は、狩猟採集のため放浪していた遠い祖先から受け継がれたものだ。祖先たちの生存はまさに見当識の能力にかかっていた。水が手に入る穴を見失ったり、動物の群れに出会えなかったり、食用植物が見つからなかったりすれば、確実に死が待っていた。未知の風景をかき分けてみずからを導く能力なくして、ホモサピエンスの存続はかなわなかっただろう。これは私たち人間に生まれつき備わっている能力なのだ。(P.167)

 だから、見当識の喪失に対して私たちが抱く恐怖は非常に根が深いもので、一種の心身衰弱を引き起こしかねず、自己意識崩壊の危険性にもさらされる。(P.168)

 昔からずっと、道に迷うことは謎に満ちた多面的な状態で、そこには予期せぬ可能性が秘められていた。歴史上、さまざまな芸術家や哲学者、また科学者が、方向感覚の喪失を発見と創造のエンジンとして称えている。物理的な経路から外れるだけでなく、なじみの世界から逸れて未知の世界へ入り込む、という意味で。(P.178)

この章で書かれている通り、喪失は獲得のチャンスだ。何かを見つけるには、一度見失わなくてはならない。
文学作品を思い返しても、「迷う」というキーワードのいかに多いことか。確かに小説の登場人物に「獲得する」という行為をさせるには、最大の前提条件として「今は失っている」状態である必要がある。だからアリスもドロシーも迷子だったんだ。
そして見知らぬ場所にたどり着くには初めて通る道を歩く必要がある。自分がどこに向っているのか明確に把握できているなら道に迷うわけもないので、桃源郷にも妖精世界にも迷い込む隙はない。
別に若い時に苦労しておけなんてこと言いたいわけではないのだけれど、あまりにも舗装された道ばかり進むのも心配だよなと思うのはそういう理由だ。過保護すぎるのも問題だと思う。というか自分がそういうタイプだからだな。迷子にならないように道案内の標識があって、舗装された歩きやすい一本道を目の前に用意されて、さぁどうぞ! と言われてもテンション下がるタイプだから……後ろ盾の理論が出来て嬉しかったのかな。寄り道こそが人生なので。
でも人生の何に喜びを見出すかってのは人によって違うわけだから、順風満帆な安心街道をわき目もふらずに進むのが幸せな人もいるんだろう、そういうものだ。安定を愛することが悪いわけではない。それによって文明は発展してきたのだし。ただ全人類がそれじゃあ、種としての耐久力がなくなってしまうのも事実なので、ね、異端者も必要なんだって。別にどちらが正しいとかではないので、適度に距離を保ちつつうまくやっていきたい。

ちなみに著者はウィル・ハントとなっていますが、まぁ偽名ですよね。アメリカ人ではあるようですが。ニューヨークやパリで立入禁止の地下道にもぐり込んだ話がたっぷり入っているので、そういう配慮が必要なのでしょう、というのが訳者あとがきにも書かれていました。
蘊蓄も盛り沢山で、とても楽しかったです。いいなぁ地下。私も潜りたい。